第一章4 『目覚めの片鱗』
「……っ」
止まっていたはずの呼吸が、蘇った身体によって再開される。
口の中は血の味で染まりあげ、視界は定まらず、起き上がろうにも力が入らない。
ゆっくり、ゆっくり。
ふらふらと立ち上がり、足元へと視線を落とす。
水溜まりのように溢した大量の血。
胸は案の定の再生を成し遂げているが、血の流し過ぎによりめまいがする。
顔を上げ、目の前に佇む一体のフェザーへと目をやる。
――これで、どうやってあいつを倒せって……?
「まぁ、なるようになるか……」
息を整え、相手に集中する。
ご丁寧なことに、こちらの出方を窺うように待ち構えている。
その行動から察するに、一つの推測が生まれてくる。
――こいつ……。
「……お前、
「ふ……」
「……?」
不敵な笑みを浮かべる彼。
油断のならない敵だと、本能が叫ぶ。
「何者か……お前の方こそ何者だ?」
「質問を質問で返すんじゃねぇよ……」
眉を上げて、彼の言葉に不貞腐れる。
すると何やら、その手が動かされ、必然的に身構える。
「……お前、どっちだ?」
「……っ!」
瞬時に懐へと飛び込み、鋭い拳が振るわれる。
「がは……っ」
壁へと叩き付けられ、その衝撃による痛みが全身を駆け巡る。
再生が早く、不死身のようで今は今朝と違って痛覚があるのだから、何とも言い難い。
――これじゃあまるで、ほんとに生き地獄だな……。
死ねない身体。消えない痛み。
それはもう、拷問以外の何ものでもない。
「……俺、は……」
――お前、どっちだ?
不安定の意識の中、その問いが頭の中を駆け巡る。
『俺は誰?君は誰?僕は誰?あいつは誰?』
――誰なんだろう。
ぼやけた視界。
壁に張り付いた身体がピクリとも動かない。
『ここはどこ?今何してる?』
――わからない。
何も理解できない。
ただどうすることもできず、心の中では謎の葛藤だけが続いている。
『身体はどうなってる?治ってる?怪我してる?血が出てる?ああダメだ……痛い……痛いよ……。』
――そうだな。
意識が上昇していく。
奥底にいた弱さが顔を出し、それを眺めていた自分の理解が追い付く。
――まぁいいか……何でも……。
対面した弱い自分。
その姿を目の当たりにして、溶け込んでいた深層心理が崩れ去っていく。
「俺は……」
衝突後に思う自問自答。
揺らぐ精神。消えかかっていた意識が戻っていく。
埋まっている身体を引っ張るように起こしながら、脳が現状を理解し始めたのか言葉を区切る。
少し荒い息を整え、俯き気味の顔を上げる。
「俺だぁああ……っ!!」
瞬間、地を蹴り相手の懐へと飛び込む。
そしてお返しだとでもいうように、薙ぎの一発をくれてやる。
――すると、
思った以上に相手の身体が吹き飛ばされ、瓦礫の山へと埋もれたことに目を疑う。
「―――」
ふと自分の拳に目を落とす。
そこに不思議と白天の少女の面影が蘇る。
「こういうことか。これなら……」
不死身の再生力。人間離れした身体能力。
もう人間ではないのだと、改めて実感する。
だがこの力があれば、この現状をどうにかすることぐらいはできるだろう。
そう思った、瞬間だった――。
「あーあ……がっかりだ」
「……っ!」
不意に聞こえる彼の声。
けれどそれに驚いたわけではなく、立ち上がった彼の姿に息が詰まった。
何故なら彼の身体のどこにも、傷という傷が無かったから。
「お前、その程度かよ」
静かな怒りとその眼差し。
そこに嫌な汗が頬を伝う。
「……準備運動にもならねぇや」
ため息交じりの呟き。
その余裕の態度に、フェザーの恐ろしさが垣間見える。
別格の強さ。人ならざる者の境地。
思う事があるとすれば、
「これ、終わったな……」
脱力感と無力さに塗れた諦めだった。
『もう!諦めるのが早いよ!』
「……っ」
突如、響き渡る彼女の声。
どこから聞こえるのかと辺りを見回すも、相変わらずの風景が広がるだけ。
そのため、耳を澄ましてみるのだが、
『せっかく復活したのに、また簡単に死のうとして……』
聞こえた声は、耳が痛くなるような呆れコメントで、
「んじゃ、どうしろっつうんだよ……」
その言葉に対する不貞腐れた投げやりな回答だけが零れ出る。
『なんか魔法とか使えないの?』
「ない……こともない、けど……」
『もう!何!?』
「……」
回りくどい言い回しのせいか、この緊急事態に呑気な答えを返したせいか、白い天使の怒りが助長される。
「おい」
「……っ」
「よそ見してんじゃねぇよ」
「くっ……」
振り翳された拳。
防ごうと構えるも、来たのはまさかの蹴りで。
その重たい一撃に、また壁際へと追いやられる。
「ぐ……」
壁にめり込み、身動きが取れず、息をするのも苦しい。
近づいてくる敵をぼんやりと眺めながら、打開策を考えようとするも思考回路が働かない。
わかっているのは、このままでは確実に死ぬということ。
ただふと、先ほどの彼女の言葉が過去の記憶を呼び起こす。
それは昔の淡い思い出。
――俺の魔法……。
『何かあるの?』
頭の中に呼び掛ける天使の声。
どうやら口にしなくても、心の中を読めるようで、
――どうして聞こえる?
『それは、私が羽亮の中にいるからで……って、そんなことはいいから!で?どんな魔法?』
「どうでもよくないだろうに……」と思うも、確かにそんな状況ではない。
――会得難易度Aランクの光魔法が一つ……。
『なんでそれをもっと早く言わないの!?』
脳に響き渡る罵声。
それは確かな意見なのだが、
――いや、それをするにも俺には魔力が足りない。
切実な思い。
昔シスターの書庫から見つけた光魔法最強クラスの必殺技。
会得するのに3ヶ月の時を有し、できても魔力切れで3日間倒れるという事態。
それ故、シスターからお叱りを受けるも、その後の優しい看病に嬉しかったという思い出がある。
それを思い出すだけで、笑みを溢してしまう。
『魔力、ね……』
意味深な発言。
この状況では致命傷の一言に少し、申し訳なく思う。
せっかく覚えた魔法も、今の自分にはただの宝の持ち腐れで。
昔と比べれば多少は上がったであろう魔力ではあるが、あれを扱えるほどの量はまだ持ち合わせてはいない。
他にもいくつか魔法は習得してはいるものの、どれもあのフェザーには対抗できるようなものなどなく――、
『それなら大丈夫!』
――え?
『羽亮の中に、私がいるから!』
根拠のない答え。
何を考えているのか、さっぱりわからない。
けれど不思議と、力が湧いてくる。
――……わかった。
瞳を閉じ、壁に張り付いた手足を強引に引っ張りだす。
地に足を付け、ふらつきながらも近づいてくる敵を睨みつける。
「まだ立つか……」
とてつもないオーラ。
黒々とした殺気を放ち、背にはそれを象徴するかの如く黒き片翼の羽が舞う。
その光景を目に、息を漏らす。
――シスター……。
片手に意識を集中させる。全神経をそこに注ぎ込む。
まったく、無防備な姿だ。
――俺に、力を貸してください……っ!
神に祈る思い。
でも祈った矢先に浮かぶのは、シスターの笑顔で。
その暖かい思い出と光が、心の中を淡く彩る。
「……っ」
ふと自分の右手に目を向ける。
そこには
通常なら混ざるはずのない黄金色。
それが外部から圧縮を掛けていることに威力増大の兆しが見えてくるが、自分の知っている魔法とは少し違っていることに違和感を覚える。
『足りない分は私が補った。だから――』
気にしていたものの答えはすぐに晴れて、その拳を握り締める。
『ドーンと、ぶちかましてやりなさい!』
励ましの言葉。
その言葉に背中を押され、覚悟を決めて駆け出す。
ボロボロの身体で、一瞬にして捉えた相手の懐に移動する。
切れる息を殺して、
「はっ、そんな魔法が効くわけ……」
相手の言葉を耳にしながら、光る右手をその胸筋にぶつける。
「《オーバーレイ》……っ!」
響く衝撃波と放射される光。
膨大なエネルギーが拡散され、押し当てた胸部から背中にかけて貫通し、辺り一帯を白という白で埋め尽くす。
壁を突き抜け、効能が切れる頃には、彼の背中にある羽が儚くも散っていた。
「かはっ……」
食らった彼の口から、溢れ出るようにその鮮血が零れ落ちる。
そこからぽっかりと空いた相手の傷口を目に、ゆっくりとその顔を窺ってみれば、苦痛に耐える苛立ちの表情があり、
「こん、ちくしょうが……」
「……っ!」
振るわれる拳を間一髪で仰け反る。
そして、まだ彼に意識があることに驚きながら距離を取る。
瞬間、止めていた息と使った魔力の多さにより、立つだけでやっとという状況に気づいた。
「これでも……ダメなのか……」
互いにヨロヨロの状態。
あの魔法を食らって、まだ立っているフェザーに嘆息する。
息を漏らすと同時に気力が抜け、膝をつく。
そうとう魔力を持っていかれたみたいだ。
仕方がない。
フェザーの攻撃をいくつも食らい、傷は治っても痛みがある。
体力も平然と持っていかれる。
おそらく、治癒力が極限状態なだけで不死身ではないのだと思う。
ただ今、そんなことを考えている暇など無く、
「うぅああぁあああ……っ!!」
雄叫びが響き渡り、ただそれだけの行為に若干の地響きと烈風が巻き起こる。
納まると、息を荒げながらも先ほどと同じ殺気が漂っていた。
――どうする……。
魔力はほぼすっからかん。
彼女のおかげで魔力切れになっていないことだけが幸いで。
――どうしたらいい……?
ただひたすらに思考を巡らす。
回らない頭を無理やりにでも動かす。
――何も、思いつかない……。
現状を目に苦悩する。
いつも無心で、直感という感覚に頼っているせいか、こういう時の自分は使えない。
焦っているせいもあってか、頭の切れが悪い。
適応力、応用力に乏しい。
凄く、自分が情けなくなる。
――どうしたら……。
『私に任せて!』
「……っ」
ふと、弱気な自分を見かねてか、救いの声が舞い降りる。
『いい?よく聞いて――』
瞳を閉じ、耳を澄ませるように、心の声に集中する。
彼女の指示を一つ一つ聞き逃さないように理解していき、頭の中で
そしてゆっくりと、彼女の意識に身を委ねていく。
瞼を開く頃には、なんだか不思議な感覚に包まれていて、いつの間にか繰り出されたフェザーの攻撃をかわしていた。
「てめぇ……っ!」
怒りの形相。
それに対し自分はと言えば、いつも以上に落ち着いている。
先ほどまでの焦燥感はどこへやら。
――こういうことか……。
瞳に映る世界。
そこに広がっているのは、魔素というエネルギー物質で、白い粒子がたくさん浮遊している。
それはどうやら、自分が先ほど放った光魔法による残粒子で。
――これを使えばいいんだな。
やったこともない作業。
それを行うべく、再び彼から距離を取り、態勢を整える。
すると何か来ると察したのか、相手も身構えて、
「《ディストピア・フレイム》……っ!!」
先手を奪われ、勢いよく漆黒に包まれた闇が襲う。
霧のようなどす黒い炎。
火と闇の混合魔法。常人ならざる技。
そのため反応が遅れ、身を捩り避けようとしたのだが、
――避け切れない……っ。
その膨大なエネルギー波に、身体は飲み込まれていった――。
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