第12話 加速時間(オーバードライブ)

 マシュと並んで階段を登り、先ほどまでのマシュと同様に、シルは呼吸を荒げて5階にたどり着いた。段差ばかりの光景から一変して、広い視界がシルとマシュの前に広がっている。見渡すと、どうやらこの階には部屋は一つしかないみたいだ。廊下の奥に設置された、入口となる大きな扉。それが、異様なほどの存在感を放ちながら、通路との境界線を引いていた。


神々しくもあり、思わず背筋が伸びるほど戦慄してしまうほどの威圧感。扉越しであれど、ひしひしとそれを肌で感じることができる。その先にいるであろう人物が、一人でここまでのオーラを放っているとするならば、それは、最早午前中にあったあの甲冑男と同レベルの化け物なのかもしれない。そんな思案すら、シルに思わせるのであった。


 もしかしたら、その扉が血と同色の赤色で彩られていることも、思考の起因の要因かもしれない。今から謝罪をしに行くという緊張感からか、二人して思わず生唾を飲み込んでしまう。


「覚悟はできてるな、シル」


 声は出さず、シルは首の動きだけでマシュの問いに返答する。そして、マシュはふぅー、と一つ大きな息を吐くと、軽快なリズムで扉を二度叩いた。


「失礼します!! 今日から新入生になりました、ガルーダ・カリュです」


 その動作が正式な作法であるのかは、見当もつかないし、確かめる方法も今は持ち合わせていない。もしかしたら、正しい行いとは、大きくかけ離れたものなのかもしれない。だが、マシュは何も臆することなく、そう高らかに言い放ち扉を開いた。


 開かれた扉の先には、正にこれぞ軍曹という格好をしたイメージを体現した軍人が、高級そうな机に加え、皮椅子に深々と腰掛けていた。日々過酷な訓練に、その身を置いているのだろう。身にまとっている軍服を盛り上がらさせるほどの筋肉が、嫌にこの場では圧迫感を放っていた。それに加え、威圧感を可視化させたように、口から煙をモクモクと上げる葉巻が、より一層それを強めている。


そして、幾度の死線を乗り越えてきたことを象徴する、顔にある無数の切り傷。座っていても、彼の身長は有にシルの身長に加えて、もう一つ頭を乗っけても負けてるほどありそうに思える。そう思わせる程のオーラであり、威圧感がこの目の前に対峙している軍人からは感じ取れた。


「お忙しいところ失礼いたします! ガルーダ・カリュと申します!」


「同じく、シル・バーンと申します!」


「あー、よろしく。カリュ兵士に、バーン兵士と名乗ったかな。君たちが挨拶をしてくれたからには、私も軍規に乗っ取って名乗らなければいけないな。私は、ここで新入生達の訓練を管轄することを主な職務とする、ウィリアム・ポルジンギス大佐だ」


 ふぅー、という息と共に、白い煙がシル達に向かって伸びてくる。だが、それはシルの顔に触れるか触れないかの場所で、綺麗に拡散して見せた。


「さて・・・、初日からここに何の用かな。お前達は無謀にも闇の一族に戦いを挑み、大怪我を負って無様にも意識を喪失。その後、現場に駆けつけた我々によって保護・治療されたという報告を部下から聞いている。こんなところに足を運ぶよりも、まず、なすべきことが多くあるように、私は思うがね」


 貫禄のある声で、シルとマシュの二人は、声だけで腹の下を畏怖の響きで震わされる。笑顔すら浮かべず、姿勢も一つも崩さない。そして、突き刺さるほどの鋭い目線は、シル達とが違っていると、暗に伝えているようにも思えた。だが、ここで怖気ついて尻尾を巻いて逃げるわけにもいかない。


「まずは、治療の件。感謝申し上げます。ここでの治療がなければ、今の私たちはここに立っていません。その上で、今日の入隊式に二人揃って遅刻をしたことを詫びにきました。本当にすいませんでした。罰則があるのならばしかと受け止めて、全うしたいと思っています」


 マシュがそう言い深々と頭を下げるので、シルもそれに倣い、マシュよりもさらに低く頭を下げる。この後にどのような言葉をかけられるのか。目の前で恐怖の対象として君臨する大佐から、どのような事を告げられるのか想像もつかなかった。


「あー、そんな堅苦しいことはいらんから。頭を上げてくれ。今日、この場に死なずに来てくれた。それだけで、俺たちにとっては十分だ。十分過ぎると言ってもいい。ちょいと脅しすぎたかな、いけねぇいけねぇ。またあいつに怒られちまう」


 その言葉に安堵したのか、二人は頭を下げたまま、互いの顔を見合い、少しばかりの笑みを零す。そして、下げていた頭をゆっくりと元の位置に戻し始めた。徐々に上がっていく視線は、先ほどと代わり映えのしない光景を映し出している。もちろん、大佐の姿も含めてだ。


「だが、まぁ罰は勿論存在する。これくらいで勘弁してやる」


 その瞬間、シルの視界に映ったのは、ほんの刹那の動作だった。依然まだ頭を上げている途中で、咄嗟の行動は取れない。だが、大佐が腰に隠して所持していたピストルに手をかける瞬間が、机と椅子との僅かな隙間から、視界の隅に映りこんだ。


 大佐クラスのクイックドロー。普通の反応速度なら何も見えずに、頭を撃ち抜かれるだろう。認知とは一番遠く離れた所業で、言葉通り瞬きの間に命を奪われるのだ。大佐は既にロックのハンマーを下げ、トリガーに指を掛けている。咄嗟に自分の愛剣に手を伸ばしたところで、バンという銃声が部屋中に響き渡った。


銃口から、鉄と火薬で構成された金色の銃弾が弾き飛ばされ、目で追うことの出来ない速度でシルに向かって螺旋の回転を生ませてみせる。しかし、シルのところまでコンマ数秒で到達するはずの銃弾が、ゆっくりと向かってくるようにシルの目は捉えていた。


空気抵抗を下げ、かつ速度をあげるねじれ回転すらも、今のシルには見える。周りの全ての物理速度がまるで止まっているかのように、自分だけが感覚。


 この状態は今までシル本人が自覚する中で、何度か体験したことがある。あるのだが、毎度上手く言葉で説明できずにいた。というのも、言葉の選択が難しいのだ。ただの集中状態とは異なり、命の危機に陥っているからこそ生まれる、鍛冶場の馬鹿力というわけでもない。


しかも、己の意思とは無関係にこの状態に入る事があるので、コントロール下に置けていない力だ。そのため、声高々に誰かに説明することさえ渋られていた。 

 

 だから、シルはこの状態を恥ずかしげもなく、一人でにこう呼ぶようにしている。加速時間オーバードライブと。

 

 銃弾の狙いどころはシルの額の中心。螺旋回転は一寸のブレもなく狙いどころ目掛けて飛んでくる。あのクイックドローの速度で、ここまでの正確さには流石に舌を巻く。しかし、シルは加速時間の中で高速に剣を抜き去ると、向かってきていた鉄の物体を一撃で両断した。


キィィィィン!!


金属と金属がぶつかり合う音を響かせた直後。追いかけるようにして、カランカランと、先ほどまで飛翔していた一つの物体が二つに分断された。勢いを失ったそれらは、シルの体を避けるかのごとく床に落ちていく。


 この一連の流れには流石に驚いたのか、大佐の顔にも驚愕の色が見えた。それが顕著に現れている大佐の唇は、ワナワナと上下に微かに揺れている。その光景を落ち着いて視認する頃には、いつの間にかオーバードライブ状態も解除されており、シルの体感速度も通常の時間軸に戻っていた。


勝手にこの状態が解かれるとは。やはり、シルにとってこの力は、まだまだ使いこなせるものではないことが、改めて痛感させられる。だが、今はそんなところを嘆いている場合ではない。


「これで罰は以上ですか、大佐」


 そうシルに問われ、大佐ははっと我に返る。


「すまんすまん。いつもは偽物で殺傷能力が低い銃弾と変えているのだが、今回はうっかり。本物の銃弾を使ってしまっていたようだ! いやー、銃口から出る火薬の量と銃声が、いつもと比べて大きかったから心底ヒヤッとしたよ」


 こっちがその銃弾。と、ヒラヒラと高らかに笑いながら見せてくる目の前の長身マッチョ。これが冗談で済ませられるか、とシルは心の中で反論する。絶対に口に出して言えないが。


「あー、隣のカリュ兵士。君は宿舎に戻っていい、お咎めなしだ。彼がいなかったら、君も危なかったからな。連続でこれを発砲していたら、どちらかはまた怪我をしていたかもしれない。それを止めてくれたのは、紛れもなく彼だ。後でバーン兵士に礼でも言っておくといい。その代わり、バーン兵士は少し残れ」


 大佐からそう言われ、一度マシュと顔を見合わせるシルだったが、大佐の言うことには逆らえないので、しぶしぶマシュはシルを残して先に一人部屋から退室していった。


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