第一章8  『亀裂①』

 ――数時間前。



「……ん」


 夕日が眩しく、ふと花園華聯はなぞのかれんは目を覚ます。


「ここは……」


 辺りを見回し、頭を伏せていたベッドを目に徐々に記憶が蘇る。

 ここは保健室で、自分は大切な人が運ばれたことを耳に駆け付けたのだと。


「あれ……羽亮!?」


 だがここに肝心の彼がいない。

 どこにいるのかと、慌てふためいてしまう。


「起きましたか」


 そこに聞こえる馴染み深い声。



 振り返れば、黒陰国学院の魔術講師である父――『花園彦内はなぞのげんない』が椅子に腰掛け、読んでいた本をパタリと閉じていた。



「彼なら先に帰りましたよ。如月くんや月島くんも帰らせました。あとは華聯だけですよ」


「えぇ!?」


 寝てる間に皆いなくなり、少しの寂しさを噛み締める。

 けれど父を前にすると、色々な思いの方が勝っていた。


「ねぇパパ」


「なんですか?」


「どうして羽亮の一人暮らしを許したのよ!」


「またその話ですか……」


「それだけじゃない!今日羽亮が呼び出されたらしいじゃない!」


「それは彼が遅刻したからですよ。一人暮らしも、彼が申し出たことです」


「納得いかない!」


「我が儘な子ですね……そんなに彼が好きなら、手放さないようアプローチすればよいでしょう?」


「なっ」


「私は反対しませんよ。彼は優しく、真面目で、誠実ですしね」


 いつも冷静沈着に丸め込まれる。

 その言い分はもっともで、図星を突かれて赤面する。

 だから会話を逸らそうとする。


 それがいつもの流れだった。


「けれど、危うくもある」


「へ……?」


 それを彦内は許さないと言うように眉を顰めていた。

 どこか困り気な暗い表情だった。


「彼は賢い。自らを過信することもなければ、自惚れることさえない。どこか周りと違う」


「ふふん。そうでしょう、そうでしょう」


 父の並べた言葉は的を射ていて、得意げに頷く。

 それが羽亮の良いところだと、自分のことのように嬉しく思えていたから。


 しかし彦内は呆れたように苦笑する。

 何を否定するでもなく、瞳は遠くを見つめていた。


「きっと、彼が平民だからなんでしょうね」


「パパ……?」


「平民だから、地位や名誉などを何も持たないから、貴族のように人を見下すことがない。どこまでも自由でいられる彼が羨ましいです」


 しんみりと、貴族だから、平民だからと見解を語る玄内は傷心しきっていて。

 何があったかは知らないけれど、頭の良い父にしてはとんだ間違い発言だなと思う。


「……それは少し、違うと思うよ」


 だから否定することに迷いはなかった。


「え?」


 わからないとでも言うのか、彦内はキョトンとする。

 家族だというのに近すぎて見えなくなっているのか。


 ずっと傍で見てきた自分がいつも感じていたこと。



 羽亮はただ――。



「何もないから、いつ消えてもおかしくない。ただ、それだけだよ」


 家族を失い、何をするにも一人ぼっち。

 その傍にいても、浮かべる笑顔はどこか悲しげで。


 仇であるフェザーへの復讐。

 ただそれだけを拠り所としている。


 まるで、生きる目的とでもしているみたいに。


 生きる理由を取っ付けて、縋っている。

 そうすることで、繋ぎとめている。


 救われた命を見す見す捨てぬように。


 自ら、死を選ばぬように。


「生きるとは、難儀なものですね」


 悟ったように笑みを零す父の表情は、少し明るく。

 重たい腰を上げるように立ち上がっていた。


「さあ、私たちも帰りましょう」


 いつも通りの笑みを零す父に安堵し、保健室を後にする。

 黄昏時に照らされる父の背中はどこか、寂しげに映っていた。


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