レポート30:『本当に欲しかったもの』

 ふーっと息を吐き、力を抜く。

 目の前にはフードを被った陰気臭い後輩が、それらしく構えている姿がある。


 視界の左端には、楽しそうに笑う久保が氷室と対峙している。

 右では、先ほどのミスを挽回しようと、多田野が必死で富澤をマークしている。



「―――」



 さっきまで苛立ちに満ちていたはずの思考は、いつにも増してクリアになっている。


 無気力になっているとでも言うのか、いつもより身体が軽い。


 ドリブルを突いている手の動きがしなやかで、手を伸ばされたら、すぐにでもボールがどこかへ行ってしまいそうなほど力が弱い。


 心のどこかで、勝つ自信を喪失している。

 勝負を諦めているわけじゃない。


 今までの頑張りが報われず、頑張ったら頑張った分だけ、バスケが嫌いになっていく。

 結果がついて来ないことが何よりも苦だった。


 そんな今までがあったからなのか、現実に屈してしまいそうな自分がいる。


 ただ胸の奥には確かな闘志が、沸々と煮え滾っている。


わりぃ……富澤から目ぇ離しちまった』


 謝る多田野を見て、俺は何を思ったのだろうか。


『俺が取り返してやる。だから気にするな』


 淡々とそう告げ、反省も後悔も後回しにして、作戦を伝えた。

 そこに苦虫を嚙み潰したように頷く多田野に俺は、何も思わなかったんだ。

 興味がないというわけではなく、怒りが込み上げては来なかった。


 今までを振り返ってみても、味方のプレーに怒りを覚えた瞬間はない。


 たとえ試合中であろうと、自分のことで手一杯で、試合に負ける度、自分の不甲斐なさを呪っていた。


 多田野は確かにミスをした。

 けれど多田野を責めることが俺にはできなかった。

 多田野が練習している姿を最も間近で見てきたから。


 もしかしなくとも、情に流されている。


 久保に対してもそう。


 久保は中学でも有名な選手だった。

 何度か対戦したこともある。

 けれど周りは、久保をそれほど好いてはいなかった。


 個人技主体のパワープレーで、いつもファウルを貰う。

 バスケの試合において、ファウルを5つ貰った選手は退場となる。

 それが故意であろうと、なかろうと、審判の判断には従わなければならない。


 久保はいつしか、チームで浮いた存在になり、いつからか姿を晦ましていた。

 何をしているのかと思えば、一人ストリートのコートで練習をしていた。


 声を掛け、一対一ワン・オン・ワンをして、笑い合った中学最後の夏。


 互いに地区予選を駆け上がることもできず、対戦することはなかった。

 それもあってか、久保と再会し、一戦を交えたあの日は忘れられない。


 志望校が同じだと知って、理由を聞けば家が近いからだと似た理由だった。

 家が近いから、居残り練してバスケに時間を費やせる。


 その分、五市波高校は偏差値が高いため、勉強にも力を入れなければならなかった。


 それでもまだ、耐えてやってこれた。



「―――」



 多田野と出会ったのは、高校に入学してから。

 多田野は中学で、強豪にいながら、試合にも出してもらえない補欠選手だった。

 プレーを見る限り、それほど下手な選手でもなかった。


 練習時のシュート成功率は8割方、試合では6割程度ほどしか発揮できない。

 さらにはディフェンスが下手で、身長があっても、そこそこの選手止まりだった。

 それがネックで、中学では試合に出してもらえなかった。


 だからこそ多田野は、高校に入ってから、ひたすらにシュートの練習をしていた。


 久保も、高校では中学の頃のように自分のパワーが通じない相手がいるからと、筋トレやウエイトリフティングなど、鍛えることを怠らなかった。


 俺も負けじと、練習に励んでいた。


 しかし1、2年と試合に出してもらえても、結果を残すことはできなかった。


 久保は全国屈指のC《センター》にパワーで負け、多田野は身長2メートルもある選手から悉くシュートをカットされ、俺は何度もボールをスティールされた。


 そんな選手たちがいるチームでも、全国にはたどり着けず、そこに勝ったチームでさえ、一番にはなれない。


 人がどれだけ何を頑張ろうとも、上には上がいて、自分の努力などちっぽけに思えるくらい費やした時間が無駄のように思えてきた。


 ただ好きなバスケから、それとなく離れ始め、すると後ろからは驚異の新人が現れる。


 難なくレギュラー入りを果たし、30得点などという快挙を成し遂げた。

 『氷室輝迅』という天才を目の当たりにした瞬間だった。

 さらに富澤などという、やる気の満ち溢れた後輩まで後ろから迫って来ている。


 止まることなく走り続けても、明るい未来は一向に訪れなかった。

 止まってしまえば、どんどんと追い抜かれてしまう。

 どちらに転んでも、自分の居場所が奪われていく。


 それがとても不快で、不愉快で、仕方がなかった。

 まるで昔の自分を見ているかのようで虫唾が走る。

 だから富澤に絡んでは、当たってばかりいた。


 どれだけ頑張っても、そうやって賭けた時間は全部無駄に終わる。

 たとえどれだけ好きであろうと、楽しくない時間はきっと来る。

 それを知らしめるために。


 けれど、今の自分はどうだろうか。


 練習をサボったことは何度かある。

 それでも結局、バスケをしていた。


 今だってそう。


 断ることだってできたはずなのに無様な姿をさらしてまで、くだらない試合に何を熱くなっているのだろうか。


 目の前のフード小僧にいきり立っているのか?

 いつも生意気な氷室に一泡吹かせてやりたかったのか?

 真面目に練習する富澤が気に食わなかったのか?



 ――いいや、違うな……。



 俺はただ、証明したかったんだ。

 今までの努力が無駄ではなかったと、諦めなくて良かったと、そう思いたかった。


 多田野も久保も、よくやっている。

 こんなお遊びに真剣な顔で、手も抜かずに立ち回っている。


 俺は俺だけじゃなく、やつらにも報われてほしいと思っている。

 同じ穴の狢だから、同じくらいバスケを好きな仲間だから。



 ――ああ、そうか……。



 やっとわかった。

 自分がどうして、こんなにも必死なのか。


 ここに入ってから、ずっと欲しかったものがある。

 それは一人じゃ手に入らないもので、一人で手にしても虚しいもの。

 お前たちと出会った瞬間から、いつか夢見た光景がある。


 三人揃って試合に出て、心の底から笑い合うこと。


 共に練習を重ねてきた仲間だから、その瞬間を分かち合いたい。



 ――俺は、お前らと一緒に……勝ちたかったんだな。


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