第2話 闇との出会い、淫乱な彼女

 二人に、しばらくの間沈黙が流れる。吹き抜ける空気だけは、二人の視線から感じ取られる機微に全く気づくことなく、スゥと通り過ぎていく。彼女の綺麗な長い髪の毛が、それに煽られ目の付近までかかっている。だが、それを気にすることもなく、じっとしたままシルの目から視線を逸らさない。


依然として他の入隊者と思われる人たちの動きにも、変化はなかった。不自然なほど、ずっとその場で一歩も動く気配すらない。先ほどと全く同じように、立ち往生していた。加えて、彼らの顔に焦りを浮かべている様子は微塵も感じられない。まるで、そこでオヨオヨしているのが正解だと言わんばかりの行動であった。


「ど、どういうことよ・・・シル。だって、地図がなかったら、そもそもアーミーナイトに一人で辿り着けやしないじゃない。直感で行け、って封筒に書かれていたとでもいうつもり? そんなの、現実的じゃないし、笑えないわよ?」


「考えられる可能性は二つ。一つは、君が事前に何らかの手段を講じて、アーミーナイトの所在地を示す地図を入手していた可能性。でも、これを現実的に考えるのは、難しいよね」


なぜなら、その情報は闇の一族からの敵襲という、一番起きてはいけないことだと、危惧しているキラリアにとって、そのまま直結する最重要機密にあたる。例え、いくら知り合いがいたとしても、そんな簡単に手に入るものではないのだ。ましてや、もしそんなことしたら、その人の首が飛ぶことは間違いない。


加えて、こんな大人数の元に封筒なんて複数の人を介し、誰にでもみられるような媒体で、送られてくることはもっと考えづらい。


「それじゃあ、二つ目の可能性。ってなるんだけど。それは⋯⋯ 」


 一度言葉を区切る。アリアの表情は、先ほどまでとなんの変化も無いように一見見える。だが、よく観察すると、額にじっとりと脂汗が浮かび上がっていた。一方で、シルの口内は、すでに緊張でカラカラに乾いてしまっているのだが。


この可能性は、あくまで最悪の展開の一つと言える。だから、自分の思い込みであり、考えすぎだと信じたい。せめて、違うといってくれ。心の中でそう祈りながら、最後の言葉を口にする。


「これまで君の主導で引っ張ってくれていた道のり、全てがフェイク。つまり、君達全員、僕たちの周りで右往左往している学生服に身を包んだ人も皆んなが、闇の一族である。という可能性だ」


 シルがそう言い切った頃には、目の前に清廉な少女の姿は、跡形もなく消えていた。腰に身につけていたレイピアは、いつの間にか鞭に変化し、身長が大きく伸びる。同時に、顔つきは人間と表現するには無理がある顔立ちに、瞬く間に移り変わっていった。


次第に背中から翼が生え始め、その姿はすでに人類を凌駕した存在に変貌していく。あの姿は正しく、人ならざる者——闇の一族の姿であることは、疑いようがない。


淫乱魔サキュバス!」


 完全に変異が完了した時には、変貌の際に溢していた荒い息もすっかり落ち着いていた。背中の翼を上下に器用に振動させ、少しだけ地面から浮いた体勢を維持したままで、こちら側をじっと見つめている。不敵の笑みを浮かべ、異性を惑わす魅力的な瞳で見つめてくる悪魔の所業に、思わずシルの身体は身震いしてしまう。


だが、シルはそんな震えには目を向けず、さっと自然の流れで腰をかがめ前傾姿勢を作った。そのまま、右手に握っていた愛剣を先程よりも強く握りしめ、相手の如何なる攻撃にも対応できるよう戦闘態勢に、身体も気持ちも切り替える。相対する畏怖の塊である怪物に対して、こちらから目を逸らすような事はなかった。


「よく見分けられた、と褒めてあげようか、お坊ちゃん。絶対バレない、ってたかを括ってたからちょっと意外。私、これまで何度もあなたみたいな世間を知らないくせに、これからの栄光ある未来に胸を躍らせて、浮き足立つお子ちゃまを地獄に導いてきたのよ。まぁ、あなたはそんなこと知らないでしょうけど。でも、そうね。見分けられたご褒美に確実な、死、をプレゼントしてあげるわ」


 シルの身体中を舐め回すかのように、淫乱魔の火照った目でじっと見つめられる。まるで、底なし沼に誘うかの如く甘美的な瞳で、思わず心が吸い込まれていきそうになる。そんな邪な感情に蓋をして冷静を装い、シルは体勢を崩さないまま言葉を発した。


「それは、大変魅力的なお誘いだけど、まだ結構かな」


「ふふふ。我慢は、体に良く無いわよ〜。でも、そうね・・・。いつ頃から、私の正体に気づいていたのか。今後の参考までに、教えてくれないかしら」


 相手には、自分は絶対シルに遅れを取らないという自信が垣間見られた。それは、こんな圧倒的有利な状況でも、あえてその好機を逃し、シルと対話を続けようとしている態度に現れている。


一方で、鞭を一度激しく地面に打ち、臨戦態勢のままサキュバスは、会話をすることでシルの油断が生まれるのを狙っているようにも見てとれた。しかし、そうだと思っていても、その会話に乗るしかシルには選択肢が無い。断れば、即座に命を落とすことが目に見えている。


「疑ってたのは最初から。だけど、確信を持ったのは最後で、地図を渡してもらった時だ」


「私、何かミスを犯したかしら?」


「その時、俺は剣を突き上げただろう。あれで、本当のアームナイトの位置を確認したのさ。あの場所には辿り着ける。がそこまで導いてくれるんだ。まぁ、詳しい方法なんてものは、あんたらに教えはしないけどな」


 目の前の悪魔は、ふんと喉を大きく鳴らす。


「嫌われたものね〜。ここまで仲良く来てやったっていうのに。でもなるほど。瘴魔剣っていうわけね。万物に共生し、その器の力量にもよるけど、適合すれば知性すら所有することがあるという代物」


「そういうこと。あと、最初からっていうのは」


 そう言い始めた直後に、シルは一つウインクをした。それは。誰にも教えていない。幼い頃に二人だけで構築し共有して、今まで日の目を浴びずに、温め続けてきたサイン。サキュバスは、何も疑問を抱かない。抱くわけがない。だって、彼はすでにこの場の空気と同化して、気配をくらましていたのだから。


それが、彼の。彼だけの、初見では一撃必殺並みの攻撃力を持つ特技。すでに、全容を知っているシルですら、油断をすれば一撃をもらってしまうこともあるのだ。まして、この相対する敵は彼の存在に気づいてはいない。そんな奴に見極められるわけがない。


「俺の前を歩いていた彼が、君の身体にケチつけたって言ったこと。でも、あれはありえないよ。だって彼は・・・そんなこと言える人じゃ無いから」


 言い終わる前に、目の前で強者の如し振る舞いと共に降臨していた悪魔は、顔を綺麗に縦から真っ二つにされる。そして、切断された箇所から、ゆっくりと緑色の液体を垂らしながら、大きな音を立てて、地面へと伏していった。


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