アーミーナイト 体力テスト 前編

第21話 似合わない表情

 一度玄関付近まで歩くと、目当てのものだけを手にとって、再びこの場所へと戻ってくる。ドサッと言う音を立てながら、それはシルの手から放たれ地面に再び着地した。重たく、それでいて取手がついた物体。そう、鞄だ。このドタバタ騒動で忘れられていた、それを取りに行っていたのだ。


 玄関から移動させてきた鞄に手を伸ばすと、チャックを開け、中から大きめのタオルを取り出し辺りを見渡す。この部屋は一見すると広く見える。だが、中に入ってよく見てみると、一つ一つの機能は限りなく狭く建設されている。共有スペースの先は、扉を隔ててすぐに寝室に繋がっている。その上、台所も中心としての機能を果たすそれに、隣接する作りになっている。それに、その横の通路を歩くと、すぐに玄関に繋がる。


 シルが部屋中を見渡し探していたのは、人一人分が寝ることのできる空間。それでいて、彼女の私物で侵食されていない場所を探していたのだ。この部屋中に彼女のものは散らばっているので、それを発見するのは困難であるかのように思えた。さながら、砂金を川に掬いに来たような感覚に陥るように。


しかし、砂金探しほどの難易度ではなかったようだ。意外と早く、空いているスペースを台所の端の方に見つけられ、取り出したタオルを片手にそこに移動する。その途中にある、共有スペースと寝室を繋ぐ扉。それを立ち上がった時に、静かに閉めた。


 扉が閉ざされていくにつれ、寝室には暗闇が充満していく。それに伴い、隙間から見える彼女の姿は、徐々に細くなっていく。


「明日は、良いことが起きたらいいのにな」


 シルは、閉ざされた先の部屋で眠る少女に対して、静かに祈りを込めると、夜本来の暗闇で寝室を充満させた。


「ここなら何とかなるだろう」


 苦労の末見つけた僅かな空間で、なるべく彼女の物に触れないように小さく体育座りの姿勢を取る。正直言って、ものすごく眠りづらい。明日に疲れが残ることは疑いようもない。


 シルは、凄く窮屈な形でようやく長い1日を締めくくるよう瞼を閉じ、中々襲いかかってこない黒い睡魔の到来を待ちながら、そのまま身を委ねた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「身体中が・・・いてぇ・・・・! 」


 翌日、午前訓練の集合場所のグラウンドに整列したシルは、その言葉が無意識に口から出てしまう。結局、昨晩はあまりの腰の痛さに、夜な夜な幾度も目が開いてしまった。その度に、身体に怠さを感じながら、再び短い睡眠をするというループを軽く10回は繰り返しただろうか。


かえって疲れが増したのではないかという感覚だけが、シルの身体に残り、現に今も猛烈にそれが身体を襲っている。


 夜中に目が覚める度に、彼女の様子を扉を少しだけ開けることで伺ったが、シルとは打って違い、朝まで一眠りの快眠ぶり。常に心地好さそうな寝息を立て、その度にシルを絶望と怒りの感情を呼び起こしたものだ。


今だって、何度か彼女の方に目をやってみても、疲れの色一つ見せることはない。羨ましい限りで、思わずシルが悪態をついてしまいたくなるのも、仕方のないことだろう。だが、その度に今日こそは、物を片付けるように、言おうと固く決意する。例え、彼女が先に眠っていたとしても! 起こしてでも言うのだ!!


 一方で、彼女は何故シルがこうまで身体に疲れを残しているのか。そして、台所という、寝心地最悪な場所で寝るという決意をしたのか。何とも腹立たしいことに、よくわかっていないようであった。


 朝から、何度もその手の質問を浴びせられたので間違いないだろう。本当のことを言おうかと何度も思ったが、それは喉元まで出かかりそうになった時に発するのを止めた。言えば、余計に関係が拗れることを、シルはなんとなく予感していたからだ。


「今日は寝坊しなかったんだな。その代わり目に大きなクマが出来ているが」


「昨日色々あってな」


 シルの隣に立ち、綺麗な休めの姿勢で、訓練開始の合図を待つマシュだけが、シルの違和感に目ざとく気づいてみせる。相変わらず抜け目ないなと、シルは思いを馳せた。そういえば、マシュの前でハッタリや虚勢を貫き通せた試しがないことを、ふと思い出す。親すら見抜けないシルの機微に、いつも勘づくのはマシュだけだった。


「なぁ、マシュ。一つ聞きたいことが」


「私語をやめて、こちらに注目しろ。指示は一度しか言わない。なお、 質問も受け付けないから集中して聞け」


 そんなマシュに、彼女のことで相談しようと声をかけた直後。その声をかき消すほど大きな声がグラウンドに鳴り響く。そして、昨日いきなり拳銃での洗礼を浴びせてきた大佐が、新入生の前に姿を現した。


その瞬間、まるで氷がその冷たさを伝達するように、今まで浮かれていた新入生の間に、突如背筋が凍るほどの緊張感が伝播する。先ほどまで、賑やかだったのが嘘のように、大佐の一声で吹き抜ける風の音しか聞こえなくなった。


 そのあまりの緊張感に、シルですら思わず生唾を飲んでしまうほどだ。隣のマシュも、既に声をかけられる状況ではない、いつの間にか、直立の姿勢に変わっている流行り身の早さには、驚きを覚えるが。


「この状況じゃ、聞けそうにないな」


 そうこぼすと、シルも大佐の言葉に集中し始める。大佐は辺りを一度見渡し、私語をしている学生が一人もいないことを確認すると、固く閉ざした口を再び開いた。


「今からお前たちの戦闘における実力と基礎体力を測るテストを行う。昼食をとってからは学力テストを実施し、作戦や戦術をどれだけ理解できるのかを確認させてもらう。これで、お前達がどれほど使える人材かを見させてもらう予定だ」


 突如として伝えられた驚愕の授業内容。あまりに突飛な内容で、ザワザワと新入生の中から動揺の声が漏れる。しかし、一度沸いたそれを、大佐は冷たい目線ですぐに制する。


「世界の現状は刻一刻と姿を変え、我々も育成と鍛錬に本腰を入れ始めなければ敵対する闇の一族に差を離されていく一方だ。お前たちも新入生という肩書きに甘えることなく、必死でやって好成績を残してくれる様ベストを尽くしてほしい」


 では、ここからの進行は実施委員の方に任す。大佐は、そう早口でまくし立て、早々と新入生の前から姿を消し、大佐室がある建物の方へと姿を消していった。その背中に、強い信念を感じ取ったのは、恐らくシルだけだろう。世界の事実を知っているシルのみが、先程の言葉の節節から、自分たちが直面している現実を見据える事ができた。


そして、それがどんなに過酷なものになるのかも。


「あー、注目してください〜!」


 次に前に立ち、声をあげた人はそんな大佐とは一切違った雰囲気だった。緊張感のかけらも微塵に感じさせ無い。大佐の真剣な表情とは一変、満面の笑顔を浮かべながら、片手に拡声器を持って現れる。そこには、先程のシルの考えは嘘であると否定するかのように、この現実に満足しきっている表情。それを見て、シルは誰にも悟られぬよう顔を歪めた。


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