六章 4


「どうぞ」


 目の前にグラスが置かれた。


「病後なので弱いものにしておきました」と、メイヒルが言う。


 香りのいい果実酒だ。

 人を使って、特別に国内からとりよせているのだろう。


 同じグラスが、ギデオンの前にも置かれる。ギデオンが無造作にそれを手にとり、なかみを口にふくむ。


 じっと見るワレスに、ギデオンが気づく。


「なんだ。まだ信用ならんのか。いいだろう。おれのと交換するか?」


 ギデオンが手の内のグラスを、くるりとまわす。

 ワレスは迷ったが、うなずいた。


「では、そうさせてください」


 少なくとも、あっちのグラスは毒入りではない。


 ギデオンは大笑いした。

 ワレスの前に飲みかけのグラスを置き、手つかずのほうをとる。


「正直なヤツだ。いくら、おれでも、病みあがりのヤツを襲うものか」


 そう言って、新しいグラスのなかみも、ぐいっとあおる。


 ワレスは安心した。

 遠慮なく、ごちそうになることにする。


「ありがたく、いただきます」

「ああ」


 ギデオンの目が笑っている。


 なめらかな口あたり。

 いい酒だ。


「何かわかったか? 小隊長」

「ええ。まあ、少し」


 誰か、ワレスの代わりに小隊長になりたい者の仕業かもしれない。

 傭兵ようへいで小隊長ともなれば、月に金貨百枚の報酬ほうしゅうだ。正規兵の中隊長と同じ値である。

 しかも、仕事じたいの危険は減る。チャンスがあるなら、誰だって小隊長になりたい。


(だが、肝心の誰かってことがわからない)


 ワレスは思いついたことを聞いてみた。


「私のところから出てきたものは、盗まれた換金券のすべてでしたか?」

「それ以上だ」


「それ以上とは?」

「ほかの隊のものもあった。第二や第三大隊のものだ。おれの隊のは本人に返したが、こっちの処理に困っている。まだ、おれの手元にあるがな。他の大隊となると、むこうの隊長に事情を話さないわけにはいかない。おまえの疑いが晴れてからが望ましい」


「ほかの大隊……数は?」

「十枚ほどだ」


「私のところで見つかったものの半数ですか。おかしいではありませんか? いくらなんでも、塔の違う他の隊にもぐりこむのは、私には難しい。他の隊では、人の少ない時間帯や部屋の間取りがわからない。

 第一、私の容姿は目立つほうだ。顔も広く知られている。ほかの塔を歩いているだけで不審がられる。盗みなんてできるわけがない」


「そんなことはわかってる」

「では、なぜ——」


 ギデオンに文句を言ったってムダだということは、理解していた。なのに、自分でも理由はわからないが、だんだん高揚してきた。


 なんだか、急激に酔いがまわってきたようだ。

 そんなはずがない。ワレスは父親ゆずりの、イヤになるほど酔いにくい体質だ。ワレスの父も、飲んでも飲んでも酔わないことじたいに、苛立ってるように見えた。


 ただの酒では、どんなにアルコール純度の高いものだろうと、たった一杯でこれほど酔うはずがない。

 それとも、何か特殊な薬でも……。


「薬を……」

「おれが飲んだからって、安心するからだ。悪く思うな。こんなチャンスは二度とないかもしれない」


 するりと、ギデオンの腕が伸びてくる。

 ワレスの肩を抱き、唇が口をふさぐ。おぞましいことに、それがイヤではなかった。


「——だから一人かと聞いたんだ。来い」


 ワレスはギデオンの腕に抱かれて、ベッドに運ばれた。

 逃げださなくてはと思うのに、いちいち、自分の体の反応が遅い。


「……さわるな」

「いやなのは、初めだけだ」


 そうなのかもしれない。

 今だって、首すじを這うギデオンの舌が、官能を高めていく。

 帯をはずされ、剣がナイトテーブルの上になげだされるのを、ワレスはぼんやり、ながめた。


「いい子だ。そのまま、目をとじていればいい。楽しませてやるから」


 さすがに、ギデオンは手なれていた。

 その手に身をゆだねていると、もう、どうなってもいい気になってくる。

 病みあがりのけだるい体に、酒と薬が効いて、頭が朦朧もうろうとしている。



 ——あいのこか?



 ふいに思いだした。

 あれは、ワレスが初めて、ハシェドに会った日。


 誘いをことわった仕返しに、たった三日で、ギデオンの直属部隊からはずされた。

 死んだ男の代わりとは言え、いきなり班長にされたのは、反抗的な傭兵の反発を買いやすいと、ギデオンが見込んだためだろう。


 じっさい、その後とうぶんのあいだ、言うことを聞かない部下たちに、ワレスは悩まされた。

 その兆候は、最初に彼らの前につれていかれたときから、すでにあった。


「今日から、おまえたちの班長をつとめるワレスだ。よろしく」


 ワレスのあいさつにも、ひとことも応えない。

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