第100話 平穏は、奪われるためにある

 月明かりの青白さが、周囲を照らし出している。草花はそれに呼応するかのように、芽から滴る雨粒の中に小さな月を映し出していた。フクロウだろうか。遠くの方では、夜行性の鳥がそれぞれのコミュニケーションを図っている。まるで、昼間に語り合えなかったことに花を咲かせるように。


 一方で、アーミーナイトの仮グラウンドに。夜の暗闇を追い払うかのように、いくつも建てられた照明。それが作り出す人工の光は、影を作ることすら許さない勢いで、夜に昼間を形成していた。


「はぁ・・はぁ・・・。シル・・あんた強すぎよ・・・!」


「あくまで相性の問題だよ。でも、賛辞は受け取っておこうかな」


 カランカランという弱々しい音が、この場に響き渡る。アンの手から零れ落ちた武器が、主人の敗北を周囲に知らしめるようであった。それを確認したのちに、喉元まで伸びていたシルの剣は、踵を返すように鞘に戻っていく。はぁはぁ、と漏れる息がこちら側まで届いてくるようであった。


「つまらん・・・。全く本気を出していないじゃないか・・・!!」


 荒れる苦言が思わず口から漏れてしまう。咄嗟に自分の口を右手で覆った。二人の耳に声が届いてはいないか、不安に心が戸惑ったがどうやら大丈夫なようだ。見つめあったまま、勝負の後の団欒に突入している二人の下まで聞こえてはいなかった。


ほっと胸を撫で下ろし、再び熱い視線で二人を視界に収める。先程までの、真剣勝負の時とは纏っているオーラすら異なる。和気藹々わきあいあいとした雰囲気を醸し出す彼の姿を見ながら、建物の影に身を潜める自分の姿を無意識の合間に比較してしまう。


「何をしているんだ、私は。コソコソ隠れるような真似をして・・・」


 いくら任務とはいえ、学生たちが磨き合う日々に邪魔する権利はないはずだ。にも関わらず、使用許可を申請してきた彼女の行動にどこか危うさを感じ取ってしまった。だからこそ、こうやって彼女と彼の行く末を見守っていたのだが・・・・


「思わず別のところで燃え上がってしまっていたな。どうやら問題はなさそうだし、今日のところは二人きりにしてやるか」


 胸ポケットに手を伸ばして、少し潰れた白い箱を取り出す。そして、中に入っているものを、口に加えながら彼はその場から立ち去っていった。その場に来たことを誰にも悟られず。しかし、モクモクと伸びる煙だけが、彼の足跡を示しているようであった。


 後ろから聞こえてくる笑い声が、段々と静かになっていく。暗闇が再び彼を襲い、辺り一面が黒色単体に染まりゆく。しかし、彼は何も畏怖を抱くことなく、歩みを進めた。


次第に、彼の視界の先に、いくつかの建物が織りなす狭い路地が現れる。このまま、真っ直ぐ進んでいけば、自分がいつも仮眠をとっている場所がある。いつもと変わらぬ日常が、目を瞑れば再びやってくるのだ。


「おい。いつになったら行動を起こすんだよ」


 訂正。平和が続いたことで、一つ忘れてしまっていた。平穏は、奪い去られるためにあるのだということを。

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