第十一話 王の素顔

 王の間の奥に置かれた玉座の回りを、エドヴァルドは忙しなく歩き回っていた。腕を組み悩ましげな彼の表情に、壇上の下に控えるコラーユは溜め息を吐いた。


「少しは落ち着いたらどうですか、兄上」

「どうしよう、アンナにまた酷いことをしてしまった……」

「なら、謝ってきたらどうです?」

「そんなの、俺の面子がさあ」


 先程アンナと対峙していた時の険しさはどこへやら、眉尻を下げ憂い顔のエドヴァルドは、壇上から下りるとコラーユに詰め寄った。


「なんですか?」

「見てくれよこれ、アンナがやったんだ」


 腰まで伸ばした血色の髪の毛先を摘み、それをコラーユに見せつけるエドヴァルド。よく見ると、毛先三センチ程が焼け焦げて変色していた。


「いいだろ~。凄いだろ、我が愛しの娘! 俺の毛先まで焦がせるようになったんだぞ」

「毛先だけでなく、全身を焦がして貰えばよかったのではなくて?」

「げ、ネヴィアス!」


 玉座脇の扉から颯爽と現れたのは、エドヴァルドの妻ネヴィアスだった。後ろには彼女直属の臣下──彼女の姪子であるクラモアジーとクルヴェットの姉妹を連れている。


「『げ』とはなんですか」

「べ、別にぃ……」

「ところであなた、アンナの腕を切り落としたそうね?」


 眉間に皺を寄せたネヴィアスは、コラーユの後ろに素早く隠れるエドヴァルドへと詰め寄る。身を縮めながら壁沿いへと逃げるエドヴァルドの外套を、彼女は後ろから引っ掴んだ。


「どうしていつも無駄に切り落としたり、抉ったりするのかしら?」

「だ……だって」

「だって、何?」


 エドヴァルドの方が背も高く体格もかなり良いというのに、その場にいる者は皆ネヴィアスの威圧的な態度に気圧されてしまう。ぎらりと光るエメラルドグリーンの瞳は、夫の赤く濁った瞳を居抜き、完全に動きを封じていた。


「またいつもの『威厳のある父親を演じた結果』かしら?」

「……はい」

「それ、どうにかならないのかしらね?」

「無理だと……思います」


 エドヴァルドの厳格な態度は、実母アリアの影響であった。前国王である彼女はエドヴァルドを含む四人の子を、それはそれは厳しく育てた。彼女の跡を継ぐエドヴァルドには、子に対して厳しく接するよう教育を施し、彼本人もそれを良しとしていた。──が、実際ネヴィアスが長女のマリーを出産した直後に娘と初めて対面した彼は、マリーのあまりの可愛らしさに天を仰ぐこととなったのだ。


『こんなにも可愛らしい娘を、厳しく育てるのは無理だ』──と。


 しかしながら彼にもプライドというものがあった。なにより甘やかして育てれば母アリアに何を言われるかわかったものではない。仕方なしに子供たちを厳しく育ててきたものの、彼等の前で本音が溢れてしまうのを防ぐために、時折こうやってアリアの居ぬ間に愚痴を漏らしていた。


「無理って言ってもねえあなた、このままではアンナの身が持ちませんわよ?」

「アンナなら大丈夫だ。あいつは着実に腕を上げている。見てみろこの髪! アンナが焦がしたんだぞ、いいだろ~」

「……はぁ」


 呆れ果てたネヴィアスは、国王の為の玉座の斜め後ろに設置された小振りの玉座に腰を下ろす。クラモアジーとクルヴェットが後ろに控えた丁度その時、入口の扉がノックされた。


「はい」

「俺だ」


 扉の前に待機するルヴィスが返事をすると、大きな音を立てながら扉が内側に開いた。赤絨毯の上をずんずんと歩み進めるのはレンである。

 

「レンか、何だ」

「父上、またアンナに怪我をさせましたね」


 玉座の前で足を止めたレンは、憎しみを込めた目で壇上の父を睨む。そんな息子の眼差しなどどこ吹く風なエドヴァルドは、厳しい目線を彼に送る。


「お前にどうこう言われる筋合いはないな」

「ある! アンナは俺の可愛い妹だ」

「お前の妹である以前に、俺の娘だ。どう扱おうと俺の勝手だろ」


 この父に何を言っても無駄だと言うことは、レン自身も重々承知している。しかし一言でも苦言を呈さねば、父の訓練は更にエスカレートするのではという懸念が彼の中にあった。


「わかったわかった、そう睨むな。ところでレン」


 拳の一つでも飛んでくることを覚悟していたレンは、父の態度に訝しげに眉を潜める。彼の後ろで膝をつくマンダリーヌでさえ驚き、赤絨毯に向けて下げた顔の上で目を丸くしたほどだ。


「お前、何時になったら身を固めるつもりだ? 俺の跡継ぎではないから成人をする前にもしつこくは言わなかったが……マリーの出産が済む頃には、いい加減──」

「そのことですが、父上」


 ファイアランス王家の古くから風習として、百歳(人間で言うと二十歳)の成人をする頃には婚姻を結ぶべき、というものがあった。本人がどうしても結婚を望まない場合を除き、皆揃ってその年の頃には婚姻を結んできた。国王となるものであれば、有無を言わせず成人と結婚を国をあげて祝う習わしであった。


「どうした、相手でも見つけたのか」

「はい」


 先程とは打って変わって真剣な眼差しのレンは、後ろに控えるマンダリーヌを振り返り彼女の肩に手を添えると、再び正面に座る父を見据えた。


「マンダリーヌと」

「……本気か?」

「はい」

「レ……レン様っ!」


 慌てて立ち上がったマンダリーヌは、目を白黒させながら肩に添えられたレンの手をそっと払い除ける。固く目を瞑り深呼吸をすると、困ったように眉を寄せて首を横に振った。


「陛下の前だというのに、ご冗談は止してください」

「俺は本気だ」

「何を……。レン様、ご自分の立場をわかっていらっしゃいますか」


 肩を震わせるマンダリーヌに対して、レンは酷く冷静だった。彼女の頭をポンポンと撫でると、くるりとエドヴァルドに向き直った。


「レン」

「はい」

「お前……相手の気持ちも理解出来ずに、結婚をするなんて言うなよ」

「え?」


 エドヴァルドの後ろに控えるネヴィアスでさえ、彼と同意見なのか呆れた様子で短く息を吐く。マンダリーヌの父であるコラーユだけが、呆れるどころか驚いて二人の姿をみつめていた。


「せめてなあレン……相手の気持ちを確認してから報告をしろよ」

「ええと……」

「その様子ではマンダリーヌは了承していないみたいじゃねえか」


 顔を赤くし狼狽えるマンダリーヌは、振り向いたレンと目が合うと顔を伏せてしまった。彼に名前を呼ばれるが両手で顔を覆い、首を横に振るだけであった。


「マンダリーヌ、俺では駄目か?」


 下から覗き込むようにマンダリーヌの顔を見つめるレンに対し、その場に屈み込んでしまう彼女。それに合わせて膝を折ったレンは彼女の肩を掴み顎を持ち上げた。


「そんな……滅相もありません!」

「それなら」

「わた……私のような者がレン様の相手など務まりません」

「そんなことはない、俺はお前が」

「これ以上は止めてください!」


 弱々しく言い放ったマンダリーヌの声が震えている。そこでようやく冷静になったレンは、恐る恐る父と母を振り返った。


「親の前で求愛をするのは止めろよ」

「すみません……」

「焦るな。お前がどうしてもマンダリーヌが良いと言うのであれば、時間がかかっても良い……今度は二人揃って報告に来い」


 言い終えるや否や、エドヴァルドは眼前の二人に退出を命じる。頭を垂れて扉の向こうへと消える二人の背中を、王の間に残された四人が見送った直後に口を開いたのは他でもないコラーユだった。


「申し訳ありません

「何畏まってんだ」

「まさか、このようなことになっていようとは」

「謝ることではないでしょう、コラーユ。過去の記録では、実例もあるわけだし」

「ネヴァアス様……」


 ネヴァアスの言う通り確かに、己の臣下と結ばれる王族は少なからず存在した。周りが反対する前に子を作ってしまう者達ばかりであったようだが、その辺りの紙の上での記録は不鮮明であった。


「レンがマンダリーヌを選ぶと言っても、なんら不自然ではないわ」

「しかし……マンダリーヌがあそこまで拒絶するとは」

「よっぽど、レンのことが嫌なのかしらね?」

「あの子は非常に真面目な子です。自分がレン様と、という思いが強すぎるのでしょう」


 父であるコラーユの言う通り、彼女はきょうだいの中で最も根が真面目であった。そんな姉を見て育った影響なのか、弟のルヴィスはは自由主義であった。自由主義な兄を見て育った影響か、弟のシナブルも姉と同じく真面目に育ち、更に弟のカルディナルとヴェルミヨンについては、言わずもがなである。


「まあどちらにしても、時間が解決するだろうさ」


 仰々しい玉座に腰掛け足を組み、エドヴァルドはふと自分がネヴァアスに出会った時のことを思い出す。マンダリーヌ程ではないが、他国の姫であった彼女も、多少なり抵抗をしたのだ。


(……あれを落とすのにはなかなか骨が折れた)


 そんな彼の気を知ってか知らずか、王の間から立ち去ろうとするネヴァアス。恐らくはまた、もう少し先に生まれてくる孫娘の為に産着でも縫うつもりなのであろう。

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