第二十六話 血の海に沈む国
エドヴァルドの命令によりアンナはフォード、シナブルを連れ立ち、ペダーシャルス王国との国境に到着したところであった。国の境だというのに警備は全く居らず、罠を看破すれば国内に立ち入ることは容易なようであった。
「シナブル」
「はい、姫」
「ペダーシャルスはお前一人に任せるぞ、問題ないな?」
「はい、問題ありません」
エドヴァルドがマリカ王国に出した宣戦布告の書状のお陰か、ペダーシャルス王国内の兵の殆どが隣国のマリカ王国へと出兵しているとのことであった。恐らくペダーシャルス王国内に残っているのは僅かな兵と非力な女子供、それに王族のみであろうとの予想であった。
「しかしペダーシャルス王国も全兵をマリカ王国に送るとは……些か大袈裟とは思わないか?」
「思うが、それが事実だ」
「下らない国同士の絆というやつか?」
「王子と王女の関係性も絡んでいるんだろうさ」
シナブルの発した絆という言葉に、アンナが鼻で笑う。二人の臣下は気不味げに主を見つめるが、「気にするな」というアンナの視線を受け取り、フォードは再び口を開く。
「ペダーシャルスの王子とマリカの王女は婚姻を結ぶ約束をしているようであるし……蔑ろには出来ないのかもしれない」
「……自国も守らず馬鹿な奴等だ」
フォードの言葉に、シナブルは理解出来ないといった風に首を捻る。彼と同じくアンナも不思議そうに、且つ不快げに眉間に皺を寄せた。
「ま……そんなことなどどうでも良い。さっさと行くぞフォード。シナブル、そっちが片付いたら手筈通りマリカ王国の中央部で合流だ、いいな」
「はい、では後程」
「下品な罠だな」
「行きましょう、姫。シナブルなら問題ありません」
「ああ」
*
国境を容易く越えたシナブルは、加速しつつ両腕から炎の渦を放つ。放たれたそれは網状に形を成し、シナブル本人と同じく加速しながらぐるりと一周──マリカ王国全体を取り囲む。
マリカ王国の国土は狭い。ファイアランス王国のおよそ四分の一弱の国土面積は、ものの十分もしないうちに炎に包まれじわりじわりと燃えかすになっていった。
(……あれが王城)
砂漠を抜け樹林を抜け──シナブルの視界に広がる城下町、そのおよそ五百メートル先に白亜の城が姿を現した。この距離では矢が飛んでくるなと身構えた矢先、シナブルの進路を数本の矢が遮った。
「お返しだ」
足を止めるとこなくシナブルが弓を引く体勢をとると、真っ赤な炎の弓矢が彼の手の中で形成される。
──ギュンッ!
彼の手の中で生み出され続ける矢は次々に放たれ、射手の体を燃やす。城下町に近づくにつれ大きくなる人の叫び声を聞き流しながら、燃やしそびれた射手を斬り殺し前進して行く。先程シナブル本人の放った炎の網は勢いを増し、既に城下町のすぐ目の前にまで迫っている。炎の届かぬ石造りの町から逃げ出した所で、この炎の壁に阻まれて外へは出られないということだ。
わざわざ射手を斬り殺さずとも逃げる隙間もないこの炎に取り囲まれ皆死ぬというのに、表情一つ変えず、シナブルは刀を振るう。
無表情ではあるがこの男、主と同じく人を斬ることが堪らなく好きな、ただの殺し屋。舞散る血飛沫に酔いしれながら、もっともっとと求めながら──必要以上に人を斬る。
(いかん。このままでは姫との合流が遅れてしまう。急ぎ片付けねば)
王城に踏み込んだ所で我に返ったシナブルは、頬に着いた血を袖で拭う。この城も内部を一気に燃やしてしまえばよいのだが、万が一のことを考えると王族の首はこの手で跳ねておきたい。全員殺せとの命令である、確実に息の根を止めなければならない。そのタイミングで剣を手に襲いかかってきた兵を生け捕りにして脅すと、城内の間取りを吐かせた後に首を跳ねた。
間取りを吐いた兵の言う通りに進んで行くと、言われた場所に言われた通りの大扉。守りを固める数十人の兵を一掃し、扉を押し開く。
「きゃあああああ!」
「いやああああ!」
「敵は一人だ、かかれぇっ!」
広い王の間に王族が数人、それに侍女と思しき女に兵士が各十数人。国王と王妃の顔は把握しているので真っ先に首を跳ねた。返り血を浴びた側近の老夫が汚い声で喚くのが喧しく、その口に刀の切っ先を押し込み貫き黙らせる。その刹那──王妃の首を斬った時に宙を舞った、彼女の首にかかっていた金のペンダントがシナブルの腕に触れ、一瞬気を逸らされる。
「やれええええっ!」
これを好機と十数人の兵が、様々な武器を手にシナブルを取り囲む。振り下ろされ薙ぎ払われる武器を難なく全て躱したシナブルは、一人の兵から奪い取った薙刀で全兵の体を両断した。上肢と下肢の分断された肉塊の山を飛び越え、壁際に固まる侍女達の元へ歩みを進める。
「あ……ああ……お父様、お母様……」
血の海の中で尻餅をつく、金髪の少女。ドレスの裾や白いグローブがみるみるうちに血色に変わってゆく。外見と年齢からして彼女はこの国の王女であろうと推測したシナブルは、振り上げた刀を真っ直ぐに少女へと振り下ろす。
──ざしゅんっ!
あろうことか刀の振り下ろされた場所に割り込んできたのは少女の侍女か。床にごろんと転がる栗毛の頭を横に蹴ると、再び同じように刀を真っ直ぐに少女へと振り下ろす。
──ざしゅんっ!
「……は」
再び同じ現象が起きる。今度は黒髪の女が、少女を庇うように、自らの首を差し出すかのように飛び込んできたのだ。その後同じことを三度繰り返すも少女は逃げることもせず、侍女達も少女に逃げるよう促すこともしない。
(……なんだこの茶番は)
王女よりも先に命を絶つようにとでも刷り込まれていたかのような斬首劇に、流石のシナブルも首を捻る。王女──主を守ってこその侍女ではないのかと、己と己の主を重ね合わせ考えるも、彼女達の行動はシナブルには理解不能であった。
少女以外全員の命をとった。血肉の臭いの充満する、地獄のようなこの空間に、最後の最後に取り残された少女は顔を上げる。
「兄様……」
絶望の表情を張り付けたまま、乾いた口を懸命に動かす。
「兄様は……エリック兄様はきっとこの国の仇をとってくれる」
「そうか」
刀を逆手に持ち変え、項垂れる少女の頭上に切っ先を。そのまま脳天を貫くと少女らしからぬ呻き声を一つ上げて、重力に引かれるまま血溜りへと沈んでいった。
「……」
広間をぐるりと見渡す。自分の他に命の気配はもはや無い。腕に巻いた銀の時計で時刻を確認し、一瞬顔をしかめた。
(不味い……急がねば姫に叱られてしまう)
刀の血を払って拭い、広間の窓を開けてそのまま飛び立つ。千近くの命を奪ったというのにこの男、息の一つも乱れていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます