第二十七話 悪夢

 一方、シナブルと別れたアンナとフォードはマリカ王国へ進撃を開始していた。武装した兵達の待ってましたと言わんばかりの攻撃を易々と躱しながら、アンナは猛進する。その背を気にかけながら刀を振るうフォードは主の勢いがどこまで続くのか心配でならない。


 フォードがアンナと共にここまで大きな仕事に出るのは初めてのことであった。数人の暗殺依頼であれば、アンナは一人でさっさと行ってしまうし、小国を共に滅ぼす仕事もここ暫く経験していない。主の成長は側にいるのでひしひしと感じてはいるが、彼もシナブルと同じく主のどこか危ういところが心配でならなかった。


 一方フォードの心配を他所にアンナはただ人を斬ることを楽しんでいる。首を跳ね確実に殺すシナブルとは違い、アンナは己の刀で人の肉を斬り骨を断つあの感触、音、が堪らなく好きであった。どのくらい斬ればどのくらいで死に至るか熟知しているからこそ、己が快感を得るためだけに殺意を持って必要分だけを斬り、前進する。



(これだけ一度に沢山斬るのは久しいな……気持ちが良い)



 血に酔いしれるように斬っては進み、断っては飛ぶ。見事なもので返り血は殆ど付いておらず、戦場に残る兵も僅かとなっていた。


「おいフォード、あれ」

「……城塞ですか」

「あいつらが例のアレか……ふん、高みの見物とはいい気な奴等だ」


 そう言ってアンナは視界の先に見える城塞を睨み付ける。目的の人物二人、それに伝令役のような兵が一人しかいない、手薄な城塞であった。背後から斬りかってきた兵の首を跳ねて舌を打ち、両足を前後に大きく開き左手を振りかぶると神力ミースを集中させ、全長凡そ五メートルの炎の槍を作り出した。


からかってやる」



 ──ビュンッ!!



 振りかぶった腕を大きく前に投げ出すと勢いよく前方上空に飛び出して行く炎の槍。途中熱気に巻き込まれ黒焦げとなって倒れる兵が数十人──それでも炎の槍は勢いを殺すことなく城塞上に辿り着き、狙った兵の首を跳ね飛ばした。


「エリック・P(ペダーシャルス)・ローランド、ティファラ・M(マリカ)・ラーズ……さっさと降りてこい、頭の高い奴等め」


 言い捨てたアンナはフォードを置き去りにし、猛スピードで残りの兵を斬り殺す。気が荒立っていたからか、必要以上に斬られ肉塊となった兵を哀れみながらフォードはその背を見守ることしか出来ない。


「おい、行くぞ」


 屍の山の中に佇むアンナは振り返りフォードに声をかける。主に駆け寄ったフォードは徐々に強くなってきた風に目を細めながら、彼女の背を追った。


「そんなに確認しなくても、全員ちゃんと殺している。そのつもりで斬ったんだ」

「いえ、そういうつもりでは……」

「じゃあなんだよ」

「いえ……」

「勿体ぶるな」

「ここまで大量の死体を見たことがなく……」


 目を伏せるフォードの足元には死体、死体、死体。足の踏み場もなく二人は飛行盤フービスで宙を飛びながら前進していた。

 

「ふん、あたしもだ。だが死体がなんだというんだ。視線を上へ保ち前を見ろ。用済みの屍に興味など示すな」

「そう……ですか」

「気分でも悪いのか?」

「いえ、問題ありません」

「そうか、それならいいが────誰か……弱そうなのが二人来たな」


 感じ取った気配にフォードも刀を握り直し、主に倣って飛行盤フービスをしまう。足元の死体は先程に比べて燃え尽きたものが多く、足場が安定し宙に浮く必要もないくらい歩きやすくなっていた為であった。


「姫、あれは──……」


 見覚えのある男女であった。エドヴァルドに見せられた写真の二人──エリック・P・ローランド、それにティファラ・M・ラーズで間違いはなさそうであたった。 


「なんだお前ら。今頃やって来て、遅いんじゃねーのか?」


 アンナは足を止め、挑発するように首を傾げた。多少は実力のありそうな二人ではあるが、今の自分のほうが上だと彼女は確信をしていた。


「お前は……戦姫か」

「だったらなんだ」


 こいつを挑発するのは面白そうだと、アンナは敢えてぶっきらぼうな言葉を返す。自分よりも年重に見えるがこの男、内面は子供のようだとアンナは口の端を吊り上げて鼻で笑った。


「アンナリリアン・F(ファイアランス)・グランヴィ……お前が、やったのか」

「だったらなんだ」

「許さないぞお前ら……」

「許してくれなくても構わねーよ。ていうか、お前の母国を潰したのはあたしらじゃねーしな。うちの──と、来たな。遅いぞシナブル」


 シナブルにしては時間がかかったなと、不機嫌そうにアンナは彼を睨んだ。気まずげに目を泳がせ頭を下げるシナブルの額やスーツの袖には、乾いた血が派手にこびり付いていた。


「申し訳ありません」

「何やってたんだ」

「少々事後処理に時間を取られまして」

「ふん……そうか、なら構わない」


 今のうちに斬りかかってやろうかと構えたエリックであったが、アンナが手にしていた刀を握り直したことに気が付き、腰を落とす。戦姫と呼ばれる女の殺気が徐々にエリックとティファラを追い込み始めた。


「さっさと済ませようぜ、エリック・P(ペダーシャルス)・ローランド、それにティファラ・M(マリカ)・ラーズ。お前らは生け捕りにしろと父上から言われてる」

「生け捕りだと? なんのために」

「んなもんあたしが知るか。さっさと────っ!!」


 抜刀したエリックは瞬時にアンナの懐に入り込み、刀の切っ先で彼女のサングラスを下からすくい取った。お気に入りのサングラスが宙を舞う姿を見ながらアンナは身を引き、舌を打った。



(舐めやがってこいつ──!)



 ヒュン──と振り上げたアンナの右足がエリックの鼻先を掠める。身を捩っても尚がら空きのエリックの上半身に、お次は上段蹴りを打ち込んだ。


「くっ──!」


 やはり口ほどにもないなと余裕が裏目に出たのか、頬に打ち込んだ右拳はあっさりと防がれてしまう。挑発する言葉を投げつけながら、アンナは落下したサングラスを拾い上げた。



(……やはり人前ではこれがないと落ち着かない)



 動揺を悟られぬようしっかりと目元を隠したが、臣下二人はアンナの瞳が揺らいだのを見逃さなかった。彼女と近い彼等でさえ、何故彼女が家を出る際には必ずそれを身に付けているのか理由を知らないのであった。

 

「虐殺王子って聞いてたから期待してたんだが、大したことなさそうだな」

「この野郎……」

「文句を言われる筋合いはねーよ。先に仕掛けてきたのはそっちだろうが」


 痺れる腕を庇いながら、エリックは考えを巡らせる。女の割には腕力も脚力も強すぎる。自分が知っている並みのティリスの殺し屋の女とは比べ物にならない──しかし自分の方が劣っていると認めて戦えば、負ける確率が確実に上がる。殺しの技術ならば絶対に自分の方が上だ、どうやって殺してやろうかと策略を立てながら、エリックはアンナの肝を潰してやろうと本音をぼそりと呟いた。


「お前、そんなに綺麗な顔をしているのに、そういう言葉使いをするのはやめた方がいいぞ」

「ちょっとエリック、こんな時に何を言っているのよ」

「……は」


 綺麗な顔をしているだなんて、飽きるほど言われて生きてきたので耐性はついている。しかしだからといって、それにそぐうように言葉遣いを改めろという指摘は初めてのことであった。あからさまに動揺し乾いた声が漏れたが、エリックはと言えばティファラに何か言われて彼女を振り返り、アンナの方など全く見てはいなかった。


「──舐めてんのか、てめえ」


 抑えきれなかった感情が口から漏れ、同時に足元からはルース神力ミースが波のように溢れ出た。青々と生い茂っていた背丈の低い草原は一面、一気に焼け野原になった。


 

(まずいな……)



 アンナの動揺をはっきりと感じ取ったフォードは、一歩進み出る。このままでは生け捕り所ではなくなっていまうと判断した為であった。



「──姫」

「なんだフォード」

「挑発に乗ってはいけません」

「わかってるって」

「加勢致しますか?」

「いらん。フォード、シナブル──お前達、絶対に手を出すなよ」

「しかし──」


 仕事を共にする中で、アンナのこのような表情をフォードが見るのは初めてであった。シナブルは経験があるのか、そわそわと落ち着かない様子で主を見守っている。どうするのが最適であるか彼に意見を求めたいが、流石にこの場でそれは憚られた。


「黙れ。下がれ」

「──はい」


 あっさりと提案を拒絶され、フォードは唇を噛みながら後退する。命令は出されたが、いざとなれば割って入ろうと彼は密やかに心に決めていた。


「ふん──こんな奴等を生け捕りにしろだなんて、父上は一体何を考えているんだか……今からお前達を半殺しにして、ファイアランスに連れ帰る。死なない程度に斬るから覚悟しておけ」


 利き手で柄を握りしめながら、アンナは腰を落とす。それに反応したティファラがドレスの裾を翻しながら一歩前に進み出て抜刀した。軽量そうではあるが、戦場にあまりにも不向きなティファラの眩い装いにアンナは顔をしかめた。



(こいつ……こんな格好で場慣れしているのかしていないのかさっぱりわからん)



 ティファラが何か言っているが聞こえていないふりをして、アンナは眩い衣の塊を視界から外した。やれやれと首を振った所に、濃さを増した殺気がひやりと爪先を掠めた。



(──来るか)



 アンナの視線の先で、エリックが腰を落としている。彼の殺気に呼応するようにアンナは口角を吊り上げ、勢いよく地面を蹴った。



「そうだな。死なない程度に斬ると言われて、黙っている訳にはいかないしな!」



 ──ヒュン!



 下から振り上げたエリックの刃を、身を右側に捩り軽々とアンナは躱す。そのまま体を回転させ左拳を彼の鳩尾に撃ち込むと、ドンッ──と低い音が、振動が、殺気で淀んだ空気を割った。


「──がっ!」


 一瞬宙に浮いたエリックの後頭部を、今度はアンナの肘打ちが襲う。


「──くッ──そ!」


 大したことはない、このまま地面に倒れ込みしばし動けないであろうとエリックの後頭部を一瞬視界から外し、油断をしたアンナの脇腹を熱い感覚が襲う。



 (……斬りやがったか)



 地に伏す寸前のエリックの刃がアンナの左脇腹を浅く斬り裂いた。この程度の傷、彼女にとってはなんということはない。



(先にあの女を捕らえるか……)




 エリックに背を向けるとアンナは地を蹴りティファラとの距離を詰める。飛行盤フービスの回りで赤々とした炎がごうごうと旋回を始め、大きく叫んだエリックの声をかき消した。

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