第18話 高ぶる心拍数

 満足そうな顔を浮かべると、カヤは用事が終わったと言わんばかりに、足早に部屋から出ていくため、扉に向かって歩き出す。先程までの、後ろから彼女に押される力に抵抗していたのが嘘のようであった。修羅の彼女は、行き場を失った両手による力で、危うくそのまま倒れ込みそうになったが、すぐさま体勢を戻した。


最後に、カヤは二人仲良くね、という鳥肌が一気に立つような言葉を残して部屋から出て行く。パタンと扉が閉まる音が静かな部屋に響く。静寂な部屋に次に響いたのは、二人同時に疲れたと言うが如くの、大きなため息であった。


 再び二人きりになる部屋。ため息によって一度空気を震わせたが、すぐさま静寂で溢れかえってしまう。二人とも進んで話そうとしないからだろう。そして、静けさのあまり、ゆっくりと時が進んでいるように錯覚してしまう。


先ほどのように罵声や、悲鳴が飛んでくることはない。少しは怒りも冷めてきたっていう感じかな、とシルはどこか願うような心持ちで、彼女の方をじっと見つめる。彼女も視線に気づいたのだろう。一度視線が絡み合いはしたが、すぐに逸らされてしまう。


「知らなかったとはいえ、悪かったと思っているわ」


 彼女がシルのところまで歩み寄ると、しゃがみながらきつく縛ったロープを、テーブルから解く。顔が一気に近くなり、彼女の息遣い、髪の毛のサラサラ具合が、五感全てを震わせてくる。どれもが、男性の本能を刺激してくる代物で、あまりのそれにシルは直視することができず、目を逸らしてしまう。


「い、いや、こっちこそごめん。今覚えば、ノックするのを忘れてた気がする。こっちにも落ち度があった」


 ロープから解放されて、シルはゆっくりと立ち上がりながら、縛られていたところを両手で交互に摩る。強く縛られていたといっても、か弱い女の子が結んだものだ。これからの訓練に影響が出るほどではないだろう。幸い、怪我のレベルまで至ってはいない。


 思い立ったように、シルはいざこざの間、置き去りになっていた自分のカバンを取りに、玄関の方に行こうとそちらに体を向ける。確か、そこに大事な剣も立てかけたままだったと認識している。だが、シルの動きは不自然に止められる。意図したものではない。そのため、右手だけその場に動くのを忘れたかのように、先程の場所で停滞している。


何があったのか。それは、突然シルの手首は、自分の体温とは異なる温かなものに包まれたのだ。それも、思っていたよりも強い力で。だが、柔らかく、かつ撫でるように包むそれは、シルに安心感を与えてくる。ゆっくりと目線を下に向けると、縛られて少し赤くなったところを、目の前に立っていた可憐な少女が、両手でぎゅっと包み込んでいた。


「大丈夫? 赤くなってるけど痛くない?」


 初対面の時とは違う声色と、上目遣いに思わず心臓が跳ね上がってしまう。同時に、粟色の髪の毛が窓から入ってくる風に煽られ、シルの皮膚を僅かに撫でる。それを踏まえて、更に心拍数が上がるのを自覚でき、自然に顔も赤みを帯びる。お風呂上がりの為か、ふわっと香るシャンプーの匂いの追撃の前に理性を保つほうが困難だ。


「も、問題ない! 大丈夫だよ。痛みはそんなに酷くない」


「なんで手だけじゃなくて、顔まで赤くしているのよ。気持ち悪い」


 先ほどの声とは全く異なる声色で、シルはぼそっと暴言を吐かれる。その態度はあの罵声を浴びせてきた時と同じそれだ。先程まで昂りを覚えていた心拍数は、一気に平常値に戻る。いや、平常値を大きく下回ったかもしれない。それほど、瞬間的に冷静と言われるほどの、それに戻っていた。


「あのね、私はまだ許したわけじゃないから。あなたのような、頼りなさそうな人に私の裸を見られたことは、屈辱以外の何者でもないし。部屋にいることは許可してあげるけど、極力私とは関わらない生活を送って。これ、頼みじゃなくて命令だから」


 一息に捲くしたてあげて、サッと握っていた手を話すとベッドの方へと歩み寄っていく。そこには、シルに言葉を挟ませる余地すら持たせない。


「お、おい。ちょっとまっ」


「あと、あまり私に話しかけないでもらえるかしら。気分悪いから」


 そう言うとすぐに彼女はベッドが置かれた部屋に入り、颯爽と二段ベッドの上の段に登る。そして、そこに乱雑に置かれた荷物の中から小さな鞄を手にすると、シルの横を通り過ぎて、リビングの横に設置された扉の奥へと消えていった。


何分、ここに辿り着いてすぐに手足を縛られていたのだ。その先が何に繋がっているのかはわからない。だが、推測だろうが、彼女の荷物の中に大きめなタオルが見られたことから、お風呂に向かったのだろうとは見当がつくが。


 月明かりにのみ照らされた部屋に一人で放置状態のシルは、静かにため息をつく。


「これはこれで大変だな」


 彼女に聞こえるとまた面倒なので、聞こえないようになるべく低い声で呟いた。


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