第二章1  『旅の始まり②』

 外の光景をまるで自分が目にしているかのように察知する。

 朧気で暖かな空間に取り込まれ、目を瞑ってもいないのに暗幕に包まれるような視界の感覚が頭にある。


 自分でありながら、自分ではない。自分ではないが、自分でもある。

 言葉遊びのように彼の意識下で、自分は存在している。


 彼の肉体が滅びれば、中にいる自分も死ぬ。

 しかし自分が消えても、彼が死ぬことはない。

 ただ意思疎通が可能ではあるはずなのだが、それができることを彼は気づいていない。


 忌々しくも彼を通じて外の状況を眺めているだけの状態。

 居心地が悪くないわけではないが、心中までは良くはない。


 彼に敗北し、彼の中に封印されるという失態。

 どうにかしようにも自分では何もできない。


 まさに籠の中の鳥。


『……ったく、だらしねぇな』


 そんな今に不貞腐れながら、ため息が零れる。

 暖かな黄金色に包まれた意識の空間で、外で実体が倒れ、宿主である彼がこちらの世界へとやってきたことに呆れる。


『こんな人間のどこがいいんだよ』


 彼の中へと封印され、五日。

 意識を通して外での出来事を眺め続け、宿主がどういう人間なのか把握し。

 その軟弱さに見ているだけで、苛立ちが絶えなかった。


『えー、可愛いじゃん。ネコみたいで』


 それを彼女は嬉しそうに受け止めている。


 金色に輝く長髪を垂らし、碧眼を輝かせ、同じ空間にいる少女。


 彼女を探し、取り返すべく彼に挑んで返り討ちに遭い、生まれた現状。

 彼女を救うべく動いていたというのに。

 彼女は悪びれることなく、無邪気に笑う。


 自由奔放さは昔からのため諦めがつくが、納得はいかない。


 何故なら彼女の膝の上に彼の意識が横になっているから。

 眠りにつくことで潜り込んできた彼の意識に膝枕をして、愛でるように頭を撫でて。


 何度も思う。

 こんな人間のどこがいいのかと。


『優しすぎて、誰にも迷惑をかけまいと、一人で抱え込んで……支えてあげたくなる』


『いいじゃねぇか、男なんだし』


『わかってないなー。羽亮は子供なんだよ?』


『はあ?』


 しんみりと、何を言い出すかと思えば。

 大人びた彼のどこが子供なのか、わかりかねる。


『生きるために自分だけが頼りで。頑張って、頑張って。心はいつも悲しみに暮れている。平民というだけで皆から嫌われちゃってさ……私たちみたい』


 彼に自分を重ねてか、彼女は傷心に浸っている。

 フェザーというだけで、迫害され続けた毎日。



 付き纏う――孤独。



『やっぱり、頑張ったからには、褒めてほしいよね』


 哀れみながら撫でる手は優しく。

 零す笑顔は、薄く儚げで。


 自分の目に映った『魅剣羽亮』を振り返る。


 平然と、誰にでも分け隔てなく接する気立ての良さ。

 育った環境がそうさせたのだろうと理解できる。



 ――しかし、



 それとは裏腹に潜む影。


 過去に家族を失い、常に一人ぼっち。

 自分だけが頼りだから、全てを一人でこなす。

 周りからは、それが彼にとって当たり前なのだと片づけられている。


 本当はただの、泣き虫なのに。



『―――』



 救いの手なんて何もない。


 大事な人にさえ迷惑をかけて。

 自分は救われてはいけない人間なのだと決めつけて。


 同じことが繰り返されることに恐怖している。


 失う痛みを味わうならば、何も持つまいと一人になる。

 それでも何かに縋ろうとするのは、今を生きるため。


 とても弱い動機。


『子供、か……』


 孤独の痛みを知った、同じ穴の狢。

 親近感の所為か、封印された恨みは淡く消えかかっている。


『ふふ』


 お世話好きな性分なのか。

 ただ『魅剣羽亮』が好きなのか。


 彼女は彼に夢中のようで。

 呆れるように肩を竦めた。


「ん……」


 眠りに入った意識が戻りかかっているのか。

 こちらの世界の彼が目を覚ます。


『おはよう』


 それを祝福するかのように彼女は優しく笑顔で迎え入れる。


「ソラ……」


『……?』


 覗き込む彼女の顔を目に彼は呟く。

 もしかしなくとも、彼女に対して呼び掛けているようで。

 それが少し、疑問だった。


天白あましろソラ。私の名前だよ』


 顔をこちらに向け、無邪気に恥じらう素振り。


『ふーん……』


 人間に名を付けてもらうフェザーなど前代未聞で。

 何故か少しだけ、秘かに羨ましいと思う自分がいた。


『そうだ!』


 何を思いついたのか、彼女は手を合わせる。


『羽亮に名前つけてもらったら?』


『は?』


「へ……?」


 突然の閃きに起き上がる彼と視線を交わす。


 とても間抜けそうな表情。

 こちらは自然と眉を顰めてしまう。


「……?」


『……』


 どうするとでも言いたげに見つめられ、慣れない事態に頭を掻く。

 数秒の時が流れ、逃れられない空気にため息を吐く。


『……変な名前にしたらぶっ殺すぞ』


 考えた末、何故かそう答えてしまっていた。


「わかった」


 表情一つ変えることなく、彼は平然と了承すると、しばらく考え込み。


「じゃあ……『黒喜羽虚空くろきばこくう』」


 くろきば・こくう。

 それがどういう字を書くのか、聞く前に彼は指で文字を綴り、何もない空間に光る単語が浮遊していた。


『『黒喜羽虚空』……』


 今までずっと、名無しのフェザーで。

 《黒翼》なんていうコードネームで存在を示して。


「よろしくな、虚空」


 けれど今、彼によって誰でもない自分の存在を認められようとしている。

 ようやく、世界に降り立ったような実感がする。


『……けっ、悪くねぇな』


って」


 差し伸べされた羽亮の手を握ることなく弾き返す。

 それを羽亮は怒ることもなく、嬉しそうに苦笑していた。


『よかったね』


 傍から眺めるソラも、笑顔でいた。


「ん?」


 消えかかった彼の意識体。

 外の彼が目覚めようとしており、意識が実体へと引き戻されようとしている。


「また、会えるかな……?」


 羽亮のちょっぴり寂しそうな表情に今度はソラと顔を見合わせる。

 同じ気持ちだったのか、不思議と互いに頬が緩む。


『意識を集中するだけだから。会いたくなったらいつでもおいで』


「そうか」


 安堵するように笑みを零し、羽亮の意識が昇っていく。

 吸われるように光の柱を伝って、こちらを見下ろして。


『……なぁ、一つ聞いていいか』


「うん?」


『この名の意味は、なんだ?』


 人が名を授けるとき、何かしらの意味を与えると聞いたことがある。

 羽亮はどういう意図で、『黒喜羽虚空』という羅列をつくったのか。

 それを別れ際に問えば、彼は途端に微笑む。


「黒い羽のフェザーは悪魔みたいで、嫌われている。たとえ嫌われていても、羽は羽。それがどうであれ、人々にとって翼は、自由の象徴でしかない。お前は大空を羽ばたける喜びを知っている。だから、ソラと同じ空を象らせた」


 彼女と同じ空。

 それはまるで、『お前は幸せ者だ』と語りかけているようで。

 今までで一番、自分が誇らしく思えた。


『お揃いだね』


 こちらを覗き込むようにソラは頬を綻ばせて。

 気恥ずかしくなり、背を向ける。

 羽亮を横目にすれば、消える寸前で。


『そうだな』


 ただ悪くはないなと、素直に思う。

 三人揃って、笑みを零す。


 そうして羽亮は、元の自分へと帰って行った。


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