第二十話 過保護な兄

 フィアスシュムート城正面玄関で、緊張した面持ちの男が二人の佇んでいる。一人はラベンダー色の肩まで伸ばした髪を後ろで一纏めにし、前髪をカチューシャでアップにした優顔の男だ。襟に赤と白のラインの入った上下濃いグレーの軍服に、右腕には騎士団長の証である腕章を纏っている。──彼は第四騎士団団長 デニア・デュランタ。

 その横で城の規模に目を剥き、呆然と立ち尽くすセルリアンブルーの髪の、目付きの悪い男の名は第四騎士団副団長 イダール・インパチエンス。団長のデニアと同じく、きっちりと着こなした軍服の下は、ぐっしょりと汗に濡れていた。


「これは流石に緊張する……」

「イダール、君の生家もこんなもんじゃないの?」

「いえ、貴族とはいってもここまでではありませんから」


 首が痛くなるまで白亜の城を見上げたていた二人は、唐突に声をかけられ顔を正面に戻す。濃紺のロングドレス姿のアンナが腰に手をあて、珍しく機嫌良さげに首を横に傾げた。


「よく来たな」

「たっ……大変失礼を致しました!」


 目の前にアンナがいることにも気が付かず、城の存在に気を取られ頭を垂れることすら忘れていたイダールは慌てて腰を折る。──が、短いドレスの裾から伸びる長い足に釘付けになってしまった。程好く筋肉の付いた白い足は、その部分だけを切り取って見るととても殺し屋のものとは思えない。


「さっさと頭を上げろ。デニー、こいつは?」

「部下のイダール・インパチエンス。若いけどかなり優秀だよ」

「……インパチエンス家か」


 インパチエンス家はファイアランス王国から南下し、海を渡った大陸の南東にあるティリスの治める国──トゥード王国の貴族である。ファイアランス王国と直接的な繋がりは貿易を介してあるにはあるが、それが良好かどうかと問われれば微妙な所であった。トゥード王国 インパチエンス家は代々騎士団長を多く輩出している。対してファイアランス王国 グランヴィ家は殺し屋一家。うわべだけの付き合いで、インパチエンス家は一方的にグランヴィ家に対して嫌悪感を持つものが多勢であった。


「申し訳ありません。家の者が失礼をしていることは承知しております。しかし私はグランヴィ家に対しては憧憬の念を抱いております」

「若輩なわりに小難しい言葉を並べる小僧だな」


 イダールの言葉に不機嫌になる様子もないアンナを見て、デニアは胸を撫で下ろす。イダールがアンナに好意を寄せていることは事実であった。ことあるごとに植樹祭での彼女の活躍を熱く語り、彼女のように強くなるのだと言って今までよりも一層稽古に励んでいた。


「……さ、立ち話もなんだ。部屋を準備させている、先日の賊の件についてそこで詳しく聞こう」

「恐れ入ります」

「デニー、どうした、硬いな?」

「いやあ、部下の前だしちょっと格好つけてみただけだよ」

「フフッ……そうか」


 デニアのおどけた態度を見て、珍しいことにアンナがふわりと微笑んだ。年相応の可愛らしい笑顔にイダールは心を撃ち抜かれ、紅潮し足が止まってしまう。



(お美しい……)



 不意に芽生えた淡い恋心。叶わぬことは百も承知。それ故イダールは首を横にふるふると振り、見つめるだけで十分なのだと己に言い聞かせ、デニアの背を追った。


「…………!?」


 次の瞬間、何の前触れもなくアンナが大きく振り返った。一瞬だけ捉えることの出来た彼女の顔は焦燥感からか青ざめ、デニアとイダールを庇うように彼らの前に瞬時に飛び出した。


「兄上っ!!」


 ただならぬ気配に、デニアとイダールは振り返る。アンナと対峙するのは今まさに抜刀せんと腰の刀に手をかける、血眼ちまなこの男であった。


「やめてくれ兄上!」

「アンナ、誰だそいつらは……騎士団が一体何の用だ」


 怒りで髪の逆立ったレンが、アンナに匿われたデニアとイダールを鬼の形相で睨み付け殺気を放つ。

 イダールは自身の姉の放つ殺気と似たような感覚を覚えたが、レンのそれは姉の比ではない。初めて体感する死への恐怖に膝が笑いその場に尻餅をついてしまった。


「兄上! デニア団長は先日の植樹祭での襲撃事件についての報告に来ただけだ! そんなことで殺そうとするのは止めてくれ」

「報告? 本当にそれだけか?」


 殺気を抑え込まぬままレンはデニアを睨む。毅然とした態度を崩さず、デニアは腰を折り視線は自身の爪先を見つめ静かに口を開いた。


「挨拶が遅れ申し訳ありません。レンブランティウス様……第四騎士団長 デニア・デュランタ、先日の──」

「挨拶はいい。それより何故その件の対応をアンナが行う?」

「それはあたしが事件に一番関わっていたからで……」


 姉のマリーは出産間近ということもあり、植樹祭の参加を最後に仕事全般から遠ざかっていた。義兄のフォンも妻の初めての出産ということもあり、言わずもがなマリーの傍を離れない。その為アンナが対応する運びとなったのだが、しかし──。


「俺が聞きたいのはそこじゃない、アンナ。言わなくともわかるだろう?」

「…………」


 わかるだろう、と言われてもアンナには兄の言葉の真意がわからない。アンナはそこまで的確に兄の考えを理解しているわけではないのだ。



(どうしたものか……)



「アンナ。怒らないから正直に言ってごらん」

「本当に?」


 この場で彼女がデニアを友人として扱っていることが露見してしまえば、兄は一体どんな態度をとるだろうか。今後の為にも打ち明けてしまったほうが良いようにも思えるが、未だ収まらぬ兄の殺気──怒らない、という言葉を信用することはなかなか難しい。


「約束する」


 言うとレンは殺気を消し去り刀から手も放し腕を組んだ。アンナは兄に対する警戒を怠らぬまま、悩んだ末に口を開いた。


「先日の植樹祭から……デニア団長と友人関係を築いている」

「……友人?」

「友達」

「友達……」

「は……初めての、友人なんだ」


 身分や家庭環境のせいもあるが、アンナの性格上友人を作るのが不得手であろうことは兄の目から見ても想像することは容易かった。幼い頃からずっとそういう性格だからと思い込んでいたが、どうやらアンナはレンの知らない内に成長を遂げていたようであった。


「……よかったな」

「怒らないのか?」

「お前にそんな顔をされてはな」

「あたしの知らない所で二人を殺したりしない?」

「しない。これも約束する」


 命の危機が去りデニアとイダールが緊張感を解いたのも束の間、「ただし」とレンが続けた。


「応接間ならいいが私室に招くのは駄目だぞ。勿論臣下を必ず同席させるように」


 いいな、と念押しするとレンはくるりと背を向け、足早に立ち去る。その背を見てアンナは兄の怒りが収まったことに安堵し、膝に手を着くと大きく息を吐き出した。



(打ち明けてよかった……)



 兄が自分の交遊関係に口を挟んでくるであろうことは、兄の性格上わかりきっていた。心配性を通り越して過保護なのだ、初めて連れてきた友人が騎士団とあっては、兄が警戒するのも納得はできた。


「とりあえず、難は去ったと考えて大丈夫?」

「ああ、悪かったな。心配性の兄なんだ、悪く思わないでくれ」

「怖かった……」


 尻を払いながら立ち上がるウェズに、アンナは苦い笑みを向ける。これもまた魅力的な表情だとウェズは赤面し顔を伏せたのであった。



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