八章 4
*
ワレスが自室まで帰ったときだ。
ドアの前に人が立っていた。
一瞬、ハシェドかと胸がおどる。
が、そんなはずがない。
なかをうかがう姿は、よく見れば、似ても似つかないユイラ人だ。
アーノルドだった。
魔の森のなかで助けてくれた、あのアーノルド。
見ていると、アーノルドは入ろうか、やめようか、
「何か用か?」
ワレスが声をかけると、アーノルドはふりかえった。みるみる、頰が赤くなる。
「すみません。用……というわけではないのですが」
てれくさげな顔を見て、なぜ、ハシェドと間違えたのかわかった。
(そう言えば、こいつも似てたんだったな。ハシェドに)
ベッドに招いてもいいと思った相手だ。まちがえるはずだ。
「なかへ入るか?」
ワレスはアーノルドを室内に誘った。
「いえ、ほんとにたいしたことでは……ウワサが——いえ、なんでもありません! 失礼しました!」
アブセスみたいに、ワレスのウワサの真偽が気になったのだろう。
立ち去ろうとするアーノルドの肩をつかんでひきとめる。
「まあ、そう言うな。そのウワサのおかげで、同室者がいなくなってな。退屈してるんだ」
「はあ……」
しぶるアーノルドをムリヤリつれて入る。
おりよく、室内は無人。
それもそのはず。クルウには用事を言いつけてある。昨夜、死んだウォードのことを調べさせているのだ。
ワレスが出かけようとすると、一人にはできないと言ってついてこようとするので、口実をつけて追いはらったわけだ。
(どうも、クルウは何を考えているのか、わからない)
底が知れないというか。
無口なわけではないが、多弁でもなく、ときおり、ひどく鋭いことを言う。そつなく優秀で、自分の感情をいつも内に秘めている。
今まで、ワレスのまわりにはいなかったタイプだ。
剣の腕前といい、頭の回転といい、本来のクルウの能力は、ワレスと同等か、それ以上だろう。
いつまでも一介の平兵士でいるような男じゃないはず。なのに、わざと目立たないよう自分を抑えているように見えるのが怪しい。
昨夜、ワレスが見た不思議な夢のなかでも、おかしなことを言っていた。
他人のものをとることに罪悪を感じないとか、なんとか。
もちろん、あれは夢だ。
現実にクルウがそう言ったわけではない。
だが、いやに生々しい夢だった。クルウは本当に、そう言っても変じゃない男だし……。
だからというわけではないが、クルウと行動することをさけていた。
「すわるといい」
「はあ、しかし……」
「ウワサが気になるんだろう?」
あきらめたようすで、アーノルドは丸テーブルのセットに腰かけた。
ワレスは壁ぎわの戸棚から、酒びんとグラスを出し、アーノルドの目の前でそそいでやる。
「中隊長のところほど、豊富にはないが」
「はあ」
「甘党なら、菓子もある」
ワレスのジゴロ時代の後見人の貴婦人が、皇都から送ってくる菓子の数々を卓上にならべる。
アーノルドがあきれて、ものすごい数の菓子をながめている。
「小隊長は甘党ですか?」
「いや。まったく」
「それにしては、すごい数ですね」
「別れた恋人が、自分の好きなものを送ってくる。おれが甘いものを苦手なことを知っていて」
「可愛らしいかたですね。早く小隊長殿に帰ってきてほしいのでしょう」
帰ってきてほしいのは、ほんとだろう。
気の多い女王さまは、一人でもとりまきが減ることには不服だろうから。
でも、もう皇都に帰る気はない。ワレスは砦に骨をうずめるつもりだ。皇都には悲しい思い出しかない。
「よければ、やるぞ」
「いえ。私も菓子はそんなに……でも、せっかくだから、一ついただきます。きれいな『踊り子の服』ですね」
踊り子の服という名の、ユイラに古くからある砂糖菓子を、アーノルドは一つ、つまむ。
薄く焼いた透明なアメを何枚もかさねたこの菓子は、その昔、大当たりした踊り子と青年貴族の悲恋のお芝居のヒロインをイメージして作られた。薄絹をかさねたヒロインの衣装を模したのだそうだ。
ワレスはアーノルドが砂糖菓子を食べるのを、妙な気分でながめた。
一瞬、子どものころのことが頭に浮かんだ。
ミスティルがこの菓子を買ってくれたときのこと。
なんだったろう?
——ほら、ワレサ。きれいなお菓子だろ?
——バカみたい。こんな高いお菓子、買うくらいなら、もっと安くて食べがいのあるものがいいよ。こんなの砂糖のかたまりだろ。
——君はまったく、子どもらしくないことばっかり言うんだなあ。いいから、口をあけてごらんよ。おいしいんだから。
——おれは、あんたの財布のなかみを心配してあげてるんだよ。
でも、初めて食べた砂糖菓子は、とろけるように甘い。
子どものワレスを黙らせるには充分だった。
ほらね、という顔をしているミスティルの顔を見るのが悔しくて、そっぽをむいた。
ミスティは大笑いして、ワレスの髪がグチャグチャになるまでかきまわした。
今となっては、なつかしい思い出だ。
(変だな。なんで急に、こんなこと思いだしたんだ?)
考えていると——
「小隊長。どうかされましたか?」
アーノルドが困ったような顔で見ている。
「いや。なんでもない」
アダムには拒まれたが、アーノルドならどうだろう?
「ウワサを聞いて、軽蔑したか?」
つかのま、アーノルドは考えこんだ。
「いえ。驚きましたが、あれはデマだと信じています」
「どうして?」
「あなた自身がつらそうになさっているからです。平気なふりをしていらっしゃいますが」
「そんなふうに見えるか?」
「はい」
やはり、似ている。
この男なら……。
「……たのみがある」
「なんでしょう」
ワレスは立ちあがり、アーノルドのとなりに席を移した。戸惑うアーノルドのあごの下に指さきをあてる。
くちづけようとしたときだ。ノックもなしに、いきなりドアがひらいた。クルウが入ってくる。
「小隊長」
「…………」
たしかに、ここはクルウの部屋でもある。怒る筋合いではない。
だが、しかし、見計らったような、このタイミング。わざとだ。
ワレスがにらんでも、クルウは平然と言った。
「とりいそぎ、話があります。よろしいですか?」
わからないのか? この状況を見て。
なんでもない相手に、ここまで、もてなすと思うか?
下心があるからに決まってる。
イライラしながら無言でいると、アーノルドのほうが、いづらくなったようだ。あわてて立ちあがる。
「そういうことなら、私は退出します。失礼しました!」
そう言って出ていってしまった。
「クルウ……」
なぜジャマをする——と、なじろうとした。
すると、クルウのほうが先手をとって口をひらく。
「私は相手が分隊長だから、遠慮したのですよ? ヤケはいけません」
「きさま——」
そんなこと、おれの勝手だろうと言いかけたやさき、今度も、クルウに先をこされる。
「おや。きれいな
恋路のジャマはされる。
発言はことごとく、さまたげられる。
いいかげん、ワレスは頭に血がのぼりかけていた。が、その言葉を聞いた瞬間、すとんと怒りが冷める。
「なんだって?」
「何がですか?」
「今、冬薔薇と言ったか?」
「ええ。言いました」
そうだ。冬薔薇だ。
だから、おかしいと思ったんだ。
——ほら。ワレサ。きれいだろ? 冬薔薇っていうんだよ。
遠い日の思い出が、また頭をよぎった。
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