第九話 フェルメリアスの惨痛

 ファイアランス王国の王室医師の一人であるアリシアは、エルフである。美しく輝くエルフ特有の金髪にエメラルドグリーンの瞳、それに上に伸びる耳輪の尖った耳はエルフの象徴であった。


 エルフはティリスと同じくルース神力ミースを扱うことが可能であるが、ティリスには無い能力を持っている──それが、傷を治癒するエルフ特有の力だ。例えば己の神力を手に纏い、負傷部位に触れることにより、負傷者の治癒能力を活性化させ完治させることが可能である。勿論それは己の肉体でも可能であるが、神力を多用しすぎると己の体力が尽きてしまう。そうなれば自己が死に至る可能性もある能力なので、自分自身に治癒の力を使用する場合には、匙加減の難しい部分もあった。


 この能力はエルフの血が濃いティリス──エルフとティリスの間に生まれた子であれば、習得することが可能なものであった。勿論、エルフに比べ性能が落ちはするのであるが。







「姫!しっかりして下さい!姫!」


 闘技台で応急措置を終え、一先ず腕の癒着の完了したアンナの身は担架に乗せられ、西第二棟一階の医務室へと運ばれていた。

 担架の頭側を持ち駆けるシナブルの呼び掛けに、アンナは未だ反応しない。並走しながら治療を施すアリシアの額には玉のような汗が浮かんでいる。


「何事なの?」


 医務室まであと一歩という所で、何者かに声をかけられる一行。声の主を振り返らずともわかる──まだ幼さの残るボーイソプラノの主は、アンナの二十五歳(人間でいうと五歳)年下の弟、フェルメリアスであった。


「……姉様あねさまっ!」


 アンナと同じ血色の髪を振り乱し、エメラルドグリーンの瞳をこれでもかと見開いた彼は担架に駆け寄る。血塗れの右腕に赤く染まったシャツ。意識のない姉の手を握り、フェルメリアスは目に涙を浮かべた。


「父上か……」

「申し訳ありませんがフェル様」

「……わかっている。ごめん」


 ハクラの言葉を聞き入れ、フェルはアンナから離れる。彼女を乗せた担架はすぐに医務室内の治療台へと移動され、アリシアによる治療が始まった。


 邪魔にならぬよう治療台から離れた場所に置かれた丸椅子に腰掛けるシナブルとフェルは、その様子をただ見守るしかない。その間にもアリシアの神力ミースは着々とアンナの傷を癒していった。


「シナブル、どうしてこんな傷になったの」

「はい……」

「シナブル」

「はい……その、陛下が姫の腕を切り落としまして」


 その言葉に肩を震わせたフェルは、その幼い顔にそぐわぬ険しい顔を見せる。悔しげに唇を噛みしめると、足元に視線を落とした。


「……僕が姉様よりも早く生まれていれば、こんなことには」


 フェルの髪もアンナと同じく血の色だ。ファイアランス王国 グランヴィ家では、男女関係なくこの髪の色を持ち先に生まれてきたものが王位を継ぐことが決まっている。フェルはアンナにもしものことがあった時の保険として、他のきょうだい達よりも厳しく育てられている。──が、それはアンナの比ではなかった。


「……フェル……それは言わない約束だろう」

「姉様!?」


 意識を取り戻したアンナは、シナブルとフェルへと視線を投げる。重い頭はまだ上げる出来ないのか、動いたのは鋭く赤い瞳だけだ。


「アンナ様、お加減は」

「……ああ、腕以外は大丈夫そうだ。ハクラ、アリシア……いつも悪いな」


 断たれた骨の結合は済んだものの、血管や神経、それに外皮の修復にはまだ至っていないアンナの腕。アリシアの神力量と体力を見ながらの治療になるので、完全回復には二日程度はかかるであろう。


 アンナの体調を窺いつつ、アリシアは神力ミースを流し込む。擦過傷などの小さな傷は、全てハクラが手早く処置を済ませていた。包帯やガーゼだらけになったアンナの姿は実に痛々しい。


「フェル、あたしはあんたの姉だよ。弟を守ることくらい、させてくれ」


 伸ばした手はフェルの頬を撫でる。その先端に触れた小さな手は、ほっそりとした姉の指先を這い握りしめた。固く目を閉じた彼は一瞬口を開きかけるも、言葉を飲み込むようにそれを閉じた。


「僕は……そろそろ戻るよ」

「ああ、ありがとうフェル」

「そうだ姉様、耳に入れておきたいことがあるんだけど……」

「何だ?」

「でも、怪我が」

「いいから言ってみな」

「実は──」


 フェルが言うに、三日後首都フィアスシュムート沿岸の町 ミズラルで開催される植樹祭──アンナ自身もそれは把握していたが、どうやら彼女の帰国を知った国民達の間で、「アンナ様にも是非ご出席して頂きたい」という話が上がっているようだ。


「今年、来賓として出席するのは誰なんだ?」

「姉上とフォン義兄様にいさまだよ」

「で、そこにあたしも出ろってか」

「姉様、あまり国内に滞在しないからね。こういうタイミングで帰国すると『是非に』って声がかかるのは仕方がないと思うよ」


 アンナは仕事で国を開けることが多い。国に滞在するのが嫌で、好き好んでそうしている訳ではないのたが、如何せん彼女は多忙だ。彼女自身も己の能力向上のため、積極的に仕事に出向いていたし、帰国すれば城に籠って鍛練をするばかりであった。それ故、彼女の人気を考えれば国民達から声がかかるのも無理はない──といった現状である。


「そういえば今回は騎士団長も来るみたいだよ」

「いつも多忙を理由に欠席してるくせにか?」

「今回は三十回記念だからじゃないのかな」


 騎士団というのはこの世界に二十四の部隊を持つ、治安を維持する政府公認の武力集団だ。部隊のトップに君臨する実力者は騎士団長と呼ばれ、所有する二十の部隊に段階的に仕事を割り振っている。

 治安維持以外にも戦争への参加や被災地の復興など活動は様々である。その騎士団長──ファイアランス王国に本拠地を置く第四騎士団長 デニア・デュランタが、この植樹祭に出席するとのこと。


「デニア・デュランタ?」

「姉様、まだちゃんと会ったことないでしょ? 騎士団と人脈を作るのも、仕事を円滑に進める為に──」

「フェル、言ってることが子供じみてなくて可愛いげがないぞ」

「姉様はまたそういうことを言う……。どうやら、デュランタ団長も姉様に会いたがってるらしいし」


 フェルの言う通り、アンナはデニア・デュランタという男に正面から面会したことはない。会議や行事で姿を見かけたことはあったような気もするがはっきりとは記憶にない。良い機会であるし、フェルの言う通り顔を合わせておくのも悪くないかもしれないなと、アンナは思案する。


「怪我の治りが悪かったら、無理はしないでね。多分、話がまとまればコラーユから連絡が行くと思うから」

「ああ。ところで、祖母上はまだ戻られてないのか?」

「うん、まだ」

「わかった、ありがとうフェル」


 手を振ったフェルが医務室から出ていくと、アンナの腕に管へと繋がる針が差し込まれた。治療再開の合図である。


「シナブル、お前も戻っていいぞ。忙しくなるだろうし」

「承知致しました。何かありましたらお呼びつけ下さい」


 その背を見送ったアンナは、治療台の上で目を閉じた。目覚めた時にはきっと粗方治療は済んでいるだろう。


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