第2話 秘密の四文字

「こんにちは、山辺さん。あれ、そちらの方は?」


いつのもように数学デーに行くと、運営の蜂坂さんが俺の隣の人物を見て言った。


「友人です」

「幼馴染みでーす」


おいやめろ。

俺の悪友たる木嶋美鈴は、にししっと笑いながら名乗った。


ここは数学デー。オフィスビルの一部屋で、毎週開催されている大人の遊び場だ。基本的には、数学の好きな人が集まって雑談している。


数学を専門としている人だけが集まるわけじゃない。たしか蜂坂さんは、理系ですらなかった。


俺自身、今年から理系の大学生になったが、学科は物理だ。ちなみに美鈴は同じ大学の文学部に入った。


「へー! 山辺さんにそんな人が。どうも初めまして、運営の蜂坂です」


そんな人ってどんな人だ。言っとくがそういうあれじゃないぞ。


同じく運営の鬼頭さんが、ポケットから名刺を出した。


「初めまして、主催の鬼頭です」

「あ、丁寧にありがとうございます。木嶋美鈴です。すみません、学生なので名刺とか持ってなくて……」

「あ、いえ、大丈夫です」


鬼頭さんはもごもご言ったあと、席に座った。

「えーと、今はヌメロンというゲームをしています」

「ヌメロン?」

「知ってますか?」


俺も美鈴も首を振った。


「簡単な数当てゲームです。いまは私と一二三さんが対戦しているのですが」


鬼頭さんの斜向かいに女性が座っている。数学デーでときどき見る人だが、名前くらいしか知らない。

説明は、その一二三さんが引き継いだ。


「二人用ゲームで、相手の四桁の数を当てるゲームです。ただし、四桁の中に同じ数を使ってはいけません」


つまり、1234とかはいいが、1123とかはダメということか。


「数の当て方ですが、まず片方が、四桁の数を言います」

「『あなたの数はこれですか?』って感じで聞くわけですね」

鬼頭さんが補足する。

「そしたら相手は、【イート】と【バイト】で答えます」

「イートとバイト?」

「はい。聞かれた四桁のうち、『正解に含まれる数』があれば【バイト】、さらに場所まであっていれば【イート】と答えます」


うん? よくわからない。

俺も美鈴もわからない顔をすると、鬼頭さんがホワイトボードシートを見せた。これはホワイトボードのように、書いたり消したりできる紙で、数学デーではお馴染みのアイテムだ。


「例えばですね、考えてる数が【1357】だとして、相手が【7154】とか言ってきたとしましょう。すると、7と1は正解に含まれているので【バイト】、5は場所も合っているので【イート】。なので【1イート2バイト】と答えることになります」

「これを交互に繰り返し、先に相手の数を当てた方の勝ちです!」

一二三さんが締めた。


「で、実際の様子がこれですか?」


美鈴が興味を示した。うん、いいぞいいぞ。こういうの気に入ると思ったんだ。

鬼頭さんの前に、数字が並んでいる。


    e b

1234 1 0

5678 0 2

9234 1 0

5619 0 0


「一行目は、【1234】が【1イート0バイト】だった、つまり1234の並びの中で、どれか一個が場所まであってて、ほか三つは間違っているって意味です」


見た感じ、鬼頭さんは全然当てられていない。0ばっかりだ。一二三さんの方には【3バイト】があったりするので、鬼頭さんが押されている。

一二三さんも「今度こそ勝てそうなんです!」とか言っている。


だが俺の横で、美鈴が「ふーん?」と意味深に笑った。


「鬼頭さん、あとちょっとじゃないですか」

え。

「そうなんですよ」

ええ。


「なんでですかっ!」

一二三さんも俺と同じように、わかっていない。


「いや、まだ確定したわけじゃないですよ。でも、かなり絞れています。正解に7と8が含まれることが確定していますし、1や9が含まれないことも確定しています。あとは……あ、0が含まれることも確定してますね」

「あとは、2,3,4のどれが正解に含まれるかを確定させたいんですね?」


美鈴が確認した。こいつもうゲームを把握しているのか。鬼頭さんが軽く頷いた。


「はい。あと、四つの並び順ですね。なので、ここからはまた勘で絞っていかないといけません。ということで、【0784】」


一二三さんが顔をくしゃっとした。


「ふぉ~い~とぉ~」

「え、マジで、当たり!?」

「なんでわかるんですか~!」

「いや、わかってたのは0,7,8だけですよ」


鬼頭さんが物凄いドヤ顔で笑っている。


「まぁこんな感じのゲームです」


なるほど、よさそうだ。もっと数学的だとよかったんだが、論理的思考力なら俺の方が上だろう。


誰より上かって? もちろん美鈴に決まっている。


美鈴は悪友だ。何かと俺に勝負を仕掛けてくる。そして俺は、それにほとんど勝てたことがない。


そこで、数学デーだ。


ここでは、よくゲームをやっている。しかも、数学的なゲームだ。さすがの美鈴も、数学ゲームは苦手だろう。ここでなら、俺は美鈴に無双できるに違いない。


「これ、数字じゃなくてもできるんじゃないですか?」


美鈴が妙なことを言い出した。


「え? まぁ……そうですね。適当な記号でもできると思いますけど……」

「じゃあ、たとえば、英単語とかでも」


「!!」


美鈴の提案に、雰囲気がざわめいた。


「あ、そうか、四文字の英単語って限定すれば、たしかにできるな」

「でもそれ、コールはどうするんですか?」

黙って聞いていた運営の弓田さんも会話に入ってきた。

「コールも英単語限定ですか?」

「あ、それいい! その方が制限が働いてたぶん楽しい」

「ああそっかそっか、『この一文字だけ変えたい』って思っても、その単語がないとコールできないんだ!」

「正解の単語も、コールの単語も、四文字全部違うアルファベットの単語に限定すれば、ゲームとして成立しそうですね」

「使う単語は原形だけですか?」

「まーそうですね、まずは原形限定でやってみましょうか」

「原形限定?」

「ゲンケーゲンテー」

わはは、と笑い声があがる。


「じゃあやってみますか、英単語限定ヌメロン」


蜂坂さんの言葉で、そういう流れになってしまった。

英語は美鈴の得意分野だ。だが、まあ、数字だろうがアルファベットだろうが、論理的思考力の高い方が勝つのは変わらないだろう。つまりこの勝負、俺に有利だ。


「やろうか、美鈴」

「うん、いいよ、涼太」


俺たちもテーブルの角で斜めに座って、ゲームを始めた。


まずは正解を決めなきゃいけない。このゲーム、ここが一番重要だといっても過言ではない。なるべく相手に推測されにくい単語を選んだ方が良い。

ほとんどすべての英単語には母音が含まれる。だから相手の母音を確定させるのがこのゲームの基本戦術になるはずだ。と、なると……。


俺の単語は決まった。

【myth】(神話)だ。

母音が含まれない四文字の英単語。美鈴はまず母音を探ってくるだろうから、そこで時間稼ぎができる。


「私は決まったよ。涼太は?」

「俺も決まった。よし、やろうか」


じゃんけんの結果、先攻は俺になった。

さて、何を聞こう。まずは母音を特定した方が良い。そのためには、母音が多く含まれる単語を聞くべきだ。

母音、母音、母音……。

よし、決まった。


「【auto】」


四文字中三文字が母音の英単語。もしこれが0イート0バイトだったら、一気に絞れることになる。


「んーと、【0イート1バイト】」


1バイトか……これは、美鈴の単語にtが含まれない可能性があるな。


「じゃあ次私ね」

「おう、こい」

「私は、【love】」


love。愛する。

いきなりラブなんて言うもんだから、一瞬ドキッとしてしまった。

なるほど、四文字で全部文字が異なる英単語だ。えっとこれは……。


「【0イート0バイト】」

「ふーん……つまりeが含まれないのか」

「e?」

「そう。eは一番使用率が高いアルファベットだからね」


なるほど、そういう考え方もあるのか。英語の知識から絞り込んでいくとは賢いな。

次は俺の番だ。


「【shut】」

「【0イート0バイト】」

「お、よっしゃ」


uとtが使われないことが確定した。さっきのautoと合わせると、母音はaかoだ。それにshの組み合わせもない。rushとかdashとかではないってことだ。


「次は美鈴だぞ」

「そうだねー……じゃあ、【dote】」


dote。溺愛する。

また一瞬ドキッとしてしまったじゃないか。こいつなんでさっきからこういう単語ばっかり選ぶんだ。


美鈴はにししっと笑うと、

「早く判定してよ。doteはー?」

と急かしてくる。


「ええとー……【1イート0バイト】!」

「ふーん。loveで0イート0バイトだったのに、doteは1イート……ってことは、dかtの位置が当たってるってことか」


あ! やられた!

うまいなこいつ、そういう攻め方もあるのか。


俺も早く検討をつけないと。


「俺のターン。【home】」

美鈴はポーカーフェイスで答えた。

「【2イート0バイト】」

「お?」


なんだ? 突然当たったぞ。hはないから、o,m,eのどれか二つが当たっている。


「だんだん追い詰められてる気がするなぁ」

美鈴も悩み始めた。

「でもまだ平気かな」

「そうかな?」

「たぶんね。で、私のコールは【hold】」


hold。抱きしめる。

……。

いやいや、別にそんな意味だけじゃない。掴む、とか、持つ、とかいう意味だ。何を考えているんだ俺は。美鈴が変な単語ばかりコールするもんだから、思考がおかしくなってきた。


混乱すると、回答を間違えそうになる。落ち着け落ち着け。俺は深呼吸してから回答した。


「【0イート1バイト】!」

「1バイトってことは……oもlもないんだから……なるほどなるほど」


にししっと笑いやがった。

あれ、もしかして追い詰められてる?


いや、まだ大丈夫なはず。落ち着け落ち着け。俺にはさっきのhomeがある。これが2イートなんだから、あとちょっとだ。


「【Roma】」


こいつのことだ、固有名詞を選んでないとも限らない。普通の単語だけ考えてたら、固有名詞は盲点になる。


そして美鈴は、目を丸くした。


「わ、【1イート0バイト】」


あれ、イートが減った?

……あ、そういうことか!! かなり絞れたぞ!!


homeが2イートでRomaが1イート、そしてhは使われてない。

このことから、四文字目はeで確定だ!

そしておそらく、あいつの単語は……。


「じゃあ私のターンね」

「おう、いいぞ」

「じゃあねぇ……【キス】」


キス。接吻。


「お、おまっ、なんでそんな単語ばっかなんだよ!!」


俺はついに我慢できなくなった!

なんでさっきから恥ずかしい単語ばっかなんだよこいつ!!!


「えー、なに言ってんのー??」


美鈴はにししっと笑っている。


「だって美鈴、キ、キスとか……」


すると美鈴はケラケラ笑った。


「キスなんて言ってないよー、キスだよー」

「はぁ?」


あ、よく聞いたら発音が違う。kissじゃなくてkith(知人)かよ!!


「だいたいさー、kissじゃ同じアルファベットが二回出てくるじゃーん。ルール違反だよそれ」


美鈴はここぞとばかりに煽ってくる。こ、こいつ……!!


「【2イート0バイト】!!」


俺はとっとと回答した。美鈴がにししっと笑う。


「やっぱりthなんだねー。あとは涼太の性格を考えるとー……」


やばい、マジで追い詰められている。


「俺のターン、【role】!」


やっと美鈴の作戦がわかった。

おそらくあいつの単語は、「□o□e」の形をしている。

しかし、この形の英単語は大量にあるんだ。二十一個の子音の中から、正解の二つを見つけ出さないといけない。そういう作戦だったんだ。


「【2イート1バイト】」

「おおっ!?」


rかlのどっちかが正解だ。だがどっちだ?

考える前に、美鈴がコールした。


「私のターン。涼太の単語は、【myth】」


えっ……!?


「ふぉ、4イート……」

「お、やったー!」


「な、なんでわかったんだよ!」

「んー? なんか正直、始める前から涼太の考えそうな単語はわかってたっていうか……」


なん……だと……!!


そのときふらっと鬼頭さんが来て、美鈴のシートを見た。

「あー、なるほど……これは盲点ですね」

「ですよね、いい作戦だと思うんです」


俺も答えを見ようとしたら、美鈴がささっと消してしまった。


「あ、おい!」


美鈴はにししっと笑った。鬼頭さんは俺のシートも見て、


「あー、あと一歩だったんですねー。あとはv……」

「あ、ちょ!」


美鈴が鬼頭さんの声を遮った。そして俺の書いた分も消してしまう。


「あ、おい!」


抗議する俺を、美鈴は「まぁまぁ」と制した。


「ほら、これはさ、数当てじゃなくて単語当てなんだからさ、相手の心が読めればすぐわかっちゃうものだよ」


「いや、わかんねえよ」


「ふぅん……」


美鈴はじーっと、真顔で俺の目を見つめてきた。


「な、なんだよ」


「別に。ただ、『涼太は鈍感だなぁ』って思っただけ」


美鈴はまた、にししっと笑った。

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