第11話 今日イチの嫌な汗

 時間が止まってしまう。そう感じる瞬間を、日常生活で体感したことはあるだろうか。雨が降っているはずなのに、降り注がれる雨粒が地面に落ちずに、空中に浮遊し停止。しまいには、周りの人の動きも止まってしまう。そして、自分以外の時の流れが止まっていると錯覚してしまうような、そんな感覚。


時にそれは、自分が認知していないほどの集中状態から引き起こされると解釈され、映画などにも用いられることが多々ある。だが、SFじみた話ではなく、まさに自分自身の事象として現実にそれが起こっていた。


 シルと医師の男性は、互いの視線が交錯したまま、両者とも一ミリすらその場から動くことはなかった。部屋が静寂に包まれたまま、他の音が一切発生しなかったためか。シルは思わずこの時、この部屋に流れる時間そのものが止まってしまったのだと、錯覚してしまったのだ。


しかし、あぁ、と明らかに動揺している声が部屋の静寂を破る。加えて、言いながらに後頭部を強く掻く医師の姿を見て、やはりただの錯覚だったと認識する。


「そ、そんな訳ないじゃないか。私達が同胞を見殺しにするなんて、断じてありえない」


 先ほどまでの話し振りと打って違い、必要以上に強調して話してくる態度。それが、厭にシルの鼻についた。そのあからさまな態度の違いが、何か後ろめたいことでもあるのかと、考えたくなくとも意図せず邪推してしまう。


だが、目の前の自信なさげな医師は、特に詳しい情報を持っていないと先ほどこぼしていた。そうなれば、今この人に問い詰めても、それは無駄足にしかならないのではないかとも思考を巡らせる。


 一通り熟考した後に、シルは緊迫した表情を浮かべる目の前の医師とは対照的に、それを崩し、この場の圧迫されそうな重い空気に反して微笑みを浮かべた。それが奇妙に捉えられたのか。医師は、より一層緊迫したオーラを苦笑に隠した顔の下で醸し出す。だが、そんなことを気に留めることなく、角が立たない声でゆっくりとシルは言葉を繋げた。


「そうですか、ありがとうございました。じゃあ、僕もとりあえず外に出てみます。マシュとも話したいことがあるので。もう命を落としたものだと、あの時は思っていました。それなのに命を繋げて頂いた上に、ここまでの完璧な治療助かりました。また、って言い方も変ですけど、何かあったらおねがいします」


「あ、あぁ・・・。あまり、怪我をしないでもらえると助かるけどね!」


 そう言い終わると軽く会釈をして、立ち止まったままその場から動こうとしない先生の横を通り過ぎ、廊下と部屋とを隔てる扉を引いて、スタスタと医務室からシルは出て行った。

 

 医務室を出ると、そこにはまるで、現時点で人類が誇る最先端の技術を全て盛り込んだかのようなハイテクな建物群。それが、余すことなくガラスの先には広がっていた。あまりの絢爛けんらんさに、思わずシルは圧倒されてしまったほどだ。


 シルの過ごした村では、まずお目にかかれない超高層の建物。加えて、敵の索敵を妨害するレーダーが、この敷地内の角に建てられ常備稼働している。もちろん、数も一つなどではない。


また、色とりどりのライトが既に薄暗くなっている世界とは真逆に、建物を美しく色鮮やかに染めていた。それを見て、思わずシルは感嘆の声を漏らしてしまう。


「驚いたろう。僕も最初に見たときは、腰を抜かしそうになった」


 いつの間にか隣に立っていたマシュが、シルにどこか誇らしげに語ってくる。どの立場から、その意見を述べているのかは分からないが。しかし、彼の手にはしっかりと剣が握られており、額には、光に反射してキラリと光るもので覆われていた。息もどこか上がっているようで、今は肩で呼吸をしている。


「あぁ、こんな光景は見たことがない。俺たちが生まれ育った村とは、何もかもが違いすぎる。その豪華さも、各建物に張り巡らされた最先端の技術も。だが、それとは別に一番の問題はこの明るさだな。目が慣れるまでは、チカチカしそうだな」


 医務室が含まれる、大きなタワーのような建物を中心として、四方に一つずつ大きな建物が建てられている。シル達がいる建物からも、その建物らを一度に展望できるように設計されていた。


 それぞれの建物が、どのような機能を保持しているのか、予想することすらシルとマシュには出来そうにない。しかし、そこにはシル達に見当がつかないほどの技術が詰め込まれていることは、想像に難くなかった。


だが、あまりの壮大さに中心に聳えるこの建物にいるだけで、まるでこの辺りの一面を支配したかのような錯覚さえ、覚えてしまうという不思議な気持ちが湧いてくる。


 先ほどまで眠っていた医務室が、二階に設置されていることも、その理由の一つだろう。眼下に繰り広げられる各建物へと続く道は。道路脇に設置されたライトで綺麗に照らされている。そのライトアップされている様は、何とも言えない美しさがあった。


いや、美しいという言葉でしか表現できない自分の語彙力のなさに、シルは頭を強く掻きむしってしまうほどの美しさだ。


「さぁ、感動するのもこの辺りにしてさ。シル」


 さっきまでと一変して、急に自信満々な態度から弱腰になるマシュに、シルは違和感を覚える。こんな彼の様子は今まで中々お目にかかったことがない。


「どうしたんだよ、なんか言いづらいことでもあるのか」


笑いながら返すと、マシュは厳しい表情でシルを睨み返してくる。


「おいおい、まじでどうしたんだ?」


その険しい顔つきに流石のシルからも笑みは消えた。


「な、なぁ——」


「今からこの建物の5階にある大佐室に行くぞ」


小さい声で言い放つマシュ。


「何で行くんだ? あれか、俺たちの身に起こったことを説明しに行くのか。でも、そんなことは先に目覚めたマシュが既にしてくれてるんじゃないのか? マシュならそういうことは後回しにしておかない性格じゃあ——」


未だに、何に歯切れを悪くさせているのか見当もついていないシル。そんなシルの様子を見て、マシュは遂に堪忍袋の紐が切れたかのように、大きく息を吸い込む。そして、それを全て声に変換させて、シル目掛けて思いっきりぶつけた。その余りにも大きな声は、このフロア一帯を振動させてしまったほどであった。


「初日から遅刻したことを謝りに行くんだろ!!」


その言葉を聞いたシルは、今日一の嫌な汗を背中にかく羽目になった。

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