第二章7  『苦戦①』

『待って!』


 外にいる彼の意識が、徐々に闇へと沈んでいく。

 ケトラと言う魔導士に人々が虐殺されたことにより、負の感情が彼自身を飲み込んでいく。

 しかしケトラはきっかけであって、招いているのは別の存在。


『やめて、虚空!』


 魅剣羽亮の暖かな光が彩られた意識内で聳え立った大樹の傍、大岩で胡坐を掻きながら腕を組んで怖い顔をしている。


 青白い肌を隠す黒く刺々しい羽毛、グローブや革靴といった彼らしい黒尽くめの装飾。

 それが身から溢れ出した闇と同化し、見えるのはあおいはずの瞳があかく光っているだけとなっている。


 放出され続ける闇は天を伝い、実体である羽亮の意識を蝕んでいく。

 他ならぬ同種である『黒喜羽虚空くろきばこくう』の怒りにより、羽亮は闇に侵されている。


『やめてってば!』


 闇に覆われた意識は徐々に溶けて、いずれ良心がなくなる。

 仕舞いには理性も失い、ただのモンスターと化してしまう。


『やめてよ!』


 青い瞳はソラで、白い天使のように可愛い。

 『天白あましろソラ』と名付けられ、慕ってくれる羽亮が堕ちることを自分は望んではいない。


 だから何度も叫んでいるというのに虚空は微動だにしない。

 あまりの頑なな態度に自然と膨れっ面になり、そっぽを向く。


『やめないなら、もう口きいてあげない!』



『―――』



 ようやく声が届いたのか、虚空は即座に放出を解く。

 一瞥すれば、不貞腐れた虚空の表情が覗える。

 とても単純な言動に従順なあたり、虚空に可愛げを感じた。


『もう……』


 世話のかかるフェザーだと、つくづく思う。

 人を嫌っていながら、虐殺されていく人々を目に憤る。


 怖そうに見えて、中は凄く優しい。

 優しいねと言えば、不機嫌になり口数が減る。

 面倒臭いことこの上ない。


『変わらないんだから』


 生まれた頃から、四人ずっと一緒だった。

 その中でも虚空とは長い時間を共にしている。


 残りの二人とは、ある日を境に離れ離れとなり、再会した時には敵同士。

 いつしか囚われの身となって、虚空の計らいにより脱出に成功する。

 しばらく逃避行の日々が続いて。


 そしてまた、囚われの身となっている。


『ほんと、変わらない……』


 軽く今までのことを振り返り、思う。

 とても長い年月を同じような日々が彩っている。


 何百、何千と時が過ぎても、不変的な運命という未来しかない。

 現在いまは、終わることを知らない生き地獄の延長線上でしかない。

 牢獄かごの中で、空を見上げるばかりの毎日が流れていく。


 囚われていた頃の自分ならば、そう捉えていた。



 ――でも、



『もう、違うよね?』


 とある日に出逢った少年により、世界が変わった。



 ――いいや、



 自分の見ていた景色に新たな色が差し込んだのだ。

 一目見て、彼が次の主だと悟った。


 事あるごとに鉢合い、次第に自ら彼を探すようになった。

 共に過ごしていく時間は笑顔という幸せで満ち足りた時間だった。


 それを彼は覚えていないけれど、致し方ない。

 魅剣羽亮の記憶を消したのは、紛れもない私自身なのだから。



『―――』



 ふと背後に目をやれば、岩の上で不貞寝する虚空がいる。

 図星を突かれて口籠る、照れ隠しの癖は相変わらずで、苦笑してしまう。


 変わっていくモノもあれば、変らないモノだってある。

 羽亮もどちらかと言えば、後者なのだろう。


 純粋すぎて変わっていく周りに置いてきぼりにされ、歪められてしまった。

 変わる前の過去に囚われ、ずっと取り残されている。


『一緒、か……』


 大切な人を失った悲しみと一人ぼっちの寂しさ。

 ただ切なく、癒えることのない孤独の痛み。


 思い出に浸り、不毛な毎日を垂れ零す。

 きっかけさえあれば、立ち上がることだってできる。


 けれど、それは強者にしかできない自らの変革。

 羽亮にとって、変わらないと変われないは表裏一体。


 自分が変われば、過去を忘れてしまうようで怖い。

 変わらない自分でいれば、思い出は色褪せない。

 死に絶えそうな今よりも、幸せだった過去を思えば、今を生きられる。


 そうやって、偽りの強さを身に着けている。


『羽亮……』


 大切な人を取り戻したいと、生きる目的を定めていても、自分を偽る言い訳に過ぎない。


 仮初めの強さを手にしたところで、孤独が癒えることはない。

 とても弱い動機だから、いつ崩れ去ってもおかしくはない。


 死に際になると、平然と諦めるような人なのだ。

 誰かが傍で見ていてあげないと、知らぬ間に帰らぬ人になっている……なんてことになりかねない。


 羽亮には前科がある。しかも二回。


 失う恐怖を知っていながら、悲しんでくれる存在に気づかないふり。

 他の誰かにご執心で、自分を見てくれたのは最初だけ。


 毎日毎日、自分ではない誰かに思いを馳せている。

 洗脳や呪いの類にかかっていると疑いそうになるほど、一途でいる。


『妬けちゃうなぁ、ほんと……』


 その純粋さが眩しく、時に恐ろしい。


『羽亮は……』


 世界は醜く汚れている。

 綺麗事ばかり並べる大人たちによって構成されている。


 見てくれだけの偽善が蔓延った現実に屈した者たちの集合体。

 触れてしまえば、否が応でも逆らえない濁流に呑み込まれていく。

 純粋であればあるほど、敵わなかった時の絶望は大きく、闇に染まる。


『羽亮は……』


 人々に忌み嫌われ、一人ぼっちで生きた屍のように現存している。

 誰の言葉も届かず、信じ切れないでいる。


『大丈夫、だよね?』


 だから羽亮も彼のようになってしまうのではないかと、嫌な想像をしてしまう。


 優しい心持ちでありながら世界に歪められ、全てを見限り憎んだ存在。

 悲しそうな表情をしながら、何の躊躇いもなく平然と殺戮を繰り返す。



 そんな彼に――。



『ぇ……』


 ふと見上げた作り物の空に目を疑う。


 外にいる羽亮の意識が闇へと溶けている。

 背後を見れば、胡坐を掻いた虚空が自分の仕業ではないと首を振って否定している。


 再び天を仰げば、一滴の黒い雫に荒れ狂う暗雲が黒い霧となって纏い、渦を巻いている。

 やがて繭となり、薄く透けた壁の中に一人の影が姿を見せる。


『羽亮……っ!』


 実体にいたはずの意識がこちら側の世界で眠りに浸かっている。

 先ほどの粒は闇の種子であり、羽亮の心象魔素である闇が爆発して自身を侵食している。


 実体を操る意識を外界とするなら、奥底に潜んだ別意識は内界と言ったところ。

 闇に連れられて、意識が外界から内界へと引きずり込まれた。

 ならば今、外界は意識がない状態であり、実体が独立するなんてことはあり得ない。


 しかし外で、実体から大量の闇が放出され、羽亮の身を包み込んでいる。

 内界に意識はおり、外界は操縦士のいない肉体が動作している状態である。


 それはつまり、羽亮の闇が暴走していた。


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