九章 2


 ワレスは考えこみながら、つぶやく。


「しかし、そうなると、踊り子の服という呼び名を知っていた、アーノルドは……」


 とつぜん、外の廊下がさわがしくなった。「ケンカだ!」という声が聞こえてくる。


「見てきましょう」と、クルウが言う。

「いや、おれが行く」


 ケンカの仲裁も小隊長の仕事だ。


「では、私も参ります」


 二人で外へでた。

 廊下には、すでにかなりの野次馬が集まっていた。

 さわぎは廊下をはさんだ向かいがわ、五号室で起こっていた。第一分隊の部屋だ。


「何事だ!」


 ドアをひらくと、部屋の中央で四、五人がもみあっている。それを数人で止めていた。

 他の数人は、ベッドの上からケンカをあおる罵声ばせいをとばしていた。


「いいぞ! やれ、そこだ!」

「そいつの鼻っ柱をへし折っちまえ!」

「やっちまえ、ホルズ!」


 組みあっていたのは、ホルズとバルバスだ。ほかに二、三人、なぐりあった跡がある。

 ワレスが何度も制止の命令をくだして、ようやく、彼らは静かになった。


「このありさまはなんだ? 原因を話してみろ」


 しばらくは誰も口をきかない。

 室内にはハシェドもいた。


「ハシェド。なぜ、こうなった?」


 ワレスが声をかけると、ハシェドは顔をそむける。目をそらしたまま答えた。


「ホルズが始めに、アーノルドをなぐりました。止めに入ったアブセスがなぐられ、いろいろ口論があったすえ、このように……」

「ホルズ。なぜ、アーノルドをなぐった?」


 ホルズは口をへの字にむすんで答えない。


「なぜかわかるか? アーノルド」


 アーノルドは白いおもてに、いくつもアザを作っている。しかし、答えは神妙だ。


「わかりません。話をしていたら、とつぜん殴られたのです」


 それを聞いて、ふたたび、ホルズはカッとなった。


「てめえッ! よくもそんなことが言えるな!」

「よさないか。ホルズ」

「だって——だってよ」


 ホルズは両手をにぎりしめ、だだっ子のようにふりまわした。


「こいつは、あんたをコケにしてたんだぜ! ふたことめにはウワサ、ウワサって。あれじゃ、言いふらしてるのといっしょだ!」


 ワレスは鉄棒で殴られたようなショックをおぼえた。


(やはり、そうなのか?)


 ホルズはアーノルドの胸ぐらをしめあげようとする。


「いかにも心配そうなツラしやがって! ちくしょうッ」


 クルウたちが二、三人がかりで、ホルズを引き離す。

 ワレスは心を落ちつかせようと努めながらたずねた。


「おまえの思いすごしではないのか? こんなときだ。思っていることが、つい口に出てしまうこともある」


 だが、今度は、ハシェドが言った。ひかえめだが、はっきりとした口調で。


「ホルズの言うとおりです。アーノルドは少なくとも、日に二十回はウワサについて話していました。おれも……鼻についていたところです」


 そうか。では、やはり、アーノルドだったのだ。

 ワレスの部屋に換金券を隠し、ウワサを流しておとしいれようとしたのは。


 どことなく、かたくるしい物言いで、ハシェドは続ける。


「さきほども、もとの部屋に戻ってはどうかと、アブセスに勧めるものではありましたが、言いかたが……それで、ホルズが腹を立てたのです」

「あたりまえだ!」


 叫んだのは、ホルズだ。


「こいつはこう言いやがったんだぜ! 砦じゅうのウワサになって帰りにくいのはわかるが、今のままじゃ、味方が一人もいないみたいで、隊長が可哀想だってな。仲間と思われるのが怖いのかとも言ってた。まるで、あんたの肩を持つやつは、砦じゅうでだと言わんばっかりにな!」


 そうだ、そうだと声があがる。


 アーノルドは弁解した。

「私は隊長の身を案じただけです!」

「違うだろ!」と、間髪入れず、ホルズが怒鳴りかえす。


 二人の声を割って、ぼそぼそと、アブセスがつぶやく。


「そういえば、私に初めてウワサを話してくれたのも、アーノルドだった」


 それで賛成派と反対派にわかれて、なぐりあいになったのだ。


(それほど、隊の統率が乱れているってことか)


「わかった。悪気はなかったかもしれないが、誤解を受ける言動をしたアーノルドにも責任がある。また、どんな理由があれ、暴力行為はみとめられない。なぐりあっていたのは誰々だ?」


 ホルズとドータスが手をあげた。しぶしぶ、バルバスとラグナが前に出る。


「では、五名には二日の謹慎を命じる」


 二日あれば、カムエルから盗賊の名を聞きだし、証拠の品をあげることができるだろう。

 明日かあさってには輸送隊が到着する。バハーとともに、一味を一網打尽いちもうだじんにできるかもしれない。


(やはり、誰もおまえの代わりにはなれないんだな)


 そっと、ハシェドを流しみる。

 せめて、おまえに似た男にだけでも、そばにいてほしかったんだが……。


 とんだ見込み違いというわけだ。

 部下との親睦に力をそそいだ、コリガン中隊長が気づかなかったくらいだ。見ぬけなかったことじたいは恥ずかしくないかもしれない。

 しかし、寝てもいいと思った相手なだけに悲しかった。


(いや、違うな……)


 おれはハシェドとの関係に悩んでるところだった。だから、少し似てるというだけで、こうあってほしいという理想でしか、アーノルドを見てなかったんだ。

 真実の姿なんて、どうでもよかった。

 ただ、ハシェドの面影を見ていただけ。


 そうでなければ、こんなにも短期間に他人を信用するなんてこと、ワレスにはないことだ。

 色目で見てたから、アーノルドの本性に気づかなかったのだ。

 自分がイヤになる。


 気落ちしていることが伝わったのだろうか。


「隊長。元気だしな」


 ホルズがワレスの肩をたたいてきた。

 ホルズやドータスは人情に厚い六海州人だ。一度は反目して、なぐりあったこともあったが、いったん心をゆるしてしまえば、とことん、忠義をつくしてくれる。


「おれたちは何があっても、あんたの味方だ」

「その気持ちには感謝する」

「いいってことよ」


 ホルズの笑みに、いくらか救われはしたが……。

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