第一章7  『片剣を手に――①』

 暗闇の広がる空間。

 月夜の明かりだけが唯一の光。

 そこに名残惜しくも辺りを見回して微笑する。


「結局、ほんの少ししか、いれなかったな」


 今日一日でいろんなことがあった。

 まさかこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 人生何があるかはわからない。



 ――でも、



「これで、よし」


 動かしていた手を止める。

 ペン先から漂うインクの匂いが鼻孔を擽る。


 一人暮らしには大きすぎる3LDK。

 そのダイニングテーブルにそっと、それを添える。


 そして部屋に置いておいた鞄を目に確認する。


 準備はできた。

 必要最低限の物は入れた。



 あとは――、



 ベッドへと腰を下ろし、時計を見る。

 チクタクと音を立て、黒い針と針が重なり合う。


「行くか」


 鞄を背負い、靴を履く。

 いつも通りの動作。



「―――」



 誰もいない家。

 だから挨拶はするだけ無駄で、静かに玄関の戸を開けた。



 外へ出ると、綺麗な星が広がっていた。

 まん丸お月様が顔を出し、街の灯りは消えている。


 時刻は真夜中の12時過ぎ。

 こんな時間帯に家を出るのは初めてで、少しワクワクしている自分がいる。


 自分はまだまだガキなのだと、そう思わされた。


「……」


 止まる足。

 そこには案の定の建物があり、思わず頬が緩んでしまう。


 そして待ちきれず、ドアを叩く。

 これでもかというように。


「すみませーん」


 するとドタバタという階段を駆け下りるような足音が聞こえると、目の前にあったはずのドアが消え、叩こうとした手が空振りした。


 その手を目に、ゆっくりと顔を上げてみれば、鬼の形相で佇む老人がいた。


「てめぇ今何時だと思ってんだぁああああああっ!!」


 バカでかい怒鳴り声。



 ――だが、



 そうなることは予めわかっていたため、叫び終わったのを機に着けていた耳栓を外す。


「約束通り明日になったぞ、爺さん」


「あぁ?」


 指を差し、背後のカウンター付近に飾られた時計を一瞥する老人。

 先ほどのお返しだとでも言うような屁理屈に店主は嘆息する。


「……梶鉄船かじてっせん


「……?」


「俺の名だ」


 不愛想な名乗り。

 その不意に滲み出る不器用さに、呆気に取られ、


「俺は、魅剣羽亮みつるぎうりゅうだ」


 含み笑いのあいさつとなった。


「……ついてきな」



 さっきぶりの店――『GOVERN《ガヴァン》』。



 暗がりの廊下を突き進み、石畳の床を踏みしめる。

 次第に辺りは真っ黒に染まりあげ、目に入るのは前を歩く老人とその先を照らす光のみ。


 長く長く続くそれは、彼此20分にも亘り、ようやくというように眩しい光が身を包んで、晴れた先にあったのは、


「……っ!」


 だだっ広い大地だった。


「なんだ、ここ……」


 青い草原。爽やかな風。


 何に一番驚いているかと言えば、先ほどまで夜だった空には、照り付ける太陽が昇っているということ。



「ここは世界の裏側――《オブリビオン》」



「裏側……」


「そう……その名の通り、忘れ去られた地。昔、天魔共が暮らしていた都さ」


「それって……」



 ――オブリビオン。



 それは絵本に描かれた異世界、いわば聖地。


 そこに感慨深く思考を働かそうとすれば、彼の足は森の奥地へと進んでいき、その背中は『行けばわかる』と物語っていたため、黙ってついていくことにした。


 森を抜けた先、そこは案の定の場所だった。

 中世の趣のある建物が瓦礫となり、蔓に覆われ、苔が生えている。

 見れば崩壊した集落だと誰でもわかる。


 ただ一つとして違うのは、大昔に天使と悪魔と妖精が戯れていたとされる聖地であり、人ならざる者が住んでいたということ。


 奥へ進んで行くと、半壊で止まった教会がある。


 白い石壁に包まれた、光指す空間。

 中に入れば、背に翼を生やし、剣を掲げた石像がある。


 それを茫然と眺め、惹かれる。


「英雄……」


「あぁ?」


「これ……」


 視線で訴えかけるも。不確かな疑問を鉄船は放置する。


 何をしているかと思えば、床に刻まれた魔法陣に気づき、彼はそれを起動させようとしているのだと悟った。


「お前さん『BestWish』って本、知っているか?」


「ああ」



 ――『BestWish』。



 それはこの世界に伝わる有名な絵本のこと。

 子供の頃に誰でも読み聞かされるような童話であり、心惹かれる物語。


「じゃあどうして、そんなタイトルか知っているか?」


「え?」


 何気ない質問に首を傾げる。

 意味としては、『たくさんの幸せが訪れますように』とシスターから教えてもらった。


 どうしてそんなタイトルなのか、昔シスターに尋ねたことがある。

 けれど困った表情をするだけで、答えてはくれなかった。


 他の誰に聞こうと、反応は同じで。


「そりゃあ誰も、真実を知らねぇからだ」


 鉄船はその疑問を晴らすように口にしていた。


 あの絵本の中に含まれた謎。


 昔から受け継がれてきた物語が、いつから伝わって来たのか調べる学者もいるが、結局のところ何もわかってはいない。


 誰も、それを知らない。


「一つの剣が分離し、二人の英雄を生んだ。それは後の黒陰国と白陽国を現す。終わることなく対立し、戦争を繰り返して、たくさんの血が今も尚、流れ続けている」


 確かに黒陰国も白陽国も、歩み寄ろうとはせず、学院の授業や進路にも兵士としての道が存在している。


 誰もが何かしらの期待を抱き、戦うことで何かを証明しようとし、あっけなく死んでいく。

 終わってほしいと思う人もいれば、仕方がないことだと諦めて、悲しみに暮れている。


 反逆者は罰せよという法律により、誰も逆らえずにいる。

 『レジスタンス』が結成されているという噂もあるが、今のところ何の変化もない。


 そんな国の状勢を考えると、ただ一言『おかしい』と思うも、何もできないという現状があるだけで、これが国民共通の悩みだと理解した。


「その最前線で兵を率いるは国の大将であり、英雄の末裔だった。だが今はどうだ?英雄でもない国の上同士が、終わることのない戦争に何の疑問も抱かず、当たり前のように敵国だと決めつけている」


 戦争が当たり前の時代。

 魔法や技術の発展が全て、戦争のために活かされている。


 国の対立の起源が絵本の通りなのだとすれば、英雄がいて平和を齎す。

 しかし上にいるのは兵を盤上の駒のように扱うだけの貴族であり、国のトップ。

 表の顔は平和主義者でありながら、戦いの場では非情である支配者。


 どこにも、英雄など存在しない。


「ただ国が違うだけで、同じ人を殺めている。何も知らないヤツが勝手に踊って死ぬなんぞ、バカな話だ。それが国同士で行われてんだ。愚の骨頂だろ」


 戦争が生まれた頃からの日常となっている。

 止めようにも止められず、皆の心は麻痺している。

 誰も疑問を抱かないでいる。


「それを救えるのが混合主ミクスの存在だ」


 また聞くミクスという単語。

 意味としてはフェザーと同化した者を指すと、数時間前に説明された。


 英雄、天魔、妖精、加えてフェザーという羽を生やした生命体。

 何がどうして繋がるのか、その答えがたった一つの本に秘められている。


 それを鉄船は知っている。


「英雄とは、天魔の力を宿し、翼を生やしたフェザーであり、片剣へんけんに選ばれた者。絵本に描かれた戦争とは、片剣へんけんを元の一本へと戻すために英雄が始めたもの。フェザーとは、英雄が生み出した『人』である」



「―――」



 淡々と告げられる真相に唖然とする。


 英雄は人ではなく、自分と同様のミクスである。

 所々、絵本と似ている部分があるため、理解は行く。

 けれど驚いたのはそこではなく、最後の言葉。


「フェザーが、人間……」


 人型生命体と人から恐れられる翼を持つ者が英雄によって生み出されたモノ。


 その正体は、人間。


 憧れた英雄は、酷く残酷なことをする。

 何を持ってして、そんなことをしたのか。

 それが理解できない。


 そしてふと、鉄船の台詞から一つの疑問が浮かび上がった。


片剣へんけんを一つに戻すための戦争……」



「―――」



「元の一本に戻したとき、どうなるんだ?」


 英雄たちが齎したのは、平和ではなく終わりなき戦争。

 人をフェザーにしてまで、英雄が手にしようとしたモノ。


 英雄の戦う理由とは、何だったのか。

 時代錯誤の末に忘れられ、伏せられた謎がそこにはある。


「『BestWish』……」


「……?」


 ふと絵本のタイトルを呟き、鉄船は遠くを見る。

 それはどこか、寂しげな佇まいだった。


「『一つ。刀剣とうけん手にし者、誓い違うこと許さず』『一つ、刀剣とうけん戻りし時、世界に王現る』『一つ、王、森羅万象を手にす』」


 鉄船は石像に刻まれた文字を読み上げ、それを答えとする。

 しかし文脈からしても、何となくしかわからず、意味までは把握できなかった。


「んじゃ、ここからが本題だ」


 頭を掻き、鉄船は魔法陣の中へ足を踏み入れる。

 煙草を手にライターで火をつけ、こちらへと飛ばさぬよう息を他所へと吹きかける。

 するとこちらに、首を振って合図し、円の中へ入ることを求めているのだと察する。


 3歩ほど足を動かし、互いに魔法陣にいる。

 この状況に何の意味があるのかと思えば、鉄船はライターを魔法陣に投げ捨てる。


「……っ!」


 一瞬にして二人を囲む炎が燃え上がり、目に映る景色は青く染まる。

 そんな中、鉄船は床に両手を添えて、しゃがみ込む。


「『刀剣を手にし者、誓い違うことを許さず』。つまりお前さんが剣を手にするには、誓約がいるんだよ」


「誓約?」


「ああ。お前さんがこの剣を手にして、何を成すのか。死ぬまでにそれを絶対に叶えなければならない。叶えることができなければ、お前はあの世ではなく、この剣に封じ込められる」


 叶えなければならない誓い。

 手にするために何を差し出すのかで、頭の中は埋め尽くされる。


 自分には、何もないから。


「さらにもう一つ。刀剣には呪いがある」


「呪い?」


 そして追加される条件。


「スペルディウスは、人の命を食らう」



「―――」



「何だ?平然としているな。まぁいい。ついでだから教えといてやるよ」


 流れるような説明に茫然とする。

 驚いて声が出ないのではなく、ただその呪いに興味が抱けなかった。

 人であろうとなかろうと、自分は既に命を殺めるモノでいたから。


「スペルディウスと対を成す、もう一つの刀剣。ヤツは記憶を食らう」


「命と記憶……」


 伝説の一振りを手にするのに守らなければならない約束事。


 扱うのにも代償が伴うものの、それ相応の対価ちからがある。

 そんなハイリスク、ハイリターンの二本が一つとなるとき、何が起こるのか。


 先ほどの一説から鑑みても、答えは一つ。

 自分の見解があっているのか、確かめるべく鉄船に問う。


「二つの刀剣が一つになったら、どうなる?」


「『一つ、世界に王現る』『一つ、王、森羅万象を手にす』……そのまんまだ」


 平然と、鉄船はため息交じりの呆れ声で最後の二節を説く。


「刀剣が一つに戻った時、それは王の誕生を意味する。光と影、白と黒、太陽と月、朝と夜……この世はあらゆるものが別たれている。その二つが合わさりゃ、人知を超える。世界を滑る王と言っても過言じゃない」


「だから、森羅万象を手にす……」


「ま、それだけじゃねぇけどな」


「というと?」


「単純に、刀剣を一つにしたモノは英雄王であり、その者にはただ一つの願いを創世神が聞き届けてくれるらしい」


「創世神?」


「創世神メサイア。世界に秩序の調和を図るべく刀剣を造った存在。教会とかで拝んでる神、あれだ」


 ふと、小さき頃の記憶が蘇り、思い出す。


 シスターが毎日祈りを捧げていた存在。

 12本の刀剣を背に6本の腕を生やした人ならざるモノ。


 あれが創世神メサイアだったのだと、合点が行く。


「そろそろ決まったか?」


 質問攻めに疲れを感じながら、鉄船は待ちくたびれる。

 どうやら準備はとっくにできていたようで、あとは誓いを立てるだけとなっていた。


「俺は……」


 世界の真実に触れ、色々と思うものがある。

 ありすぎて、情報量の多さに頭の中は整理がつかず。

 自分が成すべきこと、成せることとは何なのかと考えたとき、何も思いつかず。


 ありのままを口にすることにした。


「俺には、何もない」


「は……?」


 吐き出した一声に鉄船は唖然と声を漏らす。

 そこに誤解を招かぬよう、言葉を紡ぐ。


「ただ、会いたい人がいる。それを叶える旅につき合ってほしい」


 曖昧で不鮮明な誓い。


 自分には何もない。

 けれどたった一つ、今でも思うことがある。



 ――シスターに会いたい。



 それは叶うはずのない願い。

 しかし、鉄船の言葉から、実る術が見つかった。


 自分が死ぬとは別の蘇らせる手段。


 スペルディウスと対を成す刀を手に入れ、王となる。

 即ち、白陽国との戦争を終わらせ、森羅万象による死者の復活。


 その二つを遂げなければならない。


 楽な道のりではないのはわかっている。

 ただ少し、憧れた英雄を目指すというのに高揚感がある。

 自然と、笑みを零してしまう。


「……っ!」


 突如、魔法陣の中央から漆黒の塊が浮遊する。



 雷を迸らせ、現れた一本の剣――スペルディウス。



 絵本で見た伝説が目の前にあり、その美しさに見惚れる。

 ダイヤモンドのように洗練された艶やかな刀身。

 埋め込まれた紅色のクリスタルが魅了してくる。


『其方の願い、聞き届けたぞ』


 現れるなり、こちらへと向かってスペルディウスが刃を剥く。

 受け止めようと右手を差し出した時、剣は右腕を抉っていた。


「んぐ……っ!」


 寄生虫のように、掌に空いた風穴から土竜のように腕の中へ納まっていく漆黒の剣。


 当たり前の如く、右手は大量の血を垂れ零し、力が入らなくなる。

 再生は早いものの、激痛が伴い、使えるまでには時間が掛かりそう。

 腕はまるで刀身の色に染まるように黒い痣と赤い血管が浮かび上がっている。


 荒い息を整え、深呼吸をしたのち、鉄船へと視線をやる。

 そこには安堵するように笑みを零した姿があり、汗だくの中、やせ我慢の笑みを返した。


「そんじゃ、あとは好きにやれ」


「……は?」


 お役御免とでもいうのか、鉄船は立ち去ろうとする。


 まだ何も、教わっていないというのに。

 疲れで声を上げることができず、茫然と眺める。


「剣はお前のもんだ。使い方は習うより慣れろ、だ」


 抱えた疑問を晴らすように口を開く。

 ただそれを聞き届けたのち、視界がぼやけ身体は沈むように崩れた。


 スペルディウスに利き腕を抉られ、血を噴射した。

 昨日今日で致死量の出血で血が足りていない。

 半ば貧血気味の状態に身体は悲鳴を上げていた。


「ちっ、仕方ねぇな」


 ふと、飛びかけの意識の中、聞こえる呆れ声。

 鉄船に肩を貸してもらい、朧げに歩いていく。



 自然と目は、閉じていた――。


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