第15話 一糸も纏わぬ姿
階段を登る足が異様に重く感じる。まるで自分の足ではないように、思うように動かすことができない。午前中の戦闘の影響が、依然として身体から抜けていないことは明らかだった。自分が想像しているよりも遥かに足が上がっていなくて、なんて事のない段差一つ一つに躓きそうになって仕方がない。その度、ひやっとする気持ちを、ここに辿り着くまでに何度も味わっている。
階段の踊り場の壁に4Fと言う文字が見えた時、シルは心からの安堵の息を漏らした。そして、今まで手すりを握っていた右手を、階段と4階とを隔てる緑色の扉のドアノブに近づけ、ゆっくりと回し奥に押し込む。
防火性の扉なのだろうか、はたまた腕にもダメージが残っているのかは分からなかったが、扉が開かれる速度もあまりにも遅く感じられる。と言うか、実際に遅く、腕を通して力が全然扉に伝わっていなかった。
4階といっても、何か劇的な変化が他の階とあるわけではない。想像するならマンションなどの各階のフロア。ただ長い廊下が奥まで伸び、その壁に沿ってドアが埋め込まれており、それぞれの部屋を分けている。
この場所もそれと同様で、奥まで道が伸びており、そしていくつかの扉がうかがえた。手前の扉には、400という数字が刻まれており、自分の部屋がここからそう遠くないことが、何よりも身体を色々な意味で軽くする。
ただ、そこまでの通路が高級そうな絨毯が敷き詰められている点がマンションとの相違点だろう。それ以外には何か特筆すべきことは見られない。強いて言うなら、各部屋の間隔が少し広いかな。でも、それもあくまで微々たるものにすぎない。
シルは今にも倒れそうになる身体に鞭を打ち、何とか部屋の前に辿り着く。すでに体は限界を迎えており、あと一つ上の階であったらシルはおそらく途中で倒れていただろう。うん、確証はないが間違いなくそうなっていた。
「420号室。間違いないな」
ようやくこれで落ち着けられると、シルは今まで溜め込んでいた疲れたという感情を息に乗せて、一気に吐き出す。不思議と疲れを吐き出した後に吸い込んだ空気には、これから訪れる未知の出会いや学園生活に心躍らせる期待が、十二分に含まれていた。子供の遠足のようにワクワクするものが、この先待ち受けている事実が、疲れている身体に再び元気をもたらす。
「これで、やっと落ち着けられる」
渡された鍵を鍵穴に差し込み、勢いよく左側に倒す。しかし、何の手応えもなくカチャカチャといった無感情の音だけが、シルの手を介して伝わってくる。それを何度か繰り返すが、依然として同様の音だけが返ってきた。
「あれ、方向を間違えたのかな? よいしょっと」
シルはそれならばと、今度は逆向きになる右方向に向けて鍵を回す。するとガチャという音が誰もいない廊下に響き渡る。今のはロックされた音だ。試しにドアノブを回してみると、やはりロックされていた。
「いや違うな、最初からロックされてなかったのか」
シルは3度目の正直で鍵を左方向に回し、ドアのロックをようやく解除し、部屋にようやく入っていくことが叶った。しかし、部屋の中に一歩足を踏み込んだところでシルは足を止めた。同時に呼吸することも忘れてしまう。目の前には、月明かりに可憐に照らされる一人の少女がいた。お世辞にも高身長とは言えない、守ってあげたくなるような少し小柄な体型。それなのに、粟色の綺麗な長い髪の毛で、誇張するところは誇張するスタイル。思わず、シルは疲れていることを忘れてしまうほどに見とれてしまう。
何人も虜にしてしまうような、引き込まれる様な大きい目にしっかりシルは反転して映っていた。そう、部屋には先客がいたのだ。それも一糸もまとわない姿で。風呂上がりなのか、濡れた髪を鼻歌まじりにタオルで拭いていた。しかし、動かす手も今は停止している。二人の視線が惹かれ合うようにぶつかり合う。こう言う時、人間ってなんて言えば分からなくなるのだと、シルは思う。
「あ、えぇと心配しないで。全く恥じることのないスタイルだから」
シルは自分で自分の事が嫌になる。この場面で一番言ったらいけないセリフだろ、それは。生憎、相手からの返事は単純明快だった。
「キャアァァァァ!!!!!」
勿論、超爆音の悲鳴だ。
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シルの困惑など知る由もない、四方を宿舎含む建物のど真ん中にいちする管理棟の5階に位置する隊長室。中に一人いる筋肉質の男は、電話を片手にヤニをメモ用紙にこぼしながら笑みを浮かべていた。
「やはり、そうですか。あの時の子供ですか」
電話先の相手と大声で笑い合う男の手元にある用紙には、こう書かれていた。
「15年前 農村部 闇 ●●●」
ヤニによって所々焦げているのを、この男は全く意に介していなかった。
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