六章 5


「おまえたち、名乗れ」と、ワレスをつれてきた分隊長が言う。

 ムスっとしたまま、それぞれ、名前を告げる。


「おれはペリウス」

「バード」

「マイル」


 そのなかに、ハシェドもいた。


「ハシェド……です」

「ブラゴール人か?」


 ワレスの問いはとうぜんだ。ハシェドの甘い顔立ちや、こんがり焼いたパンケーキのような肌の色は、どう見てもユイラ人の特徴ではなかった。


 とたんに、ハシェドの表情がかたくなる。


「違います」

「では、あいのこか?」

「……そうです」

「なるほど。どおりで——」

「どおりで、なんですか?」


 口調が丁寧なだけに、ワレスをにらむ目にこめられた反抗の色は、ことさら激しく感じられた。


 少なからず、ワレスは戸惑う。

 せっかく、ユイラ人にはない、優しい目元をしてるのに……。


「どおりで、南国の太陽のようだと思っただけだ。にらむほどのことか?」


 ハシェドは拍子ひょうしぬけしたようだ。なんとも変な顔をして黙りこむ。


 しばらくして、

「それだけ?」と聞いてくる。


「ほかに何があるんだ? おれは、おまえのことをまだ何も知らない」


 その瞬間、ハシェドのおもてに苦笑に似たものが浮かんだ。それはしだいに、ワレスが言ったとおりの、南国の太陽のような笑みに変わる。


「いいですね。では、これから少しずつ理解を深めていきましょう。よろしく。ワレス隊長」



 あのとき、隊長が言ってくれたこと、おれ、すごく嬉しかった。

 あなたはおれを一人の人間として、理解する気があるんだとわかったから……。


 あのときから、ずっと、あなたはおれにとって特別な人だった。


 初めはあなたの白い肌や、金色の髪にあこがれただけだった。

 あなたは強く、なんでもできて、負けず嫌いで、誇り高い。あなたはまるで、おれがこうなりたいと願う理想のように思えた。


 でも……知ってしまった。

 あなたのそれは強がり。

 あなたのなかは、とても、もろくて、傷つきやすい部分がある。


 あなたはその誇りのゆえに、自分の弱さを認めない。

 それで、いつもムリをして、傷つくとわかってることに、真っ向から立ちむかっていく。


 わかっていますか?

 ご自分が傷だらけだってこと。

 たまには、おれにも頼ってください。

 あなたは一人じゃないと気づいてください。


 でないと、怖いんだ。

 いつか、あなたが壊れてしまいそうで。

 あなたが謹慎をくらって牢のなかで泣いたとき、思わず、抱きしめてしまいそうになった。


 きっと、あのときから、気持ちが変わってしまったんだろうな。

 あなたの弱さを見た、あのときから。


 バカみたいだけど、おれ、あなたが好きみたいだ。

 嫌われたくないから、ずっとナイショにしとくけど。

 せめて、ずっと、そばにいさせてください。

 ムチャばかりして、ほっとけない人だから。あなたは……。



 なぜ、そんな言葉を知ってるんだろう?

 たったいま、耳元でハシェドがささやいているかのように。


 そう、どこかで聞いた。

 おれは自分のなかに流れる、この詩のような言葉を聞いたことがある。


 あの高熱の夢のなかで……?


(ハシェド——!)


 目をあけて、ワレスは驚いた。

 自分の状況を思いだす。

 自分の上にのしかかろうとするギデオンを、無我夢中で押しかえす。


 ギデオンはすっかり抵抗を封じこめたと思っていたのだろう。もどかしげに舌打ちする。


「いやな気はさせないと言ってるだろう? いいから、おれのものになれ」


 苛立ったようすで、メイヒルをふりかえった。


「メイ。そこのグラスを持ってこい。こいつに残りを飲ませる」

「はい。中隊長」


 メイヒルは言われたとおり、グラスを持ってくる。

 自分の愛人が目の前で、ほかの男を抱こうとしてるのに、なんの感情もない顔をして。


(こいつ、中隊長を好きなわけじゃないのか?)


 いや、メイヒルのギデオンを見る目には、たしかな愛情が感じられる。

 ただ、逆らえないのだ。

 ギデオンの言うことには、なにひとつ逆らえない。

 それほど深く、ギデオンを愛してしまっている。ギデオンが何をしても、ゆるしてしまうほど。


 そのあいだにも、ギデオンが上から、ワレスを押さえこむ。このままでは、ほんとに犯される。


 ワレスは叫んだ。

「あんたに犯されるくらいなら、死んでやる!」


 もちろん、とっさに口から出ただ。

 むしろ、いつものワレスなら、絶対に言わないようなセリフ。

 だが、なぜか、この脅しがギデオンにはきいた。


「……ハッタリだ」


 言うが、ワレスを押さえる手から、いっきに力がぬける。


 そのすきに、ワレスはギデオンの体の下をぬけだした。ほどかれた帯や剣をとりかえしてるヒマはない。身ひとつで廊下へ向かう。


「待て! 殺してやるというほうが、おまえらしいぞ。そんな言葉——」

「試してみるか? 薬のせいで、今ならなんでもできる」


 ギデオンはうめいた。

「もういい! 行け!」


 ギデオンの気が変わらないうちに、廊下へころがりでた。ドアをしめると、急に力がぬけた。その場にすわりこむ。

 ドアごしに、ギデオンの声がかすかに聞こえた。


「エリ……なぜ、死んで……」

「あのまま行かせて、よかったのですか?」

「しかたあるまい。あんな脅しをかけられては。メイ。来てくれ」

「はい」

「おまえの半分も、あいつが従順ならな」

「でも、そこがお好きなんでしょう?」


 きぬずれの音。


 胸がムカムカする。

 もつれる足で歩きだす。

 ひと足ごとに、うずくような痺れが、ワレスの体を刺した。


(……誰でもいいから欲しい。ハシェドが欲しい)


 どうにか自分の部屋へ帰る。

 クルウが一人でベッドにかけていた。

 相手がクルウでも、抑えるのに苦労した。今ここにハシェドがいたら、まちがいなく、しがみついて求めていっただろう。


「ごかげんが悪いのですか? 小隊長」

「なんでもない。さわるな」

「なんでもないというお顔では……」

「中隊長のところに剣を置いてきた。とりに行ってくれ」

「わかりました」


 クルウが出ていくと、内鍵をかける。


(今は誰の顔も見たくない。薬が切れるまで)


 ハシェドのベッドに倒れこむと、ハシェドの香りがした。香水を使わない、石鹸せっけんとほのかな汗の匂い。ユイラ人とは違う肌の匂いがした。


 ハシェドの香りに包まれながら、ワレスは下着のなかへ手を入れた。

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