第10話 表情の変化

 つい先程、耳から入ってきた情報の驚きと、意識を失った戦場からの記憶。それらが水に浮かべた絵の具のように混濁し、シルは咄嗟に言葉をうまく紡ぐことができなかった。


ただただ困惑する頭は、考えることを拒もうとしているか、思考をまとめることができない。次第に、それはクリアになっていきはするが、それでもいつもの思考力とはかけ離れたものだ。頭の中で何度も反芻する言葉を、再び思い出してみる。


 アーミーナイトがここだと、あの人は告げたのか?


 そうであるならば、この部屋にある各設備が、どれも最先端な代物であることも説明がつく。シルが暮らしていた村の診察室でも、ここまで複雑な機構を巡らせている機器は見たことがない。


それだけの投資が容易にできる場所。ということは、彼のいった言葉は正しいと判断していいのか? ダメだ。ぐるぐると頭の中で思考が回転するも、どれも上手に纏まりそうにない。反論しようと思えば、その兆しを見せる推理力に、ほとほと呆れが出そうになる。


そうこうしていると、シルが何か話すのをじっと待っていた男性は、痺れを切らしたように、今の状況を説明し始めてくれた。その顔には、こんな状態なら頭が混乱しても無理はない、と言いたげな様子。全てを包み込む優しさが籠った表情を浮かべ、それをシルに対して向けてきた。


「大丈夫。難しいことは何一つないよ。でも、戸惑う気持ちはよく分かる。なにせ、初めて見る場所で、気がついたら急に眠っていたんだからね」


「あ、あの・・・俺は何故ここに?」


「そうだね。ここまでの過程を簡単に説明した方がすんなりと理解できるかもしれないな。分かった。闇の一族との戦闘で深手の傷を負い、意識を失っていた君を我々が保護。そして、ここまで連れてきた後に私が治療した。これで終了。ね? 思ったより、簡単だったでしょう」


 早口で大事な自分が眠っていた時の出来事を纏められてしまう。あまりの早さに、シルの頭はその情報を適切に処理することができなかった。


「これが君が眠っていた時に起きた、君に関わる事象の全て。そして今の時刻は、夕方の18時を少し回ったところ。あー、チューブが邪魔で動きづらいだろう。もう治療は終わったから取ってあげるよ」


 どうやら、困惑の類の表情を一瞬でも浮かべると、この人にはすぐに見抜かれてしまうらしい。白髪混じりの頭をした白衣の男性は、シルに近づきベッド近くの椅子に腰掛ける。そして、身体の動きを制約していたチューブが、慣れた手つきで順に適切に取り除かれていく。この手際の良さ。どうやら、この人が医師であることは間違いないようだ。


「あの後、僕たちどうなっていましたか?」


 完全に身体と機械を繋いでいたチューブが取り除かれると、シルは自分の右手の無事を確かめるように摩りながら問いかける。眠っていたとはいえ、ここまでかなり距離があったはずだ。その間、自分がどのような手順で、ここまで連れてこられたのか。どうしても、もっと詳しく聞いておきたい気持ちが強かった。


「うーん。もっと詳しく教えろ、ってことかな? まぁ、確かに、ならそういうところを気にするか。よし分かった。もう少しだけ詳細に話そうか。まずは、何から話したら良いかな?」


「では——、なぜ俺の戦闘に気づくことができたんですか?誰かに戦闘が始まる前も、尾行の類をされている気配はなかったんですが」


 「尾行はしていない。でも、我々は常にあらゆるところにレーダーを張り巡らせているんだ。あの場所から、短時間の異常瘴気濃度上昇を感知したアーミーナイトは、直ちに軍を出動させて君たちの身柄の確保に乗り出した。一医者に教えられる情報、って凄く少なくてね。ぶちゃっけた話、救出に関しての情報をほとんど聞かされていないんだ」


「そうなんですか・・・」


「すまない・・ね。期待に沿えなくて。でも、君が負ったダメージとか傷等から推測すると、かなり激しい戦闘が行われていたことは、想像に難く無かったよ。何せ、背中側には多数の打撲痕。加えて後頭部からの出血。普通の戦闘では起きないほどの傷を負っていたからね」


 白衣の先生は、歌うように言葉を止めどなく繋げ続ける。


「身体の前側に受ける攻撃よりも、後方からのダメージが多いということは、考えられる理由として、相手と圧倒的な実力差があったパターン。それか、相手の戦闘形式が、自分の戦闘形式と合わなかった時に、よく見られる。よっぽど相手が強かったのかな、って個人的には思ったけど」


 ちなみに、彼はそう溢すと、シルの一つ手前のベッドを右手の人差し指を用いて、指差す。


「君と一緒にここに運ばれた彼も、すぐ隣のベッドで治療していたんだよ。ほら、そこのベッド。頭を強くぶつけたみたいで、意識も飛んでいたというのに。じっとしていろ、っていう私の忠告なんて、無視して聞く耳すら持たないんだ」


「そ、そうなんですか。困ったものですね・・・あはは」


 シルは、そう空笑いを装うしか返事の方法がなかった。


「困った、なんてものじゃないよ! いきなり起き上がったと思ったら、身体を動かしてくる、って言い放ってここから出ていったんだから。今外で素振りしているけど、気が気じゃないよ。倒れたらどうしようかなってね。もし彼が君の友人なら、無茶なことは控えるよう伝えてくれると非常に助かる。彼も、君に劣らず重傷者だからね」


 予想通りの名前に、思わず笑みを溢してしまいそうになるのを必死に耐える。そうか、もう身体を動かしたいのか。その理由は、闇の副士官とシルが言葉を交わしている最中に起因するだろう。その時に、身体がすくみ立ち上がれなかったことが、よほどプライドを傷つけたと予想できた。その鬱憤を晴らすように、ゴブリンとの戦闘でも、シル以上に張り切って剣を振り回していたし。


「そうなんですか、何だかマシュらしいや」


よいしょ、と声を漏らしながら、白く汚れひとつ見当たらない床に、用意されていたスリッパに足を通す。そのサイズは、ぴったりシルの足に過不足なくフィットした。眠っている間に寸法でもしたのだろうか。いや、すでに身体のサイズなどのデータは、選考段階で調べ尽くしていたと考える方が筋だろう。


「そうだ、もう一つ聞きたいことがあったんです」


 シルに倣い、既に腰を上げて部屋から立ち去ろうとしていた白衣の先生。少し前を歩いていた彼は、シルの声に面を食らったかのような顔を浮かべて、こちらに振り返る。その表情は、こちら側に不安を与えることのない、まさに医者としてあるべき姿の表情をとっている。


「誰かがしていた会話が偶々耳に入ってしまったんですが。ってどういう意味ですか。あなた方が意図的に私達を敵の中に放り込んだ、という訳ですか」


 その言葉を聞くと、医者の表情は一気に曇る。そして、瞬く間にアーミーナイトで働く職員としての、厳しい表情に一変した。

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