第3話 アイディアの種
会社というのは、無理難題を押し付けてくる。
定時をたっぷり過ぎてから、俺は疲れた足取りで会社を出た。
地元を出て都内の大学に入るまでは順調な人生だったが、卒業してからどうにもうまく行かなくなった。
大学の電子工学科を卒業した俺は、大手精密機器メーカーに就職した。しかしそこで与えられたのは、人事の仕事だった。あまりにも仕事に合わなかった俺は、数年で辞めてしまった。
それから何度も仕事を変え、そのたびに勤め先の規模も給料も下がり続けた。今は社員50人ほどの中小企業で、園芸用品の開発を行っている。霧吹きやプランターのデザインをする日々だ。
ここ最近はずっと、「全く新しいガーデニングライフを」というふわっとしたキャッチコピーだけが決まっている製品を考えさせられている。もう少しはっきりとしてくれればまだ考えようもあるのだが、会社というのはそういうものだ。
もちろん、問題意識は共有している。
ガーデニングには広いベランダや庭が必要だ。しかし最近は、俺のように狭いアパートで一人暮らししている若者が増えている。そこには庭もベランダもない。そういう人でもガーデニングがしたくなるものを作って、ターゲット層を拡大したいのだ。
興味の湧かない仕事だ。俺自身が園芸に興味がないのだから、やる気も出ない。
別に、仕事ができないわけじゃない。人間関係に疲れているわけでもない。
ただ、やる気が出ないんだ。
贅沢な悩みかもしれないが、俺はもっと、自分の好きなことがしたい。
電車の中でそんなことを考えるうちに、目的の駅に着いた。
俺は足早に、あるオフィスビルを目指した。
数学デー。
それが今の俺にとって、唯一リラックスできる場所だった。
都内のオフィスビルで毎週開催されている、知的好奇心を刺激される場所だ。仕事が長引いて来れない日も多いが、俺はここに来るのを楽しみにしていた。
「ああ、いらっしゃい、隅田さん」
スタッフの蜂坂さんが笑顔で迎えてくれた。彼は俺と同い年くらいだと思うが、普段の仕事は知らない。数学デーでは、皆あまりプライベートの話はしないからだ。
室内には大きなテーブルがひとつあり、その周りに5~6人のお客さんが座っていた。今日は常連ばかりだ、全員の顔を知っている。
「えっと今はですね、新しいワードスナイパーをやってます」
新しい?
テーブルの上には、青いカードが散らばっている。正確には、各人の前に青いカードが数枚置いてあった。
ワードスナイパーとは。
数学デーでしばしば遊ばれるカードゲームだ。各カードには、片面に「お題」が、もう片面に「平仮名」が書かれている。これを山にしてめくると、「お題」と「平仮名」が一組作れる。そして、その「平仮名」を頭文字に持つ「お題」に沿った言葉を言うゲームだ。
たとえば、お題が「丸いもの」で、平仮名が「み」なら、「『み』で始まる丸いもの」を答える(「みかん」とか)。
カードには得点が書いてあり、最初に答えた人がカードを取る。最終的に得点の合計が一番高かった人の勝利、というゲームだ。
数学デーでは、このゲームを改造して遊ぶことがある。
たしか前には、「数学用語限定ワードスナイパー」をやった。平仮名は無視し、お題だけ見て数学用語を答えるのだ。「細長いもの」で「直線」と答えたり、「冷たいもの」で「こうり(公理・氷)」と答えたりして、結構盛り上がった。
「今は何用語限定でやってるんですか?」
「いや、それが違うんですよ」
蜂坂さんは楽しそうだ。
「今はですね、お題だけを二枚出して、その両方を満たす単語を答える、ってゲームをしてるんです」
「二枚?」
「とりあえず見ればわかります」
そう言って、蜂坂さんはテーブルにパッパッとカードを二枚出した。
「えー、『学校で使うもの』かつ『黄色いもの』!」
常連の
「通学帽!」
「「おおー」」
「それ正解だわ」「完璧な回答だ」「確かに学校で使うし黄色い!」
なるほど、そういう感じか。
蜂坂さんがまたカードを出す。
「『スポーツ』かつ『柔らかいもの』!」
柔らかいスポーツ……? スポーツに柔らかいも硬いもないだろう。
だがこれは、運営の鬼頭さんがパッと答えた。
「柔道」
「あー、そうきたか」「なるほど柔道ね、柔らかいね」「柔らかい道だからなぁ、正解にせざるを得ないなぁ」
なるほど、駄洒落系か。大喜利要素もあるらしい。
「では次。『植物』かつ『電化製品』」
「えぇ……」
「植物は電化製品にならないでしょ」
「木目調のデザインの電化製品とか」
「それだとなんでもありになっちゃうな」
皆なかなか答えが出ない。俺もじっくり考えた。植物、電化製品……。
植物は、どちらかというと俺の仕事に近い存在だ。一方で、電化製品は俺の学生時代にやっていたことに近い。だからこの問題は、俺の得意領域のはず……。
あっ、そうだ!
「Apple!」
「「「おおー!!」」」
「完璧な回答だ!」「たしかに植物で電化製品だ!」「天才かよ」「直接的じゃないところがカッコいい!」
気分が良い。
数学デーの魅力はこういうところだ。誰かが凄いことをしたら、皆惜しみ無く称賛する。出来なかったときは、何が駄目か、どうすれば出来るか、議論する。
俺はそういう所が気に入っている。
ゲームは続いた。
『海の生き物』かつ『和食』
「うなぎ!」「まぐろ!」「さんま!!」
「うなぎが一番早かった」
「よしっ」
『四字熟語』かつ『都道府県』
「「鹿児島県!」」「「神奈川県!」」
「派閥が分かれたな」
「和歌山県どこいった」
「えーと、一番早かったのは一二三さんかな」
「やったー!」
『歴史人物』かつ『とがったもの』
「歴史人物ってだいたいとがってません?」
「たしかに。歴史人物たいていとがってる説あるな」
「とがってるくらいでないと歴史に名が残らないのでは」
「あ、じゃあ、『サルバドール・ダリ』」
「あー、髭がね?」
「キャラ的にもとがってますね」
「絵はぐにゃぐにゃだけどな」
ゲームは続いた。
俺は仕事のことも忘れ、ゲームに興じた。
そして次のカードがめくられた。
「えー、『園芸用品』かつ『気持ちを表す言葉』!」
「園芸用品きちゃったかー」
「園芸用品とレジャー用品は、いまだに鬼門なんだよなぁ」
場が膠着した。
数学デーでワードスナイパーをやると、いつも「園芸用品」と「レジャー用品」で流れが止まる。皆詳しくないからだ。
「愛とか。愛がないと園芸できない」
「『用品』じゃないしなぁ」
「スコップ、じょうろ、鉢植え。あとは、えーっと……」
「ビニールハウスとか」
「それは園芸というより農業では」
考えよう。俺は園芸用品には詳しい。
鋸や剪定鋏も園芸用品だし、マジックハンドや
しかし気持ちを表すとなると……。
「気持ちを表すのに比喩的に使われる園芸用品とかないかな?」
「聞いたことないですね」
「あるいは気持ちを表す園芸用品とか……」
「植物の気持ちが表示される園芸用品?」
「そんなのあるの?」
「作ればあります」
「今から作るか」
ん……?
いま、一二三さんがすごく良いことを言わなかったか?
植物に気持ちはない。
でも、植物にも健康状態はある。
健康な状態の植物は、気分が良いのでは?
土中の水分量を測る装置は存在する。簡易的なものなら、俺でも数百円で作れる。他にも、気温、日照量、二酸化炭素濃度なども、測る装置がある。
そういった植物に必要なものの量を簡易的に測定して、総合評価を出す装置を作ったら、どうなるだろう。
厳密に測ろうとすると高価になるが、アバウトでいいなら安く済む。その結果を「植物の気持ち」として育て主のスマホに送信するような装置は、「全く新しいガーデニングライフ」をもたらすのではないか。
植物は動物と違って、返事をしない。だけど、この装置を使えば植物と会話をしているような気分になれる。一人暮らしにはもってこいではないか。
しかも、この装置の製作には、俺の大好きな電子工学の知識が使える。
好きなことを、仕事にできるかもしれない。俺にしかできない仕事だ。
俺はワクワクし始めていた。就職してから、こんな気持ちになるのは初めてだった。
明日、部長に相談してみよう。部下の提案を受け入れてくれる良い上司だ、試作品くらいは作らせてくれるだろう。そしたらそれを社長に見せて説得する。
きっと上手く行く。いや、上手く行かせる。帰ったら早速、準備を始めよう。
「出ませんか、『園芸用品』かつ『気持ちを表す言葉』」
「広義でよければ」
と俺は言った。蜂坂さんが笑顔になる。
「お、なんですか?」
「『すき(鋤・好き)』はどうですか?」
「あー、鋤ね」
「鋤かー……」
「どちらかというと農具では?」
「元は農具ですが、スコップの前身です。広義の園芸用品に入ります」
スコップもシャベルも、うちの会社で作っている。その前身として昔使われていた鋤は、いわば園芸用品だ。
「ま、他に出ないしそれにしましょう」
「うん、それ正解ですね」
カードを二枚もらった。
微妙な反応だったが、俺は満足だ。
いいアイディアが生まれた。あとで一二三さんにお礼を言おう。本人には意味がわからないだろうけど。
ゲームは続いた。
俺は頭の片隅で仕事のことを考えながら、ゲームに興じた。
とても、ワクワクする一夜だった。
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