第十九話 思いは、伝わらない

 レンが特定のあいてを作らないことに、特に深い理由はなかった。単純に、の企てに気が付いてから国の為に身を切る覚悟をした、彼なりのけじめのようなものだった。本気で女を愛し娶ってしまえば、最後に必ず傷付ける。下手をすれば共犯を疑われ命をも取られてしまうかもしれない。だから──ただ欲を発散するだけの為に女に相手をさせていたし、相手側もそれを理解してレンの傍にいた。


 けれど、マンダリーヌだけは違った。彼女だけは、一人の女として愛情を抱いてしまった。レンが一番愛を向けているのは妹のアンナであるが、マンダリーヌへ向けるそれと妹に向けるそれは、全くの別物。生まれながらにして過酷な運命を定められたアンナへレンが向ける愛情は、憐れみや同情に近かった。アンナにもしものことがあったときの保険として扱われる弟のフェルメリアスにも同様の感情を向けていた。──だがその思いは二人には伝わっていない。




「レン様、如何なさいました?」

「いや」


 シナブルがスナイプと酒場で過ごしていたのと同時刻、書類整理を終えたレンはカーテンの隙間からぼんやりと空を見上げる。


「綺麗な満月ですね」

「ああ」


 纏まった書類を手に、マンダリーヌが三歩後ろから声をかける。そろそろ失礼します、と頭を下げてレンから離れて行く。


「待ってくれ」

「はい」

「この前の返事が聞きたい」


 レンが特定のあいてを作らないことに、深い理由はなかったが、それを良しとしない者もいた──父のエドヴァルドと祖母のアリアだ。長女であるマリーは今や身重の身。ティリスにとって成人である百歳──王族の結婚適齢期──を越えレンも現在百三歳。早く身を固め子を成し、いずれアンナの生む世継ぎの世話をさせることが使命だと口煩く父と祖母に言われ続け、そろそろうんざりしていた。

 だからといって、それから逃れるために軽率にマンダリーヌを選んだわけではない。マンダリーヌと添い遂げたい──それこそがレンの願いであるのだが、それが叶わぬことくらいわかっている。自分の行いのせいで彼女を苦しめるわけにはいかないのだ。


「……お断りしたはずです」

「理由を聞いてない」

「私ではレン様に釣り合いません。もっと良い血を一族に加えて下さいませ」

「お前以上に良い血など、あるものか」

「……レン様は血だけで私を選ぶというのですか」

「違う」


 細い手首を無理矢理掴んて引き寄せ、己の胸へと閉じ込める。逃れようと暴れる彼女の腰に腕を回し、動けぬように半ば拘束の真似ごとをした。


「俺は一人の女として、お前が好きだと言ったんだ」

「……お戯れを」

「俺は本気だ。釣り合いなど抜きにして、お前の気持ちを聞かせて欲しい」

「それは……」


 マンダリーヌが思い出すのは、先日二度も重ねられたレンの唇だった。初めてのことに酷く動揺してしまったのは記憶に新しい。



(あの時、もっと……だなんて思ってしまったことが知れてしまえば、なんと破廉恥な女だと思われてしまうかもしれない)



 そう考えただけで全身が熱を持った。こうして抱きしめられているだけで、心は幸福に満ち溢れているというのに。主が本音を聞きたいという今なら──この気持ちを言葉にしても許されるのだろうか。


「マンダリーヌ?」

「レン様、私は……私は、あなた様をお慕いしております。心の底からお慕いしております…………あっ、駄目です!」


 マンダリーヌの朱に染まった頬を、レンの両手が包み込む。すかさず下りてきた唇が重なり、絡まった舌に頭がくらくらしてしまう。


「駄目です……」


 身を捩り逃れようとするマンダリーヌのほっそりとした身体を、レンは腕を牢のように固く閉じ「絶対に逃がさない」と耳元で囁いた。



(駄目だ……駄目だとわかっていても、こいつとの子が欲しい)



 ここで彼女を孕ませてしまえば、いずれ彼女たちの未来を奪ってしまうことになる。それだけは避けなければならないというのに、身体は全くいうことをきいてくれそうにない。


「お前は……俺が欲しくないのか?」

「そんなわけ……! 欲しいに決まってるじゃないですか」

「そうなのか」


 しまった、という顔をした彼女が心の底から愛おしい。見つめると、赤い顔が更に赤みを増した。


「今だけは何も……何も考えたくありません」

「奇遇だな。俺も全く同じことを考えていた」


 互いの胸の内を探り合うように、確かめ合うように何度も何度も言葉を交わし、その度に唇を重ねた。


「これがきっと、最初で最後だから……多分」

「……なんて自信の無さげなお言葉」

「同意は得たんだよな?」

「ま、待って下さいやっぱり……」

「無理?」

「同じベッドで眠るだけなら……なんとか……いや、でも……」

「なんだそれは」


 顔を伏せるマンダリーヌを横抱きにし、寝室へと足を向ける。口から漏れるのは溜め息ばかり。もう引き返せない──。





 自分の寝顔は何度か見られた記憶があったが、マンダリーヌの寝顔を見るのは初めてのことだった。髪を撫でると長い睫毛が震え、白い肩がぴくりと震えた。薄縹うすはなだ色の髪をそっと鋤くと、ゆっくりと瞼が持ち上がった。


「起きたか」

「……………………?」

「マンダリーヌ?」


 目覚めたマンダリーヌはゆるりと身を起こし、半開きの目を眠たげに擦る。目の前の光景はきっと夢なのだろうとぼんやりと首を傾げた──直後、昨夜の出来事を思い出し、現実に引き戻された。顔を紅潮させたかと思いきや瞬く間に青ざめ、ブランケットでその身を隠すと頭を下げ謝罪の言葉を口にした。


「何故謝る」

「謝罪の言葉以外に何を言えと仰るのですか」

「おい……待て、マンダリーヌ!」


 レンが話している間にもマンダリーヌは手早く着替えを済ませ、頭を下げ彼に背を向ける。


「話はまだ終わってないぞ! マンダリーヌ!」

「すみません、少し……頭を冷やさせて下さい」


 髪を整えることもせず、着のみ着のまま逃げるようにレンの私室を後にする。駆ける足音が聞こえたかと思いきや、それがパタリと止まった。



(……部屋から出たところを誰かに見られたか。…………シナブルか?)



 止まった足音の後、マンダリーヌは会話を始めたようだ。弟のシナブルに遭遇し、酷く動揺している雰囲気が伝わってくる。

 シナブルならば構わないだろうと、レンは着衣を整えながらベッドに腰かけた。シナブルは口が固い男であるし、何より──。



(あいつも、マンダリーヌと同じようなものだしな)



 主に想いを寄せるとは似た者姉弟だなと一人溜め息を漏らす。着替えも済ませたので朝食でも用意して貰おうかと、レンが立ち上がった刹那。



(なんだ……?)



 正門──正面玄関の方で、家族以外の人間のおかしな気配があった。その気配に対し、親しげに対応しているのは──アンナだ。レンは、アンナが家族以外の者にこれ程までに軟らかな感情を向けていることに驚きを隠せない。気が付いたときには窓を開けて飛び降り、そこから気配の方へ駆け出していた。



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