第二章1  『旅の始まり③』

「―――」



 ゆらりゆらりと伝わる振動。

 瞼そっと開けた先、知らない背中と動く景色が目に入る。



「――お、目覚めたっすか」



 誰かはわからない、刈り上げたような黒い短髪の少年。


 歳はきっと同じくらい。

 白いタンクトップからはみ出た腕は筋肉質で、細身な身体に負ぶられていながら、落ちる気がしない安定感がある。


 そしてどこか、懐かしい匂いがする。


 何よりも気になるのは、陽気な彼の笑顔。


「猿……?」


「寝起き早々、口悪いっすねあんた……。まぁ、あながち間違ってないっすけど……」


 苦笑して怒らないあたり、猿とは違って温和なようで。

 失礼なことを言ってしまったわりに罪悪感は生まれなかった。


「おいらの名は『猿山縁間さるやまえんま』。あんたの名前は?」


「『魅剣羽亮みつるぎうりゅう』」


「『うりゅー』っすか~。呼びにくい名前っすねー」


「初めて言われた」


「えぇ?そうっすか?」


「うん」


 名前に対してのちょっとした不満。

 何気に自分も思うことではあったが、面と向かって言われることはなく。

 猿山との会話に新鮮味が湧く。


「うりゅーは、貴族っすか?」


「……?」


「その恰好。ここじゃ珍しいっすから」


 どう答えるべきか、少し迷う。

 ただどう答えようと、変わりようのない事実が一つ。


「平民だ」


「へー……」


 何を疑っているのか、猿山の声色は低く。

 そのわけを何となく察する。


 こんな荒野で倒れている人間を怪しまない方が可笑しいだろうと。

 同士であれば、尚更であろうと。


「旅芸人っすか?」


「芸人じゃない」


「旅はしてるんすね」


 猿山の質問攻めは不思議と悪い気がせず。


「旅立って、3日しか経ってないけどな」


 だから自然と、聞かれていないことまで口にしてしまう。

 それほどまでに情報収集かいわが上手いことに感心する。


「……家出っすか?」


 いけない引き出しを開けてしまったのではないか。

 深刻な話題になるも、こちらは変わらず平然と対応する。


「家は……ない。俺、孤児なんだ。2年前まで教会にいた」


「2年前?」


「フェザーに襲撃された。そっからは貴族に拾われて……」


「あ~、なるほど」


 淡々と答え、納得したのか、猿山は無邪気に笑う。

 その後、感慨深く浸り込む。


「……うりゅーは、素直っすね~」


「そうか?」


「警戒心なさすぎ。そういうの、気を付けた方がいいっすよ~?」


 あしらうように危ぶまれ、共感する。

 が、さして心配はいらないと思えている。


「それはたぶん、大丈夫だ」


 何を持ってして、言い張れるのか。

 猿山は含み笑いを浮かべる。


「その心は?」


「俺は、聞かれないと、答えない」


「なんすかそれ」


 『結局、答える』ということに猿山は吹き出す。

 けれどそこには少し、語弊がある。

 それをちゃんと、説いておこうと思う。


「お前なら、大丈夫な気がした」


 意外だったのか、猿山は途端に口を噤む。

 しばしの間を空けて、猿山の明るさが薄く染まる。


「……どうして、そう思うんすか?」


 見なくても想像のつく表情。

 言わなくても背中が何よりも語っている。

 同類だと、察せられる。


「同じ匂いがしたから」


 黄土色のズボンから抜け出た裸足と、ほのかに漂う泥の臭い。

 平民特有の小汚さが、かつて自分も味わっていたもの故に。


「着いたっすよ」


 気づけば目の前に小さな街があり、背中から降ろされる。

 西部劇のような寂れた街並み。行き交う村人の声。



 入門に建てつけられた看板には、赤く消えかかった文字で『賑わいの街――《プロスパー》』と記されている。



 近くに生い茂った山があることから、狩りをして生計を立てているのだと悟る。



「――あー!猿だー!」



「――ほんとだー!猿だー!」



「――おーい、猿ー!」



 幼気な子たちが次々と声を上げ、血気盛んに集まってくる。

 次第に猿山の周りは囲まれ、身動きが取れなくなる。


てててててて!だからおいらは猿じゃねぇって!」


 手足を掴まれ、足を引っ張られ、戯れる姿に和まされる。

 猿だと言われて怒らなかったのは、身近で呼ばれる愛称だったからなのだと腑に落ちる。


「この人だ~れ~?」


「貴族~?」


「真っ黒~!」-


 会話の矛先が自分に向かれ、瞬きをする。


 正直、何と答えればいいのか。

 真顔で子供たちを見回すと、綺麗なブロンドヘアをした内気そうな少女を見つける。


 その佇まいはまるで、昔の自分を見ているようで。

 薄く微笑んで、自然と彼女の頭を撫でていた。


「この人は、おいらのお客さんっす」


 すると猿山は、助け舟を齎すようにニヒッと笑う。

 撫でた少女は気恥ずかしそうにしていて。


「猿~!」


「バイバーイ!」


「またね~!」


 嵐のように過ぎ去る子たちは元気の塊で。

 釣られて離れていく少女は、笑顔でこちらに手を振っていた。


「おう、またな」


 見送りが終わり、一息つく。


「さて」


 吹っ切れたようにこちらを向く猿山。


「これからどうするっすか?」


 何をしようか。

 とりあえず、宿屋を見つけるべく、猿山に尋ねようと思う。


「宿屋は……」


 言いかけて、お腹の虫が鳴り、視線を落とす。

 そういえば、何も食べていなかったのだと、無関心にも忘れていた。

 そこに猿山は、微笑ましそうに合図する。


「ついてくるっす」


 街を歩いてしばらく。

 近くにある酒場へと辿り着き、テーブルの上に並んだ肉やサラダを貪り食う。


 鶏の丸焼きを食い千切り、頬袋に詰め込む。

 久しぶりの料理の美味さが、口の中いっぱいに広がっていく。


「ふんうぇ」


「ちょっと何言ってるかわかんないっす……」


 ようやく租借し終わり、飲み込む。


「うんめぇ」


「それは良かったっす」


 思わず零れた台詞を言い直し、今度はサラダに手を付ける。

 肉の油を緩和させるようにシャキシャキとした野菜の瑞々しさが舌を唸らせる。

 自然と頬は緩み、猿山は嬉しそうにこちらを眺めている。



「――山賊だー!山賊が来たぞー!」



 途端、男の叫び声が聞こえ、街の空気が一変する。

 目の前にいる猿山は険しそうに顔を顰めると、そっと立ち上がる。


「ゆっくりしててくださいっす」


 そう言うと、店を出ていく猿山。

 ただ意識は食事に夢中で、完食することだけを頭に置いていた。



「――ギャハハ!今日はどうしてやろうか!」



「――酒に女!これだけは譲れねぇ!」



「――街破壊もいいなぁ!」



「――金銀財宝、奪い尽くせぇ!」



 いかにも悪人とでも言うような声が耳に入った時。

 外の様子が気になり、スイングドアの向こうを覗き見ようと身体を仰け反る。


 しかし視界には何も映らず、仕方なく料理を全て銜えて素早く平らげる。

 軽く戸を開け、店の前へ出ると現れた数人の山賊と対峙する猿山がいた。


「なんだー猿?」


「俺らの邪魔しようってか?」


「けけ!やめとけやめとけ。お前じゃ話になんねぇよ」


「痛い目あいたくなきゃすっこんでな」


 舐め腐った者共の言い分に猿山は強く拳を握っている。

 そうとう怒りに来ているのだと見て取れる。


「……お前らの好きにさせるわけにはいかないっす」


「あぁ?」


 呟くように放った一声。

 少しずつ、恐怖に立ち向かう勇気を奮い立たせている。


「お前らの所為で、みんな迷惑してるんす……!」


「は~あ?」



「大人しく出ていくっす!さもなくば――」



 誰かのために。守るために。

 猿山は怒りを力へと変えていく。



 ――けれど、



「ぐふっ」


 山賊の膝蹴りが勢いよく猿山の腹に入り。

 そんなものは、儚くも虚しく散る。


「さもなくば……何だよ?」


「力、づくで……」


 それでも倒れず、猿山の目から闘志は消えていない。


「聞こえねぇんだよ」


「がはっ」


 力の差は歴然。

 今度は頭を蹴り飛ばされ、地面へと転ぶ。


「お前、誰に向かって口利いてんだ?ああ!?」


「うぐっ」


 横になった無防備な猿山を足で甚振り、身体のあちこちに痣や傷がどんどん出来上がる。

 周りは怖気づき、助けられない自分を悔いながら、顔を背けることしかできずにいる。

 次第に痛めつけられる猿山が見るに堪えなくなってくる。


 子供だろうと関係なく、力あるモノが全てだと。

 昔、自分も味わった痛みを彷彿とさせる。


「凛……」


 いじめられてばかりだった幼き頃。



 いつも助けてくれていた、血の繋がりのない優しき兄――りん



 温和な性格で、怒ったところを見たことがないほど大人びていて。


 同い年とは思えない、陽だまりのような存在。

 フェザーの襲撃後、シスターを追うように姿を晦まして。


 もうどこにいるのかさえ、わからないけれど。

 凛に自分が救われていたという事実。

 重なる光景に今度はこちらが手を差し伸べる番だと、その場へと踏み入る。


「何だテメェ?」


 山賊が次の一発を放つ寸前で間に割り込み、辺りの視線を一緒くたに浴びる。

 空気はより一層、不穏なものと化す。


「おめぇもそこの猿みてえになりてぇってか?」


 どこまでも人を下に見た態度。

 貴族が平民を見下すように弱肉強食という平民の底辺争い。

 何も感じないはずの自分に久しく腹立たしいという気持ちが湧いてくる。


「やめるっす……羽亮……あんたの敵う相手じゃ……」


 地面に這いつくばり、怪我を負わされながら、尚も他人を思いやる。

 子供に優しく、見ず知らずの自分を助け、食事までご馳走してくれる。


 そんな猿山の筋金入りのお人好しぶりに頬が綻ぶ。

 こっちは相手の心配をしているというのに。


『この世に悪人なんて存在しない。ただ育った環境が悪かっただけ。元は皆、純粋な子。大人になるにつれ、現実に歪められた可哀そうな人たち。だから、許してあげて』


 握りしめた拳を制止させるシスターの記憶。

 許せるわけがないだろうと動くのにシスターの手が放してはくれない。


『やられたからと言って、やり返したら相手と一緒。同じことをしてはダメ。誰かを傷つけるためじゃない。誰かを守るために力を奮って』


 蘇る教えが、自分の気持ちを改めさせる。

 甘い考えだと、誰もが思う。


 それでも、大好きな人の言葉だから、裏切ることはできない。

 かと言って野放しにしても、同じことが繰り返される。



 ならば――、



「半殺しでいいか……」


 守るための力。

 同じ言動を持って粛清し、相手の気持ちを理解させ、反省を促す。


 これならば、シスターも容認してくれるだろうと。

 そう思うと、シスターの手がそっと離れる。


 後ろへと振り返れば、困ったように苦笑するシスターの影が映って。

 消えゆく幻に笑みが零れた。


「おめぇら、やっちまえ!」


 不意を突いてか、一遍にかかってくる山賊たち。

 飛んできた右ストレートを仰け反ってかわし、反対側から木製の鈍器が接近しており、しゃがんで回避すると、拳を振るった者の頭部へと直撃する。


 今度はサーベルナイフを振りかざす者が現れ、腹に蹴りを入れて弾き飛ばす。

 殴りかかる者は、受け流して地面へと投げつけ。

 背後から剣を構える者には、態勢を低くして剣を空振りさせ、お留守な足元に回転蹴りをぶつける。


 そうやって、避けては一撃で仕留めることを徹底し、十人ほど薙ぎ払って、ひと段落する。


「あの人数を一瞬で……!」


「何なんだこいつ……!」


 驚愕する一同。

 こちらとしては、身近に圧倒的速さで即死させられた者を内に飼っているため、山賊たちの攻撃はのろく、少し物足りなく感じる。


 さらに言えば、その彼と同化してしまっているため、思考速度・身体速度は増し、人の頃の比ではない。


 そのため、山賊たちとの攻防は蟻を踏み潰す程度のものだった。


 こんなことをシスターに言えば、反感をくらいそうではあるが、頭の中に浮かんだのは頬を膨らまして機嫌を損ねる可愛らしい姿であり、悪くはないなと口元が緩んでいた。


「てめぇ!覚えてろよ!」


 気づけば視界に山賊たちが尻尾を巻いて撤退する光景が映っており、茫然と立ち尽くす。

 背後へと目を向ければ、手負いの猿山が腕を抑えて立っていた。


「羽亮、あんた……」


 鳩が豆鉄砲を食らったかのように猿山は暫し間抜けな顔をさらす。

 呆気にとられ言葉が出ないのか、こちらは軽く笑って対応する。


 すると物陰に隠れていた子供たちが現れ、建物に身を潜めていた街の大人も顔を出し、身の回りが笑顔で包まれる。


 一番に飛び込んできたのは、先ほど頭を撫でた内気な少女だった。

 満面な笑顔で円らな瞳を向けられ、無邪気に抱きついてくる彼女が微笑ましい。

 何故か頭にソラの剥れた顔が浮かんだのが不思議だが。


 ふとして華聯のことも思い出し、釣られて《レイヴン》での日々を思い出す。



 そして、シスターのことも――。



「なぁ……」


 記憶を遡り、思う。

 この街は山賊により困っている。


 シスターならば、救いの手を差し伸べるだろうと。

 兄である凛ならば、迷わず山賊に立ち向かい、撃退したであろうと。

 自分の行動は、教会で育った日々によって形作られている。


 それを土返しにしても、単純にほっとけないのだ。

 脅威によって苦しめられ、辛そうにする人々が。


 弱く泣き虫であった自分だから、同情しているだけなのかもしれない。

 それでも、思うのだ。


 彼らを助けたいと。


「講義、してやろうか?」


 自分にできることなら、何でもしてあげたい。

 自分を慕い、頼ってくれる人がいるならば、それで笑顔になってくれる人がいるのなら、迷わず力を貸そう。


 辛いのは自分だけでいい。

 周りには笑顔でいてもらいたい。


 ただ、そう思うのだ。


「へ?」


 そんな思いなど知る由もなく、猿山は目を点にする。


 この街で一番度胸があり、信頼を持つ男。

 彼が用心棒として皆を守れる存在となったなら。

 想像するだけで、笑みが零れる。


 もしかしたら、あの頃のシスターもこんな気持ちだったのではないかと。

 どこまでも広がる青い空に思いを馳せる。


 そうして、『魅剣羽亮』の指導が始まる。


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