第20話 ベットの隙間から覗く寝顔
身体から白い蒸気を出しながら、シルは火照りと共に寝巻きに身を包んだ。未だに濡れた髪の毛をタオルで乾かしつつ、リビングへと戻ってくる。
夜ももう遅い。当然のことだが、部屋の電気は全て消されている。リビングからベッドに繋がる扉は閉ざされているが、その隙間からも光は見受けられない。窓の外から入り込む、月の光だけがこの部屋を青白く染め上げている。
ここまで時間が遅くなってしまったのは、彼女がシャワー室から中々出てこなかったこともその理由も一つではある。だが、何より彼女が寝静まるまで、今度こそは問題を起こすまいと、じっとシルがベッドで固まっていたのも主なそれだ。
何度か彼女は、下の段で目を瞑って息を殺しているシルの顔を覗き込むような行動を起こしはしたが、特段声をかけてくることもなかった。そのまま、自分のベッドに戻り、しばらくすると部屋の光を落とし、暗闇に染めると、整った寝息を漏らし始めた。
シルは、自分が実際にお風呂場に行って身体を洗うまでは、なぜ彼女がわざわざ二人の共有スペースまで来て、髪を乾かしていたのかその理由がわからなかった。だが、今になってみて初めて分かる。
何を隠そう、洗面所が思ったよりも狭いのだ。それこそ、少し身体を動かす程度のスペースは確保されている。だが、激しい動きを伴い髪を乾かそうと思うと、中々骨が折れる縦に細長い作りで、洗面所は建設されていた。
頭を豪快に拭くといった大きな動作を伴うことは出来そうにないが故に、この場所でそれをやるしかない。男で髪の毛がそこまで長くないシルでこれなのだ。女性である彼女の長い髪の毛を乾かそうと思えば、やはりあの程度の大きさでは、狭いと言わざるを得ないだろう。
夕方にも関わらず彼女がお風呂に入ったのは何でだろうか。シルは、シャワーに打たれながら、気がつけばそのことばかり考えていた。単純に推理するならば、食事の前にお風呂に入っておきたかった、とでも結論づけれるだろうか。
今日の夕食と、明日の朝食に限り、アーミーナイトから直々に各部屋の冷蔵庫に支給されている。至ってシンプルな弁当ではあるが、シルもさっさと彼女がシャワーに入っている間に済ませている。
だが、それだとなぜ二度シャワー室に向かったのか説明がつかない。つまり、一度目の入浴は——予定外の出来事から生じさせたのだろう。それが、身体をひどく汚したのだ。
恐らく、彼女もかなりの修羅場を潜ってこの場所にたどり着いたのだろう。シル達だけが、闇の一族の標的になったりしているわけがない。大佐も話していたが、本来なら、この学院に足を踏み入れられる許可を得た人の中でも、来れていない人もいるほどだ。
各々選ばれた20名には、奴等からの刺客が送り込まれていたはずだ。そんな緊張感溢れる死地を乗り越えたのだ、シャワーを浴びて、スッキリしたいとも思うのが、人間ってものだ。加えて、開放的になりたいと思うのすらも。
彼女が眠っている2段式ベッドの上段に、背伸びをしてそっと近づき、彼女の様子を伺う。シャワーにいく前まで怒っていた彼女は、今は顔も見えないくらいに布団に包まりながら眠っている。だが、時折聞こえてくる静かな寝息は、安らかな夢を見ていることを教えてくれる。どうやら、悪夢にうなされていることはなさそうだ。
「また明日、謝らないとな」
ぼそっと呟くと、眠りの妨げにならないように、極力音を出さないよう神経を尖らせて、シルもベッドに潜り込もうとする。すると、不思議なことに、大きくて黒い物体に、自分のベッドがいつの間にか占有されていることに、今更ながら気づく。これは、シルがシャワー室に行く前までなかったものだ。だが、間違いなく、何かがそこにある。
反射的にシルの脳にある考えが浮かぶ。紛れもなくこれは、男性が誰の許可も取らずに触れてはならないものだと。まさに、その場で寝ることすら許しはしない、と言わんばかりの妨害が、そこには施されているような気がした。これって、まさか——。
「どこからどう見ても鞄⋯⋯ だよな。それに、よく見てみれば周りにもなんか散らばってる。これって⋯⋯ 下着じゃねーか」
月光の光源でははっきりとは見えないが、赤や黄色カラフルな薄い生地の下着が布団一杯に広げられていた。シルは、咄嗟に右手で視界を遮り、見ないように努める。そして、しばらくの間の後、五指をゆっくりと動かし隙間を生じさせ、その間からそれが何なのか確認する。間違いない。下着だ。
そのどれか一つに、触ったもんなら余計彼女を怒らせてしまう姿が、優に想像できる。ただでさえ不審者、変態扱いを受けている身のシルとしては、これ以上信頼度を下げることは、何としても回避したい。というか、もう一度そんなことが起きれば、今度こそ修復不可能な関係になってしまう。
「はぁー。ほんとデリケートのカケラもないな。今日、どこで寝ろって言うんだよ」
布団以外にも、この部屋は彼女のもので埋め尽くされている。シルが勝手に片付ければ良いだけの話ではある。そうすれば、寝場所も問題なく確保できる。それに、本来なら二人は対等の関係でなければならないはずだ。
なのに、片方が相手に対して、ここまで遠慮をしなければいけないのはいかがなものなのか。考えれば考えるほど、シルが彼女に対して、気を遣いすぎる必要性がないように思えてくる。だが、シルは、特に行動を起こすことはなかった。
もうすでに機能を半分以上眠気に費やしている脳内に、怒りと呆れの思考が巡り回る。だが、シルは全てを諦めたかのように一つ大きなため息を吐いた。再び彼女の顔を見るため背伸びをする。木造の床がみしみしと音を立てるが構いはしない。
掛け布団の僅かな隙間から彼女の顔がうかがえた。月明かりが青白く彼女の寝顔を照らし出す。整った寝息も、隙間が生まれたからだろう。先ほどよりも鮮明に聞こえてきた。この状態の彼女をどうやって起こして、片付けろと文句を告げればいいと言うのだろうか。いや、言えるわけがない。
「ったく、しょーがねーな」
シルはベットに背を向けると、玄関の方へ音を立てずに歩き出す。その顔を、月光の色とは真逆の太陽の様に紅く染めながら。
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