第二章

第二十四話 新しい仕事

 フィアスシュムート城東棟では今朝も赤子の元気な泣き声が響き渡る。二年前に長女マリーが出産した第一子──長女ルーティアラの喚き声で今朝も目覚めたアンナは、少しだけ寝不足な頭を起こさず二度寝を試みた。しっかりと閉じられたカーテンの外では薄日が差しているが、窓に背を向ければまだ眠りに落ちることは可能であろうと寝返りを打ったその時。


「うわあああああんっ!」


 階下の姉の部屋から響くルーティアラの声。可愛い姪の喚く声など不快とは思わないにしても、二度寝の目論見は破綻することが目に見えたので仕方なくベッドから身を起こした。


「姉上も義兄上も……毎度毎度大変だな……もう一人産むなんて信じられん」


 マリーの腹には既に第二子が宿っており、年内にも出産予定であった。第一子の産後、今までにないくらい疲れ果てた姉の姿を見たアンナは、「こんな経験自分なら絶対に御免だ」と漏らしたのだが、それを聞いたマリーはただただ笑うだけであった。痛々しい姿で、笑う余裕などなさげな状態であるにも関わらずあれほどまでに微笑んでいた姉。アンナには未だにマリーが幸せそうに微笑んでいた理由がわからずにいた。


「……ガキってことか」


 特に理由もなく舌を打つと、寝間着を脱ぎ捨ていつも通りのタンクトップに今日は色の薄いデニム姿。この服装を見ると残念そうに臣下たちが眉尻を下げるのは、折角仕立てたドレスがクローゼットの肥やしになっていることを嘆いているからだとアンナは最近になって気が付いたのだが、だからといってそのドレスを着ることは滅多となかった。


「おはようございます、姫」


 顔を洗い終えた所に姿を現したのはシナブルであった。というものアンナは、シナブルとフォードが朝一番に姿を現す前に着替えを済ませるようになっていた。あれほど気にしていなかったというのに、シナブルに肌を晒すことはなくなり、兄との距離感も完全には元に戻らず終いであった。


「おはよう。今朝は少し早いか?」

「申し訳ありません」

「構わない。何か急ぎの用か?」

「はい。実は国王様からお呼び出しがありました」

「朝食の後では駄目なパターンだな」

「残念ながら」


 まあ良いかと諦めたアンナが身支度を整える間、何故か落ち着かない様子のシナブル。気になったアンナが声をかけると彼はクローゼットの方を気にしながらおずおずと口を開いた。


「折角国王様の所へ行かれるのですから、ドレスを着ませんか?」

「はぁ? ドレス?」

「新しく仕立てたものがあるんですよ!」

「いつも通り夕食会の時に着るからそれで許せ!」


 二年前に植樹祭でアンナがドレスを着てからというもの、シナブルとフォードはこれまで以上にあるじにドレスの着用を促すようになった。アンナの立場と年齢的にもこのままでは不味い、ということも理由の一つであったが、彼女がドレスを着ると家族が皆喜ぶのだ。それほどまでに美しいというのに、当の本人は全く関心がない様子。


「……仕方がありません。でしたらあのドレスは今夜の夕食会で必ず着て頂きますからね?」

「わかった、わかったからもう行くぞ」


 それを聞き嬉しそうに微笑むシナブルは、早足で国王の間に向かうアンナの背を追った。



「しかし……父上もこんな朝早くから一体何の用なんだろうな」

「仕事の話であることは間違いないでしょうが」

「まあ、そうだろうな」


 エドヴァルドが朝一番にアンナを呼びつけることは珍しいことであった。普段仕事の伝達はエドヴァルドの臣下達からアンナの臣下達経由でアンナへと届く。エドヴァルド直々にアンナへと指示があるのは大きな仕事──最近では二年前にシムノン・カートスに初めて出会った、アブヤドゥ・ブンニー戦争が良い例であった。


「また大きな仕事でしょうか」

「ふん、たまにデカい仕事をしなければ鈍ってしまう。腕が鳴るな」

「……」

「どうかしたか?」

「いえ」


 この二年の間に、アンナはめきめきと実力を上げていた。伸び代がたっぷりとあることは本人の自覚するところではないが、神力ミース量は格段に増え、その扱いも未だ未熟な部分はあるものの今や兄や姉を凌ぐほど。体術においても頭角を表し始め、エドヴァルド直々の訓練においても以前のように圧倒されるほどではなくなっていた。


 ──が、いくらアンナが強くなっているとはいえ、シナブルは心配なのだ。アンナが生まれた頃からずっと傍にいる彼は多少過保護で心配性なところもあるのだが、それを差し引いてもアンナには危うい所があった。シナブルはアンナの弱い姿を一切知らない──恐らく家族の誰も知らないのだ。故に誰かが心配せねばと余計に心配性に拍車がかかり、それを姉のマンダリーヌに諭されることも少なくなかった。



 ──コンコン。



 そうこうしている間に王の間へと辿り着く。扉をノックしたアンナが名乗るとそれに応えたルヴィスが内側から扉を開けた。


「……行ってらっしゃいませ」


 扉の外側で静かに頭を下げたシナブルを無言で見送ると、アンナは王の間へと姿を消す。玉座へ腰掛ける父はなにやらいつもよりも機嫌が良さそうであった。


「おはようございます」

「来たか」


 壇上手前の赤絨毯に片膝をつき、頭を垂れるとすぐに頭を上げるよう言いつけられる。近くで見てアンナは確信したが、やはり父の機嫌は良さそうであった。


「隣国ペダーシャルス王国とマリカ王国の領土を我が国の物とする為、臣下二人を率いて進行せよ。マリカ王国へは既に書状を送っている……ルヴィスに様子を見に行かせたが、ペダーシャルス王国軍は援軍として全軍をマリカ王国へ向かわせている。ペダーシャルスが手薄でマリカが分厚いってことだ。お前と臣下一人でなら、マリカ王国くらい滅ぼせるよな?」

「勿論です」


 簡単に言いやがって──と顔に出すことなく、アンナは父の求める返事を返す。マリカ王国の人口と軍人の数など全く把握していないが、己の勉強不足のためここでそれを問うことなど許される筈もなく。一つ隣の国だというのに、己の力を上げることばかりで外交や勉学のほうはからっきしであったことを反省しつつ、アンナはマリカ王国をどう撃ち落とすかを考え始めていた。


「ペダーシャルス王国とマリカ王国は仲が良いらしい。滅ぼすならまとめてのほうが楽だろう。ああ、因みに……ペダーシャルスの王子とマリカの王女は生け捕りにしてこい、必ずだ。四肢の一部が欠けることも許さぬ」

「ペダーシャルスの王子……虐殺王子と呼ばれるあの男ですか?」

「そうだ」


 殺し屋業界の中でも名の知れた男──虐殺王子と呼ばれるペダーシャルス王国王子。他国との戦争で通り名の通り残忍非道な殺戮を繰り返した彼には、殺し屋と名乗っていないにも関わらず個人的に殺しの仕事が入る、との話はアンナも耳にしたことがあった。



(なんつー名前だったかなあの王子……顔も記憶にねえんだよな)



 頭を捻り名を思い出そうとアンナは躍起になるが、思い出せぬままエドヴァルドは話を進めて行く。


「腕の立つ男らしいがお前ならば問題ないだろう」

「はい。四肢は潰さぬようにしますが、顔は潰れても構いませんか?」

「……出来れば綺麗なままのほうがお前の為になる。治る怪我なら良いが……致命傷は与えるなよ」

「承知いたしました」


 綺麗なまま生け捕りにして売り飛ばすのだろうかと考えるが、父の言った「お前の為になる」という言葉がどうも引っ掛かる。自分の世話でもさせるのだろうかとも考えるが、二国を滅ぼしてまでそんなことをする意味が見い出せなかった。



(まあそんなことはどうでもいい。国を撃ち落とすなんて──ますます腕が鳴る)



 ほんの少し口角を上げたアンナの顔を見て、エドヴァルドがニヤリと笑う。何事かとアンナが目を剥くと「良い顔をするようになったな」とエドヴァルドは溢した。


「出発は明日で構わん。いいか、全員だ。この二人以外は全員必ず殺せ。いいな?」

「はい」

「金品などの回収、死体の処理はいつも通り軍に任せる。お前は殺しに集中しろ、いいな」

「はい」

「この二人だからな」


 この二人と言ってエドヴァルドがアンナへと放った一枚の紙切れには、端正な顔立ちの男女の写真と名前が並んでいた。


「……エリック・ペダーシャルス・ローランド。……ティファラ・マリカ・ラーズ」


 虐殺王子の本名には聞き覚えがあったが、顔には全く見覚えがなかった。女のほうはどちらも初見であった。



(久しぶりの大仕事だ。父上の機嫌を取る良い機会だな……成功すればの話だが)



 大きな仕事が上手くいけば、自分の前でいつも不機嫌な父の機嫌が多少は良くなる。顔を会わせる相手が不機嫌よりかは、多少でも機嫌が良いほうがアンナにとって良い方向に働くのだ。


 万が一にでも失敗して、父の怒りを買うことがあれば──……そんなことなど、考えたくはななかった。




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