第21話 詩織さんの幸せとは

「俺ですよ。煉獄騎士パラディンΩですよ」


 ブラックハートは、確かにそう言った。


 ……じゃねーよ!


 いやいや、ちょっと待て。かなり待て。何なりすまししているんだよ!


 本当の煉獄騎士パラディンΩは……。


「……あなたが煉獄騎士パラディンΩさん、なんですか?」


 詩織さんは驚きながらブラックハートに尋ねる。


「見て分かりませんか? どこからどう見ても煉獄騎士っぽいでしょ?」


 おちゃらけた返しをするブラックハートに俺はムッとするが、それを聞いた詩織さんは目を輝かせて「は、初めましてっ! シロネコです!」と喜んでいる様子で話を始めてしまう。


 そんな詩織さんを見て、一瞬だけ怒りの矛先を見失いかける。喜んでいる詩織さんに「アイツは偽者だ」なんて言うのは……。


 いや、何考えているんだ、俺。あいつは偽者だ。詩織さんだってぬか喜びより嘘をつかれている方が嫌なはずだ。ここはブラックハートが煉獄騎士パラディンΩでないと、しっかり言うべきだ。


 だけど、どうすればいいのだろうか。「俺が煉獄騎士パラディンΩだ」なんて言えないし……。


 こうなったら……。


「ブラックハートさん! ブラックハートさんじゃないですか!」


 俺はブラックハートの昔の知り合い的なノリで二人に近寄る。心臓バクバクだ。


「誰だ? お前」


「い、嫌だなぁ。さすらいのカレーですよ」


 ブラックハートが睨みつけてきて怯む俺。


「ブラックハートさん……?」


 詩織さんが困惑した表情でブラックハートの顔を見る。


「は? 俺は煉獄戦士パラディンΩだけど? 誰だか知らんが、嘘つかないでもらえる?」


 ブラックハートは慌てることなく、煉獄騎士パラディンΩだと言い張るつもりらしい。今、煉獄「戦士」って言ったけど。


「アレ? おかしいな。さっきブラックハートって書かれたネームプレートを持っていたはずですけど……。ネームプレートはどうしたんですか?」


 俺がそう言うと、顔を歪めて「ね、ネームプレートは……無くした」としどろもどろに答えた。


 今がチャンスだと確信し、追い打ちをかける。


「おでんさん! ブラックハートさんがネームプレートを無くしてしまったみたいです!」


 と、わざとらしく大声でおでんさんを呼ぶ。


「だ、だから俺はブラックハートじゃねぇって言っているだろ!」


 逆キレ気味のブラックハートだったが、おでんさんに「参加者リストの方にブラックハートと書かれていますし、前回参加された時にブラックハートと名乗っていませんでしたか」と訊かれ、黙り込む。後ろの通話組三人はそれを見て笑っている。


 ふぅ……これならなんとかなりそうだ。


 そう思った時だった。


「ブラックハートはサブアカウントだ!」


 ……へ? サブアカウント?


「煉獄戦……騎士パラディンΩがメインアカウントで、ブラックハートがサブアカウントなんだよ!」


 えー、流石にそれは無理があるだろう。


「もんすたー☆はんてぃんぐは一人につき、アカウントは一つしか作れないし、なんでサブアカウントのハンドルネームを名乗ったんですか」


 俺が正論をかましてけん制しようとするが、ブラックハートは「パソコン二台でやっていたんだよ。それにブラックハートの方が書くの楽だろ」と誤魔化されてしまい、挙句に「俺、アカウント二つ持っていたよな」と通話組三人を証人として使おうとする。


「え? あ、あぁ、持っていた気がする」

「俺もそんな気がするわ」

「そういえば、持っていたと思うわ」


 突然のことに驚きつつブラックハートの味方をする通話三人組。いや、芝居にしても記憶曖昧すぎるだろ。改竄するならするで、もっと怪しまれない言い方ないのか。


「でも、パソコン二台あっても規約的に……」と俺が言いかけたところで、おでんさんが「まあまあ」と止めに入る。


「まぁ、他人になりすますメリットもありませんしねぇ。ゆる~いオフ会なので、この話はこの辺にしておきましょう」


 いや、なりすますメリットはある。けれど、詩織さんに近付く為なんて言えるわけもなく、むしろ深追いしたら俺がオフ会の空気をぶち壊す悪者扱いになってしまうだろう。


 それ以上、何も言えずに二回目のゲームが開始された。


 俺は詩織さんと別のグループで、詩織さんはブラックハートと同じグループだった。ブラックハートが変なことを言わないか不安で、つい向こうのグループの会話を盗み聞きしようと耳を傾けてしまう。おかげで自分のゲームに集中できず、凡ミスしまくり。


 向こうのグループから聞こえた話だと、ブラックハートはホストをやっているらしく、高収入で愛車はフェラーリと煉獄騎士パラディンΩの設定と一部被っている。勝ち組と呼べる実生活をグループのメンバーに自慢しているのが何度も聞こえたが、ホストなだけあって会話の進め方が上手くて、話も面白い。グループ内の会話を支配しているようで俺とは違い、誰にでも好かれる人気者のようにも見えた。


 全ての話を盗み聞きできたわけではないが、詩織さんとブラックハートの会話は食い違いがあるものの、チャットで俺と詩織さんの会話を見ていたブラックハートは上手いこと誤魔化し、煉獄騎士パラディンΩを演じているようだった。詩織さんも「ネットだと嘘を交えないと特定されるからね」的なことを言われたら、多少の食い違いも呑み込むしかない。


 まさか俺がなりすまし被害(と言っていいのか分からないが)に遭うとは思いもしなかった。結局、突然の出来事に思考が追いつかないままオフ会が終了した。


 夜になってオフ会から解散し、詩織さんと帰り道を歩く。


「本当に煉獄騎士パラディンΩさんに会えるなんて思いませんでした」


 嬉しそうに話す詩織さんに、俺はなんて言えばいいのか分からなかった。


「想像していた雰囲気とは少し違いましたけど……でも、会えてよかったです」


 そう笑顔で話す詩織さんに今更本当のことを言うことも、あいつは偽者だと言うこともできず、ただ「会えてよかったですね」としか言えなかった。どうして、俺は肝心な場面で言えないのだろう。


「そういえば、来週は二次試験でしたよね? 頑張ってください」


 いろいろとモヤモヤが残った日だったけど、別れ際にそう言ってもらえたのが嬉しくて、「はい! 頑張ります!」と答えた。


 だから、つい勢いで口を滑らせてしまった。


「あの、前に詩織さんもお休みと言っていましたけど、もし良ければ試験が終わった後にご飯でも食べに行きませんか?」


 以前、「また公園に遊びに行きませんか」という話になった時、詩織さんは試験日である十一月七日が休みだと言っていた。その時は試験と被っていたから「ごめんなさい」と断ってしまったが、かなり後悔していた。


 試験は昼過ぎには終わるはずだし、公園は時間的に無理でもどこか食べに行くぐらいならできる。詩織さんが空いているのなら、試験が終わった自分への褒美も兼ねて少し高いところへ行きたい、なんて考えてしまったのだ。


 でも、詩織さんは「ごめんなさい」と申し訳なさそうに言った。


「その日は煉獄騎士パラディンΩさんと食事に行く約束をしてしまったので……。また後日で良ければ誘ってほしいです」


 チクリと心が痛んだ気がした。


 さっき詩織さんとブラックハートがスマホを持って話していたから連絡先を交換していることは分かっていたが、遊びに行く約束もしていたとは……。応援してもらえたことも忘れて、モヤモヤだけが募っていく。


「そうでしたか……。じゃあ、また都合のいい日に行きましょう」


 なんて平然を装うので精一杯だった。なんでここまで動揺しているのか、俺にも分からない。



 十一月七日。昼。


 オフ会の日から焦燥感に苛まれて、勉強に集中できなかった。何がなんでも今日合格しなければならないというプレッシャー。俺はなんでこんなに焦っているのだろうか。一日でも早く詩織さんに全てを打ち明ける為なのは間違いない。


 でも、打ち明けてどうなるのだろうか。俺は打ち明けて何か見返りを求めているのではないか。


 あれから思考がまとまらない。だから勉強に集中できなかった。一次試験合格した時は自信があったのに今は不安しかない。もし落ちたら……詩織さんはまた挑戦すればいいって言ってくれたけど、来年まで詩織さんとの関係は続いているのだろうか。


 今頃、詩織さんはブラックハートと会っている。ブラックハートは明らかに詩織さんを狙っていたし、このまま二人が仲良くなって……もしも付き合い始めたら……。


 間違いなく俺は嫉妬している。


 詩織さんは恋人でもなければ、付き合える気もしない。最初から諦めていたのに、なんで嫉妬なんてするのか。ただ純粋に全てを打ち明けたいだけなのに……自己嫌悪に陥る。


 脳内の俺が「アイツは煉獄騎士パラディンΩを偽る嘘つきなんだぞ。あんな奴に詩織さんを渡していいのか」と叫ぶが、実際どちらが煉獄騎士パラディンΩに近いかと訊かれたら俺ではなく、ブラックハートの方だろう。


「坂上さん? どうしましたか?」


「え? あ、すみません」


 係員に面接室へ案内され、二次試験が始まる。


 面接官と簡単な挨拶を交わして、問題カードを渡される。そのカードに書かれている英語を音読するのだが、手足が震えてしまい、書かれている文章が頭に入ってこない。


 落ち着け、俺。


 今日、合格しないといけないんだ。


 なんとか口を動かすものの言葉がつっかえてしまい、面接官が顔をしかめる。それを見て、余計にパニクってしまう。


 ここから挽回しないと。


 挽回できないと詩織さんに全て打ち明けられないまま……。


 しかし、その後も面接官の質問を訊き返したり、言葉に詰まったりで酷い受け答えになってしまい、挽回どころか醜態を晒しただけで試験は終わってしまった。


 退室した時、俺は頭が真っ白で何も考えられなかった。



 それから十日後――マイページには「不合格」の三文字が表示されていた。



 十一月十八日。昼。


「そんな落ち込むなよ。また来年挑戦すればいいだろ」


「そうだよ。一次試験合格しただけ凄いって」


 バイトの休憩室で店長と麻島さんに慰められる俺。二次試験が終わった後から何度か気遣ってもらっている辺り、試験日から酷い顔で過ごしているようだ。


 詩織さんにもメールで不合格だったことを伝えた。応援してもらったのに不合格なんてかっこ悪くて会わす顔がない。大袈裟だと思われるかもしれないが、どうしてもブラックハートと自分を比べてしまうんだ。だから詩織さんとはオフ会の日から会っていない。


 つい先日、詩織さんから誘いのメールも来たが断ってしまった。どうやら十二月二十四日のクリスマスイブにもんすたー☆はんてぃんぐのオフ会が再び開催されるらしく、二人で行きませんか、というお誘いだったのだが行っても惨めな思いをするのは目に見えているし、ブラックハートと自分を比べて自己嫌悪が増すだけだろう。


「二人ともありがとうございます。もう気にしていないので大丈夫です」


 と丸分かりな嘘を返す。


「……こんな時に訊くのもアレなんだが……今年のクリスマスもバイト来れるか?」


 店長が珍しく言いづらそうに渋い顔で訊いてくる。


「クリスマスですか?」


「今年もケーキ売らなきゃいけないからな。今のうちに来れる奴を募集しているんだが、『クリスマスは休みたい』って奴ばかりで俺も休めなくなるくらいには困っている」


 去年のクリスマスイブも店の前でケーキ売ったなぁ、と思い出す。


「大丈夫ですよ。予定ないですし」と答えると、店長は「悪いな。彼女いるのに」とため息をつきながら言った。


「彼女は……詩織さんはその日、もんすたー☆はんてぃんぐのオフ会に行くみたいなので大丈夫ですよ」


「ふーん、サービス終了したのにオフ会なんてあるんだな」


 俺が空いてなくても詩織さんは悲しまないし、俺の代わりなんていくらでもいる。最近、自暴自棄になっているというか、そういうことばかり考えてしまう。


「ちなみに麻島は強制的に来てもらうからな」


「え、なんで!?」



 十一月二十八日。昼。


 この日は久しぶりに詩織さんと会っていた。オフ会が先月末だったから約一ヵ月ぶりである。


 詩織さんの方から誘ってもらった……と言ってもお金を返す為であって、俺と会いたかったわけではないと思う。


 喫茶店に入ったところで何を話していいのか分からず、「煉獄騎士パラディンΩさんとはその後、どうですか」なんて訊いてしまい、自分から地雷を踏んでしまった。


「この間も煉獄騎士パラディンΩさんと会ってきましたよ。これは先日行った店なんですけど……」


 詩織さんはそう言って、スマホで撮った写真を見せる。なんだか高そうなお店だったり、インスタ映えしそうな店だったり、店のチョイスが俺とは全然違う。多分、女性からしたら俺が選ぶ店よりあっちの方が喜ぶんだろうな、と一目で分かる差があった。二十八にもなって公園デートで満足してしまう俺よりはいろんな世界を見せてくれるはずだ。


 楽しい思い出を語るように話す詩織さんを見て、やっぱり俺じゃ釣り合わないな、と思った。そんなこと最初から分かり切っていただろ、と何回も思っていたのにまだ心のどこかで希望というか願望を抱いていたようだ。


 俺は――詩織さんのことを本気で好きになっていた。


 だから、俺はこのままでいいんじゃないかって思う。ブラックハートはなりすましをしたが、それでも俺なんかより詩織さんを幸せにできるし、そもそも俺が告白したところで迷惑にしかならない。


 そうだ。煉獄騎士パラディンΩだと打ち明けようと考えていたこと自体間違いだったんだ。今、打ち明けて何か変わるのだろうか。そりゃ少しくらいブラックハートの印象が落ちるかもしれないけど、俺の印象は変わらない。むしろブラックハート以上に落ちるだろう。


 煉獄騎士パラディンΩであることを隠していた俺が本物だと明かしてどうなる。こんな二十八の落ちこぼれアラサーが煉獄騎士パラディンΩだと名乗って誰が幸せになるのだろうか。自己満足で詩織さんの抱いている煉獄騎士パラディンΩを壊してしまうくらいなら今のままでいいんじゃないだろうか。俺だって、もし全て打ち明けて何も状況が変わらなかったら、それこそ惨めではないか。


「坂上さんともまたどこかに行きたいんですけど、最近忙しそうですね……」


 そう詩織さんは言ってくれるけど、きっとお金を貸しているから優しくしてくれているだけで……。今まで俺は変に期待して馬鹿みたいな空想を抱いてしまったんだ。


「またいつか遊びに行ける日があるといいんですけどね」


 と俺は諦めた口調で言った。


 詩織さんだってひきこもり生活から脱して頑張っている。ブラックハート以外にもオフ会で友達を作れたようだし、俺がいなくたって問題はないし、慰め合わなくても詩織さんなら直接助けてもらえるだろう。俺が詩織さんにしてやれることなんて自己満足の為に不要なトラブルを起こすことくらいだ。


 俺がこのまま黙っているだけで、詩織さんの人生は良い方へ転がるはずだ。だったら、それでいいじゃないか。元々、俺の人生はそういうものだったじゃないか。


「そういえば、煉獄騎士パラディンΩさんにお礼を言いたいと言っていましたけど、言えましたか?」


 俺は詩織さんに尋ねる。


「それが……まだ言えてないんですよね。なかなか言うタイミングがないというか……」


 俯いて言葉を詰まらせる詩織さんに、俺は背中を押すことしかできない。


「頑張ってください。絶対に喜んでくれますよ」


 俺じゃこれくらいしか力になれないが、他の誰かならもっと幸せにしてくれるはずだ。


 だから、きっとこれでいいんだ。



 この日――俺は初恋の相手に二回目の失恋をした。

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