三章 3


 ジゴロ時代の仲間だったマルゴが死んだとき、ワレスは彼女の薄命に怒り狂った。

 ようやく悲しい過去からぬけだして、笑顔をとりもどしつつあったマルゴ。

 なぜ、今になって、マルゴは死ななければならなかったのかと。


 おれとマルゴは共犯者だった。同じ罪を背負う者どうし。気心の知れた、大切な人だった。


 ミスティが……ミスティが死んだときは号泣した。

 もう一度、親子をやりなおそうよと、言ってくれたやさきだった。

 少年の君の手を離してしまったこと、ずっと後悔していた。ゆるしてくれるね——と、ミスティは言った。


「それは、できない。おれといると、みんな死ぬんだ。おれの愛した人たちは」

「そんなのは迷信だよ。おれがそれを証明してみせる。だから、もう一度、親子をやりなおそうよ」


 あのとき、知っていれば、つっぱねたのに。ミスティが死ぬとわかっていれば。たとえ、どんなことがあっても。


 ルーシサスが逝ったときは……おれの心もいっしょに死んだ。立ち直るのに十年かかった。いや、今でも後悔してる。


 ルーシィ。

 ほかの誰よりも、深く、深く愛した、おれの天使……。


 もし、これ以上、おれの愛した人が死ねば、おれは気が狂ってしまう。そんな孤独には耐えられない。


 この世に神というものがあるのなら、その神は徹底的に、ワレスを嫌ってるのだ。


 いつも、ワレスが人を愛して、幸福になりかけると、その人たちはさらわれていく。遠い黄泉の国へ。芽吹いたばかりの新芽をつんでいくように。


 それがぐうぜんなのか(ぐうぜんなものか。いったい何人、死んだと思う)、必然なのか。ハシェドで試す勇気は、もう、ワレスにはなかった。


 そのくらいなら、このまま、おれが胸を焦がしてるほうがマシだ。

 おれが苦しんでるうちは、皮肉な運命も手出しできないことは、ジェイムズで証明ずみだ。


 だから、このままでいようと、ワレスは誓った。

 ハシェドへの想いに気づいたとき。


(もし、これが、おれの呪われた運命だとハッキリ知れば、おれは今度こそ、生きていけないような気がする。めちゃくちゃになってしまう。きっと)


 昔、子どものころ、悪魔の足にすがりついてでも生きてやると考えた。


 あのとき、ワレスは、ほんとに未来を悪魔に売ってしまったのかもしれない。

 生きのびることはできたが、代償に、真に愛した人とだけは、一生、結ばれないのだ。


「……かんぐられるのは好きじゃないな。おれは気のむくままに行動してる」


 牽制けんせいすると、クルウは一礼する。


「失礼しました」


 身投げの井戸まで帰ってくると、すでにすすだらけの傭兵が集まって、水をかぶっていた。クルウが彼らを散らす。


「悪いが代わってくれ。小隊長がお急ぎだ」

「ふうん。第二の隊長さんか。いいぜ。こっちはもう終わったとこだ」


 気の荒い傭兵たちが、あっさりひいたのは、ワレスの肌を見たいせいに違いない。

 鎧をはずすところをジロジロ見られて、ワレスはムッとする。が、文句をつけてケンカになると面倒だ。


 ワレスは行水に専念した。

 頭から水をかぶっていると、森での熱気がウソのように、全身にふるえがついてくる。


 クルウが眉をしわめた。

「早めにすませて、湯を持ってこさせるほうがよいようですね」

「そうだな」

「お熱があるのではないですか?」


 クルウに言われるまで気がつかなかったが、そういえば、少し頭が重い。


「さきほどから支えるのに、熱っぽいような気がしていました。いつからです?」

「わからない」

「この傷のせいですね?」

「破傷風か……」


 自分のことなのに、他人ごとのように、ワレスは思えた。


「泥に埋まってたからな。おれは破傷風になどならないと思っていたが」

「のんきなことをおっしゃってる場合ですか。破傷風なら大変なことです」

「ああ……」


 クルウが誰かに命じている。

「そこの男。小隊長の鎧を部屋まで持ってきてくれないか」


 そういうクルウの声が、だんだん遠くなってくる。


 ワレスは自分の体を抱きあげる、クルウの腕を感じた。

 それでも、まだ意識はあった。こんなところを兵士に見られては、小隊長のメンツにかかわると考えることはできた。


「おい、おろせ。自分で歩ける」

「そんなこと言ってるときではありません。このほうが早い」


 命令が聞けないのか、とかなんとか、酔っぱらいのように言ったおぼえはある。が、寒気と頭痛がひどくなってくるので、それも定かでない。


 自室の前で意識がもどった。ワレスの甲冑を持ってついてきていた男が、大声をあげたからだ。


「荷物荒らしだ!」


 その声に、むりやり、まぶたをこじあけてみる。

 室内が荒らされている。衣装棚や小間物入れがひらかれ、カバンがひっぱりだされていた。


「静かにしろ。クルウ、おれをおろせ」


 見まわしても、すでに闖入ちんにゅう者はいない。隠れていられる場所もないので、あらためて調べるまでもなく、盗人は逃げたあとだ。


「今さらさわいでも遅いな。各自、被害を確認し、中隊長に報告するしかない」


 ワレスはついてきた男をかえりみる。

「このことは誰にも言うな」


 泥棒の標的にされたとなれば、それこそメンツにかかわる。


「クルウ。その男に、おれの財布から、ここまで来た礼を……と言っても、財布が盗まれてるかもしれないな。肩をかせ」


 クルウにすがって、タンスの前まで歩いていく。財布を入れていた旅行カバンは口をあけていた。そこに入れていた夏服が散乱している。衣装に手をつけてないのは、持ち運びするとき人目につきやすいからだろう。


 しょうがない。

 ワレスは買ったものの、あまり気に入らず、袖を通してない服を男になげた。


「売れば、いくらかになるだろう。もう行っていい」


 口止めはしたが、ムダだ。

 男は今すぐにでも言いふらしたいような顔をしている。


「大変なことになりました。私は金目のものは、さして置いてないのでよいのですが」と、クルウ。


 ワレスも宝石など高価なものは、戸棚の引き出しに入れ、皇都から持ってきた、知恵の輪式の鍵をかけている。その鍵に異常はない。


 ただ、気になるのは、カバンに入れていた……。


「ない……」

「小隊長。何か盗まれたのですか?」


 肖像が……。


 銀のふたをつけて、懐中時計のようにしていた。カバンに入れ、夏服の底に忍ばせていたのに。


(いいじゃないか。あんなもの!)


 ワレスの意識は、しだいに遠くなる。

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