一章 3
ワレスが皇都でジゴロでならしてたのは、ほんの半年前だ。
その自分が、年も近い同性を愛して、ちょっと目があっただけで小娘みたいに胸をときめかせているのだから、ざまはない。
ワレスはごまかすために、話題をもちだした。
「それにしても、あいつ。こんなまともな趣味もあったんだな。好みの部下を物色するだけではなかったのか」
ギデオンのことを言ったのだが、これは自分にもあてはまる。言ってしまってから気づき、ワレスはまた恥ずかしくなる。
よせばいいのに、
「中隊長のことだぞ」
つけたして、いよいよ不自然な気がしてくる。
でも、ハシェドは怪しまなかったようだ。
「試合ですね。そういえば、ワレス隊長が来られてからはなかったですね。じつは前にも何度かあったんですよ。けど、やっぱり、小隊じゃ人数も少ないし、あんまり面白くなかったんでしょうね。第一分隊には、よく稽古をつけておられましたよ。メイヒル小隊長を鍛えたのも、中隊長だと聞きますし」
「メイヒルか。おとなしそうな顔して、剣を持たせると、すきがない」
「砦に来て五、六年にはなるらしいですからね。おれが二年前に来たときには、もう古参に入る人でした」
毎日のように人が死んでいく砦では、一年いれば、ベテラン。二年で古株だ。ことに夜の見まわりや危険な任務の多い傭兵は、運が悪ければ数日で死ぬ。
ハシェドは続ける。
「以前、言いましたよね。おれが上官をなぐって謹慎をくらったって。あれ、メイヒル小隊長のことです。いや、ほかにも、なぐったやつはいるので、そのなかの一人と言うべきですね。来たばかりのころはケンカっぱやかったから」
からからと、ハシェドは笑う。
今のハシェドからは想像もつかない。
「おまえが?」
「そりゃもう、毎日みたいにケンカしてましたよ」
「家族のことを侮辱されたからだと言っていたな。あのメイヒルが?」
ハシェドは少し顔をゆがめた。
「おれのことをバカにしないユイラ人はいません」
雪でできた人形のように白いユイラ人のなかで、ハシェドの褐色の肌は、さぞ奇異の目で見られるだろう。
「おれは、おまえの陽光の香りのする肌が好きだが」
「もちろん、隊長は別であります!」
あわてて、ハシェドが笑顔をつくる。
あまり語らないが、人種的な偏見は、ハシェドを幼いころから苦しめてきたはずだ。
抱きしめたい衝動をこらえるのに、ワレスは苦労した。
「だから——」と、ハシェドが言う。
「嬉しかったです。初めて会ったとき、隊長がおっしゃったこと。おぼえてますか?」
初めて会ったとき?
ワレスには、とくに心当たりはない。
おれが何か言ったかと聞こうとして、にぎやかな声にさえぎられた。
「もう! いつまで待たせるのさ。せっかく、わかした湯がさめちゃうよ」
真っ赤な髪のエミールが、左右の色の違う双眸でにらんでいる。
「いたのか」
ワレスが言うと、エミールは女の子みたいな頰をふくらませた。
「はん。気をきかせて、話おわるの待ってたんだよ。でも、あんたら、長いんだもん——ああ、もう、隊長ったら、きれいな顔に傷なんか作って。痕になったらどうすんの?」
「このくらい、すぐ治る」
「そうは言ってもさ。あんたの顔に傷はすごい損失だよ」
エミールはワレスの首に両腕をからませ、とびついてくる。子犬みたいに、ワレスの頰をベロベロなめる。
「よせ。兵たちが見てる」
ほとんどの兵士は砦のなかに入っていたが、それでも、なんとなくそのへんをうろつきながら、ワレスの姿をながめてるのが、けっこういる。それらの兵士がこのようすを見て、にやにや笑っていた。
「いいじゃない。おれとあんたの仲なんだから。恋人でしょ? それに、こうしとくと早く治るんだよ。おれ、いつもこうして治してる」
「そんなことしなくても、おれは治りやすい体質なんだ。痕も残らない。それより、湯がわいてるんだろ? 早く入りたい」
「そう思って、特別だよ」
「駄賃がほしいんだろ?」
「はいはい。毎度あり」
これが子爵令息なんだから、世も末だ。
「何度も言うようだが、エミール。おまえ、父の生家へ行く気はないのか?」
エミールは亡くなったコリガン中隊長の隠し子だ。中隊長は家督を弟にゆずったというが、両親を亡くしたエミールは、本来、子爵家にひきとられるべきである。
しかし、エミール自身がこう言うのである。
「だって、おれ、聞いたんだよ。父さんのかわりに子爵になった叔父さんって、父さんがふった元いいなずけと結婚したんだって。おれの母さんのせいで別れたんだろ? おれ、絶対、いびられるよ。だから、行かないの。まあ、砦やめるとき、小さい家のひとつくらい、もらってもいいかなとは思ってるけど」
たしかに、エミールの言いぶんにも一理ある。
亡くなったコリガン中隊長は、若いころに家を出たまま、二十年も生家へ帰ってない。
家督を継いだ弟には、すでに何人も子どもがあり、今さら、そこへ引きとられても、エミールは肩身のせまい思いをするだろう。
幼いころから他人の悪意にあってきたエミールは、ちゃんと、そういうことを知ってるのだ。
「だからって飯盛りなんかしてても、どうかとは思うがな」
もとは傭兵として砦にやってきたエミールだが、前の事件で、すっかりこりたらしい。今は傭兵はやめて、厨房で雑用係りをしている。
砦の一万五千人の兵士のために、コックは二十人ほどいる。その見習いというか、おもに食事を盛りつける係りで、裏にまわれば売春もする少年のことである。
男ばかりの殺風景な城では、こういう存在も必要だ。城の上層部も黙認している。言ってみれば、兵士全員のペットみたいなものだ。
たしかに、ワレスだって、殺伐とした砦の暮らしのなかで、食事までヒゲづらの大男に出された日には、やりきれない。
「隊長ってば、妬いてるの? 大丈夫。誰に体をゆるしても、心はあんたのものだよ」
エミールの髪の色と同じほど赤い口が、むうっと、ワレスの口に吸いついてくる。
ワレスはむりやり、ひきはがした。
「さっさと、おれの部屋に湯を運んでおけ」
「てれちゃってぇ。可愛いの。じゃ、運んどくよ。班長にも、サービス」
エミールはすばやく、ハシェドの口に唇を押しつけて、笑いながら去っていった。
エミールは知っている。
ワレスがハシェドにふれたくて、ふれられないでいることを。
「あいつめ。だんだん、タチが悪くなってくる」
ハシェドのてれくさそうな顔を見て、ワレスは不機嫌になった。
ハシェドがあわてる。
「あれは隊長の気をひきたくてやってるんですよ。いつもダシにされるので、おれだって困ります」
「エミールは可愛いからな。おまえだってイヤな気はしないだろう」
「いえ、そんなことは……」
ごにょごにょ言って、うつむく。
自分で決めたこととはいえ、ワレスの先行きは苦しそうだ。
恋人であるより、友人であることを望んだ、ワレスの選択は。
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