九章
九章 1
「おまえの田舎では、この菓子を冬薔薇というのか?」
たずねると、クルウは彫りの深い男性的なおもてをしかめた。
「そうです。が、私の出身は田舎ではありません。アルメラの州都ですから」
ユイラ一の入海を有する八番めの州。
アルメラ州は、アルメラ湾から産する真珠と、南からの外国船の窓口という地理的優位から、かなり華やかな地方都市だ。保守的な皇都とは、また別の独自の文化をきずいている。
たいがいのユイラ人がそうであるように、クルウも自分の出身地に誇りをいだいているらしい。
アダムやハシェドが、ユイラ人について言うことは、まんざらウソではない。
まったく、ユイラ人ってやつは——と、故郷をもたない根無し草のワレスは、胸の内で毒づく。
「悪かった。ふるさとという意味で言ったんだ。しかし、皇都では、この菓子を『踊り子の服』というんだがな」
「アルメラでは冬薔薇です。私は以前、船に乗っていましたから、あちこち行きました。どこも、踊り子の服なんて呼んではいませんでした」
たしかに、そうだ。
ミスティは冬薔薇と言った。
あれは、まだワレスが子どものころ。生まれた土地のサイレン州を放浪していたときの話だ。
ワレス自身は菓子を買ってもらえるような家庭ではなかったが、ミスティルは劇作家だったため、菓子の差し入れをもらうことや、あげることが多かった。ミスティのまわりの女優たちも、冬薔薇とふつうに言っていた。
してみると、サイレン州では冬薔薇が一般的な呼称なのだ。
しかし、皇都では、たしかに踊り子の服が正式名称だった。この菓子を最初に作った
形は花のほうが似ているので、地方に出まわるうち、名前が変化したのかもしれない。
(しかし、州都と言ったな。アルメラは外国と皇都をつなぐパイプラインだ。アルメラの州都なら、皇都の流行も、すぐに入る。知恵の輪の外しかたも……)
じっとりとながめていると、とつぜん、クルウは苦笑した。妙に育ちのいい青年に見えた。
「そんな目でごらんにならないでください。私があなたの信頼を得ていないのは、重々、承知していますが」
ワレスは目をそらさない。
「聞いてもいいか? 他人のものをとることに罪悪を感じないというのは、どういう意味だ?」
クルウは変な顔をした。
「分隊長から聞いたわけではないですよね?」
「ハシェドの名誉のために言っておくと、彼から聞いたわけではない」
「立ち聞きしていた者もいなかったはずですが……」
「いいから、答えてくれ」
「それをご存じなら、その後の会話も知っていらっしゃるのでは?」
「残念ながら、おれが聞いたのはそこまでだ」
いよいよ、クルウは変な顔をする。
「よろしいですよ。どこで、あなたのお耳に入ったのかは知らないが」
つかつかと近づいてきて、クルウはワレスを抱きしめてきた。ワレスが驚いて立ちあがるヒマもない。
ワレスのひざに、クルウのひざが乗り、抵抗をおさえる。この体勢では思うように力が入らない。ワレスはされるままになっているしかなかった。
(今日はほんとに、誘ったり、誘われたりの多い日だな)
なんとなく笑いたいような気分で、クルウの愛撫をうける。
クルウの唇はワレスの頰から耳もとへ、首すじをおりてきて、口をふさぐ。
ワレスが抵抗しないのをいいことに、片手で肩を押さえたまま、片手で帯をゆるめ、下着をはずそうとしてきた。
うんざりして、ワレスは両手でクルウの胸を押しかえした。
「もういい。わかった」
クルウは苦笑しながら、ワレスを離す。
「残念です。やはり、私では、あなたをその気にはさせられませんか」
「ほんとに、それだけのことか?」
「あなたが入隊してきたときから、ずっと気になっていました」
ワレスはクルウのおもてを見つめる。
「おまえ、何者だ?」
「おかしなことをおっしゃいますね。何者とは?」
「おまえはただの兵隊じゃない。ふつう、どんなに募る想いがあったとしてもだ。ひらの兵士が小隊長に対して、こんなマネはできない。おまえ、本来は人の上に立つ立場なんだろう?」
クルウは長いまつげを一瞬、ふせる。
「わけを話せば、信用していただけますか?」
「場合によっては」
クルウは何を思ったのか、ワレスの前にひざまずいた。
「恥ずかしい話ですので、これまで誰にも話したことはありません。私の本当の名は、エラード・レイ・ヘルディードです。とある、きわめて身分の高いかたに仕える騎士でした。信頼も厚かったのですが、そのかたの愛人と、ひそかに恋仲となり……追放されました。追放の理由は別のものでしたが。私は二度と故郷アルメラの地をふむことは許されません」
「騎士と姫君の禁じられた恋か。まるで、お芝居だな」
「いえ。相手は貴族の若様です」
ワレスは絶句した。
しかし、そのほうが、クルウらしい。
「おまえの話が真実であるという証拠はあるのか?」
「家族の肖像をお見せしましょう。小さなものですが、顔の識別はできます」
クルウは頑丈な革の旅行カバンから、大切に油紙で包んだ小さな額入りの肖像画をとりだした。
一号ほどのサイズだ。
青年のクルウと両親、兄弟らしい、よく似た人物たちとともに描かれている。
衣服や所持品、すわっている椅子の豪華さから、貴族の一族だということは、見ただけでわかる。
窓の外には船の停泊する海景が描かれていた。
「わかった。信用する」
「ありがたい。心惹かれるかたに信じてもらえないのは、つらいことです」
「だからと言って、おまえとどうこうなることはないからな」
クルウは苦笑いした。
「悪いクセなのです。どうも、私は自分より身分の高い年下のかたに惹かれるようです。ですので、さきほどもジャマさせていただきました」
「おまえは物言いは丁寧だが、性格は攻撃的だな」
「もともと、決しておとなしい性格ではありませんから。ただ、慎重なので誤解されるのでしょう。ですが、あなたについては全面的に分隊長にゆずるつもりです。森のなかで、私は動けなかった。だが、分隊長はためらいなく、あなたを助けに走った。完全に私の負けです。分隊長とはそういうことを話したのですよ」
あの夢の続きに、その会話があるらしい。
ワレスは嘆息した。
すると、クルウがさらにつけたす。
「私は分隊長だから、ゆずるのです。やけになって、誰にでも手をだすのはいけません。あなたも分隊長に惹かれているのでしょう?」
そんなこと言われても、どうしようもないじゃないか?
「おれには、おれの事情がある。いいか? ハシェドには言うな」
クルウはワレスの顔をじっと見つめる。やがて、だまって頭をさげた。
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