第二十一話 艶やかなる甘味

 アンナが案内をした応接間は、彼女の私室からかなり離れた場所にあった。フォードが気を利かせた結果なのだが、結果的にレンの機嫌をとることとなった。


「それで、どこの連中だったんだ?」


 上座のソファに深く腰掛けたアンナは、フォードが運んできた紅茶がテーブルに置かれるやいなや口を開く。下座に座ったデニアは薄い紙束の資料をアンナに差し出し出した。


「反発派……ブライト一派だったよ」

「……あいつらか」

「まあ、一派全員捕らえたし、しばらくは大丈夫だと思うけど」

「しばらくは、か」


 ファイアランス王国 グランヴィ家のが気に食わないと武力で反発する者は少なくはない。ただでさえ恨みを買い敵の多い殺し屋一家なのだ──国内外共に敵がいるとなると、火消しも追い付かなくなる。両者の動きが活発になれば当然何処かでほつれが生じることをアンナは危惧していた。


「ブライト一派は派閥の大きさで言えば筆頭だったからね、今回一網打尽に出来たのは大きかったと思う。けれど彼等の影響を受けた誰かが、また同じようなことをしないとは言い切れないよ」


 デニアに手渡された資料をアンナは上から順にパラパラとめくる。最後のページまで辿り着くともう一度それを繰り返し、記憶するとデニアに返却した。


「…………あんな雑魚共、その気になればいつでも殺せる。けどな……今は殺し屋が儲かる時代だ、仕事も多く国外に出ている時間が皆多い。そんな中、動けなくなる家族と守る家族が増える」

「……マリーローラン様のこと?」

「そうだ」


 間もなく出産予定のマリー。アンナ自身に出産に関する知識は皆無であったが、母や叔母が言うには「しばらくはまともに動けない」とのことだった。赤子が戦える筈もなく、夫のフォンもいくさという言葉とは程遠い。姉が動けなくなる以上、自ずと王家の戦力が減るのだ。


「国内の治安は我等と軍が今まで通り守ればいいが、また国外で戦争でも起きてみろ……戦力が減るのに仕事は増える一方だ」


 重い気持ちを吐露し短く溜め息を吐くと、アンナは琥珀色の紅茶に口をつけた。口調とは裏腹に、絵に描いたような上品なその仕草にウェズは思わず見蕩れてしまう。


「りりたんさぁ、もっと人に……というか友人の俺に頼ることを覚えたらどうなの?」

「……頼る?」


 首を傾げたアンナの姿にデニアは呆れの混じった溜め息を吐く。アンナとは違い、長く相手の感情を逆撫でするような溜め息だ。


「国内の敵は軍と我々騎士団が殲滅を請け負う。王家の方々は国外に集中なされば良いんだ」

「…………は、どういう意味だ」

「言葉のままままだよ。この国はさ、王族も軍も頑張りすぎだよ。お陰で騎士団は暇で暇で」

「……暇、ではないですよね」


 デニアの言葉にイダールが横から口を挟む。アンナは未だ理解が出来ず眉間に皺を寄せた。


「デニー、それは……友人として言っているのか、それとも騎士団長として言っているのか」

「両方だよ」

「大丈夫なのか?」


 デニアではなくイダールにアンナは問う。デニアはこういう時に嘘を吐くが、初見のイダールであれば事実を隠さず答えるであろうと考えたからであった。


「問題ありません」

「本当なんだな?」

「はい」

「……わかった。では今後その件は騎士団に任せる。軍側と話をつける時間をすぐに作ろう」


 デニアと友人関係になる以前のアンナであれば、騎士団に頼るなど絶対にあり得ないことであった。譲れない境界が友のお陰で緩み、彼女は誰かに頼ることを学習したのだ。


「この件についてはもう良いか?」

「ん、どうしたの?」

「ずっと気になっていた。その甘ったるい香りを放つ袋はなんだ?」


 アンナが指差したのはデニアが持参した小豆色の紙袋。普段嗅ぐことのない砂糖の匂いに、アンナは顔をしかめた。


「お土産~! りりたん、甘いもの嫌い?」

「嫌いというか……必要ないからあまり食べない。食後に出されるものは食べるが、それ以外の間食で甘いものというのは……ないな」

「うそぉ……」


 女の子なのに、と付けたしデニアは落胆する。今日までアンナと何度か食事に出掛けたが、言われてみれば彼女が甘味を口にしている姿を見たことはなかった。


「俺、甘いもの好きなんだけど、ここのチョコレートは絶品だよ」

「チョコレート?」

「まさか、知らない?」

「いや、流石に知ってる。名前くらいは」

「食べたことないの……?」

「多分」

「多分って!?」


 アンナは食に関して言えば無頓着であった。城に居れば食事の管理は調理師達や臣下達が行ってくれる。仕事の移動中は携帯食で済ませていたし、宿泊した先では頼んでもいないのに豪奢な料理が勝手に振る舞われていた。


「甘味など、嗜好品だろ? 嗜好品の類いに興味はない」

「勿体ない……世界は広いんだよ、りりたん」

「言われなくともわかっている」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 デニアが促すと、ウェズが紙袋の中から小箱をいくつも取り出した。蓋を開ければ甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「これが、チョコレート?」

「綺麗でしょ?」

「そういうのはよくわからん……やはり食べた記憶がないな」

「王族はチョコレートを食べないのか……?」

「いや、あたしが異質なだけだ」


 指先で摘まんだ艶やかな茶色の固形物をアンナは口に含む。瞬間、強張っていた頬が緩み、嚥下の直後もう一つ口に含む。


「これは……」

「美味しいでしょ?」

「……ああ」

「日持ちもするし、ゆっくり味わってよ。全部の食べたら今度、どれが一番美味しかったか聞かせて?」

「ああ……」


 そこからは無言で、味わうようにアンナはチョコレートを口に放り込む。白く楕円状のものを摘み、不思議そうに顔の前に掲げた。


「これは何だ? なぜ白い」

「それはホワイトチョコレート。カカオマスが入ってないから白いんだよ」

「カカオマス?」

「チョコレートの原料だよ。カカオ豆を加工して出来たものがカカオマス」

「ホワイトチョコレートは原料のカカオマスが入っていないのにチョコレートなのか?」


 相変わらずの表情のアンナは白い塊を舌に乗せる。直後、あまりの甘さに噎せ返り慌てて紅茶に口を付けた。


「なんだこれは……甘過ぎないか? ……しかし茶色の物よりはまろやかなだな」

「チョコレート初めてのりりたんには甘過ぎたかな。病み付きになるんだけどね、ホワイトチョコレート」


 甘味の詰まった箱はあっという間に半分近くがなくなってしまった。「遠慮をするな、食べろ」というアンナの言葉にデニアとイダールも頷くしかなく、三人揃って味わった為であった。


「また何かあったときは手土産持ってくるよ。外で会うときも甘いもの食べようよ」

「そうだな。時間が合えばイダールも着いてこい」

「俺ですか!?」


 アンナから向けられた好意が嬉しい反面、イダールは驚きのあまり硬直してしまう。その反応をデニアが誂い、笑い声が上がった直後だった。



 ──コンコン!



 部屋の扉が慌ただしくノックされる。アンナが返事をすると姿を現したのはレンの臣下であるマンダリーヌだった。扉の外でいつもの冷静さを欠いた表情の彼女は、デニアとイダールを一瞥するとアンナを見やり、どうしたものかと逡巡した。


「二人は友人だ。構わない、話せ」

「はい、実は……マリー様が……!」

「姉上?」

「産気付かれまして」

「なんだと!?」


 マンダリーヌの言葉を聞くやいなやデニアは荷物を手早く片付ける。イダールが荷物を持ち、その間にデニアはアンナへ別れの挨拶を告げた。


「悪いな、折角来てもらったというのに」

「何言ってんのこんなときに。落ち着いた頃にまた連絡するから」

「見送りも出来ず、すまない」

「気にしないで」


 駆けるアンナを見送り、デニアとイダールはマンダリーヌの案内で王城を後にすることとなった。

 きっと後でアンナが食べるだろうからと、まだ少し中身の残った複数のチョコレートの小箱は応接室の机に置いたままだ。デニアは次の手土産は何にしようかと思案しながら、挨拶を済ませマリーの元へと向かうマンダリーヌの背を見送った。

 



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