第3話 不吉な考え

「僕だってその気になれば、それくらい言えるさ」


 小柄な彼は、ぷんぷんという音を今にも出しそうなくらい頰を膨らまして、シルの方へと近寄ってくる。そこに、朝のような誰に対しても尖った態度を取る感じは、一切なかった。彼は慣れた手つきで、緑色の体液に染まる剣を一度振り下ろした後、鞘にしまう。この一連の動作からでも、隠しきれない熟練の剣捌きの風格を漂わせている。


「そんなこと言って、後で後悔することになっても知らないからな。いつも、思うけど。あんまり意地を張るなよ、マシュ」


 その名前で呼ばれたことが、殊更彼の気を悪くさせたみたいだ。たたでさえ、怒りで高揚し、赤みがかっていた顔が更に一層赤みを増していく。子供の頃から、変わらない反応の仕方に、思わず笑みがこぼれてしまう。


そして、毎度お馴染みの馴れ合いにも関わらず、大きな声でそれを否定して見せる姿。これも、より彼の人となりというものが表れていると言えるだろう。真面目であり、融通が利かない。シルと同じ村の出身で、2人選ばれた選抜生の片割れである人物こそ、紛れもなく彼であった。


「その名前で呼ぶな! 僕には、ガルーダ・カリュっていう、ちゃんとした名前があるんだ」


 からかえばからかうほど色んなバリエーションの反応を見せてくれるところが、彼の最大の魅力。シルは鞘から抜いていた剣を、マシュに倣って静かに元の場所に納めた。鞘と剣が擦れ合い、響く渡るキィという金属音。しかし、横に靡き草木を揺らす風が、その音すらも早々に吹き飛ばしていく。


「悪かったって。でも、お前も一言くらい言ってくれたらいいだろう。おかげで、あんな奴としばらく行動することになったんだぞ。会話一つするにしても、手汗が半端ない。生きてる心地がしなかったよ、冗談抜きで。てか、危うく俺死ぬところだったし!」


「ふん。前から決めていた、秘密の暗号を言い合ったじゃないか。その時に行動を起こさなかった君が悪い。大方、相手が証拠の尻尾を出すまで泳がしたかった、とかその程度の考えだったのではないのか? それも、時と場合を考えた方がいいと、今回のことでいい教訓になったじゃないか」


 秘密の暗号とは、シルとマシュが言い合ったこの大陸を守る守護者に関しての話だ。この大陸で暮らす人々は、守護者に対して感謝こそすれ、懐疑の目を向けることはない。だが、それをあえて口にした時。それは、どちらかに危機が迫っているという、暗号にしようと幼い頃から、二人で決めていたのだ。


「それに、生きた心地がしなかったと愚痴る割には、中々あの妖怪女との通学も楽しんでいるように見えたぞ。鼻の下が伸びていたのもしっかりと確認済みだ。できうることなら、写真でも撮って一生君を揶揄う材料にできれば、と思うほどだったよ。第一、僕が言わずとも、シルもあいつの正体には気づいていたじゃないか」


 まーな、と軽く相槌を打ち、ここで二人の間の会話は一度途切れる。しかし、冷静になって考えてみると、大層なことをやってしまったものだ。奇襲だったとはいえ、人型の悪魔を倒してしまったんだ。それも、入隊式の日に。


ピクリとも動かない奴に一目をくれると、そのことがより強く実感でき、シルの心をより一層昂らせる。とは言っても、気味の悪い死に様なので、すぐに目を逸らすが。


 悪魔とも呼ばれることがある、闇の一族を名乗る怪物。奴らに対応するには、守護者が彼らと一線交える相手なら、百戦百勝で守護者が勝つと言われている。だが、常日頃から、彼らは少ない人数で、この広大な大陸を守らなければいけないと言う宿命を背負っている。それゆえに、彼らならではの綻びが出ることもしばしば。


大半は、前述の通り人数不足に起因することが多い。だが、それは各地で同時、かつ多発的に、闇の一族の進行が行われているからだと、小さい頃から常に教えられてきた。悪いのは、全部闇の一族のせいなんだと。


 話を戻そう。そんな時は、都市にそれぞれ設置してある守護団体として訓練を受けた人が、守護者の代わりに対峙することになっている。なので、シル達のようなまだ学生の身分の人にとっては、まず第一に、彼らに助けを求める。これが、闇の一族と偶然出くわした際には、定石にあたる行動だと言えるだろう。


 それにも関わらずだ、いくらアーミーナイトの入隊に選ばれた学生といえど、助けを呼ぶこともなく二人だけで戦いを挑み、その上勝利を収めるのは奇跡に近い。いや、確率の問題で言うと、限りなく0に近いだろう。それでも、シルとマシュが命を繋げられたのは、2人の築いてきた信頼関係と、これまでの修練の賜物、と言わざるを得ない。加えて、忘れてはいけない剣舞の才能と。


「うん? ちょっと待ってくれ」

 

 勝利の余韻に浸っていたところに、不吉な考えがシルの頭をよぎる。しばらくの時間の後、言うなればそれは、雷が身体に降ってくるのに似た衝撃が突然全身を貫く。気のせいではある。気のせいではあるのだが、頭の中で、落雷した際に生じる音も激しく一瞬にして轟かせたような気もする。それと共に、大量の冷や汗が滝のように全身の毛穴という穴から吹き上がってしまうのは、もはや止められないものと化した。


「お・・・おい、マシュ。今・・・何時だ?」


 恐る恐る、不意によぎった不吉な考えの正体を確かめるが為に、シルはマシュにそう尋ねた。


「今か? 今は11時を少し過ぎたあたりだが」


 何を突然、と言った表情でマシュはシルの顔をじっと見つめる。それとは対照的に、シルは勝利の余韻などは完全に吹き飛び、急いで乱れた制服や、周りの状況を確認し始める。その場でジタバタと足を動かしながら、両手で何度も胸ポケットや、ズボンのポケットを確認している様は、側から見れば滑稽そのものであった。


「おい、シル。ちゃんと説明してくれよ! 何なんだよ、急に」


 あまりの突然のシルの行為に戸惑いを覚えながら、マシュがそう口を歪ませる。だが、シルにはそんなマシュの小さな変化に気付く心の余裕はなかった。なぜなら、シルとマシュはもっと大きくて大事なことを忘れていたのだから!


「何ぼーっとしてるんだよ、早く出発する準備を始めるぞ! 入隊式は11時半からだぞ! 初日から遅刻の大ピンチだー!!」


 シルの悲痛の叫びは、突如として吹き止んでしまった風に飛ばされることはなく、ただその場に、しばらくの間鳴り響き続けるのであった。

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