第24話 新入生の注目の的

 昨夜の怒り猛った表情とは打って変わり、心配そうな表情を浮かべる目の前の少女。彼女は、ポケットからハンカチを取り出し、そのまま少し背伸びをした。そして、よいしょという掛け声と共に、シルの額にそれを押し付けながら滲み出る汗を拭いさる。


 先ほどまで、シルは極度の焦りで追い詰められ、視野が限りなく狭まっていた。そこから得られるのは、断片的な情報のみ。声も聞こえず、感触すらも正しく脳まで伝わっているのかすら怪しい。だが、そんな世界に身を落とすシルを、彼女は容易だと言わんばかりに、颯爽と現実世界に連れ戻してしまった。


 優しさを具現化した温もりが、シルの強張った身体を駆け巡り、全身を鎧のように固めていた緊張を、瞬く間の間に溶かし切ってみせる。世界は色を取り戻したかのように視野を広げ、今まで詰まっていた栓が抜けたように、音が洪水のように鼓膜を震わせる。


「君は・・・何者なんだい・・?」


 シルは、その暖かさに触れたくて、気がつけば額を拭くために伸ばされていた手を、左手で無意識に握り返していた。


「な、なにやってるのよあんた。皆んなが見ている前で⋯⋯ 。恥ずかしいじゃない。早く離しなさいよ・・・。」


 デンジュが大きな声で呼びかけたからか、この場にいた新入生の視線はシルと彼女だけに向けられていた。そのため、視線は当然と言わんばかりに、二人の一挙手一投足に注がれている。ただ、張本人であるシルはその暖かさに溺れていて、そんなことに意識していないが。


「おいおい、何してるんだよ?」


「あれって・・キャァー! ダメダメ! 声を殺さないと・・・!」


 その中には、何をしているんだと、懐疑の視線を向ける者もいれば、両手で手を覆い隠し、見てはいけない物を見てしまっているような行動に出る者もいた。


 だが、誰一人としてその行為を咎める者は現れない。多種多様な反応を見せるも、二人の経緯をじっと固唾を飲むように見守っていた。


 彼女は粟色の髪を揺らしながら、握られた手を離そうと試みる。だが、手を包み込むシルの思わぬ力の強さで、一向に剥がしとることが叶わない。それどころか、返って取り外そうと力を入れれば入れるほど、逆に引き寄せられる力で身体はシルの方に近づいていってしまう。


 次第に距離が縮まるごとに、彼女の頰は繋がれている手と同色の赤色に染め上げられていく。だが、シルは全く動く素振りを見せることない。じっと包み込まれた彼女の手を見つめ、一時も温もりを逃さぬように握る力を強くした。そして、少しの間を置いた後に、意を決しシルは視線を彼女の顔に移し、口を開く。


「ねぇ、よく聞いて。冗談のように聞こえるかもしれないけど、俺は至って真剣だ。何を言い出すんだって、頭にくるかも知れない。だけど、命の危機に陥りそうになったら、大きな声で助けを呼んでくれ。そこに、例え俺がいなくても絶対から」


 それだけ言い伝えると、シルと彼女を繋いでいた手は最も容易く離れた。先ほどまでの、彼女の努力が無駄だと言わんばかりに、さっと手が宙に放置される。そして、ようやくいつもの様子に戻ったのか、すいませんでしたと大きな声で頭を下げると、シルは前で足を止め、シルの動き出しを待っていた列に走って追いかけていった。


既に列の中にいるマシュは、やれやれと言ったように首を振る素振りを見せる。呆れられているのだろうか。いや、恐らく先ほどまでシルがしていた行為が、どのような意味を持つのか。それを、全く気づいていないことに嘲笑していたのだろう。だが、幸か不幸か。いつの間にかシルの身体の震えは止まっていた。


 何かが吹っ切れたように、表情を明るくして走り出していくシル。その一方で、その場に、彼女だけがぽつりと取り残された。一人だけ並んでいた列から飛び出す形になっており、恥ずかしい気持ちに陥る。その気持ちを上回る説明のできない感情が身体を突き動かし、前を走っていった彼の後ろ姿から、目を背けることができなかった。


「何なのよ、急に。そもそも、ただのテストなんだから。命の危機とか起きる訳ないじゃ無い。そんなに緊張しているのかしら、こんなお遊びみたいなテスト如きに」

 

 でも、昨日までの様子からは、想像できないような真剣な表情だった気がしないでもない。あくまで、気のせいかもしれないが。だとしても、最初に歩み寄った時のあの表情。あれは・・・間違いなく、


、わよね」


 違和感を感じながらも、彼女は後で聞けばいいかと考えを固める。そして、自分もはみ出した列に戻ろうと、後ろを振り返った。だが、どこかその列は、先ほどまでとは異なる雰囲気を放ってはいないだろうか。


 確信はない。だが、寸前まで話していた新入生の子の表情がどこか変わっている。それだけじゃない。広い視野で見てみると、他の話したこともない女の子も、こちらをどこかうっとりした目で見つめてきてはいないか。


「うん。これは間違いなく、あれね。女の子特有の大好きな話だもんね・・・。さっきのシチュエーションなんて」


 原因は至って明白。みんなの前で、あんなことをされたんだもの。


「はぁー、今日も大変そう」


 列に近づくに連れて、遂にはヒューヒューと口笛を吹きはじめる子も出てくる。まるでどこかの村の祭りみたい、と彼女はため息交じりに思う。女子の列は大佐が来る前の賑やかさを取り戻したかのようだ。


 小柄な彼女が列に完全に戻ってくるのを待ち、一歩また一歩とそこに近くなるにつれて、その声は大きくなっていく。彼女が列に合流した時、再び一際大きな笑い声と歓声が起き始めるのだった。


 

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