第22話 過去最高にテンパる坂上

 十二月六日。夜。


 十二月に入ってから一気に冷え込み、暖房器具がない俺の部屋は北極と化していた。……というのは流石に言いすぎだが、毛布に包まって凌いでいる点は北極っぽい。


 詩織さんとはメールのやり取りを続けているものの会っていない。別に忙しいわけでもないのに忙しいと言ってしまったおかげで詩織さんから誘われることもなく、こちらから誘えばなんとか会えるのだろうけど、どうしても誘う勇気が出ない。


 ブラックハートの下位互換でしかない俺が誘ったところで迷惑だろうし、詩織さんが意識してなくても明らかに差を感じてしまうだろう。


 そんなわけで体も心も凍えながら過ごしている。気温は去年と大して変わらないし、家とバイトを行き来する生活も去年と変わらない。けれど、去年の俺と同じかと訊かれたら首を横に振る。


 心にポッカリと穴が開いていた。去年の俺よりも大きくて深い穴。喪失感と言えばいいのか。今年の俺には詩織さんとの思い出がある。頑張ったところで今更遅いことも知った。


 詩織さんと過ごした日々がどこか懐かしく、たった数週間会わないだけで夢に出るほどだ。もう二度とあんな日々は訪れないかもしれない。そう思うと……情けないけど、泣きそうになる。


 今日も毛布に包まり、寒さと孤独を凌いで一日が終わる。



 十二月二十四日。昼。


 クリスマスイブ。朝から降り続く雪のおかげで、バイト先に着いた頃には既にヘトヘトになっていた。


 ヘトヘト状態の俺と店長は店の外でクリスマスケーキのビラを配る。サンタクロースの格好をしているから暖かい……わけもなく、普通に寒いし、鼻水が出てきた。


「さみぃ~……なんでこんな日に雪降るんだよ……」


 店長がぼやく。ホワイトクリスマスを楽しみにしていたちびっ子やカップルから避難されるだろうけど、同感である。


「こりゃ夜になったら地獄だな。太陽が出ているうちに売り切るしかねぇ」


 なんて店長は言っていたが、すぐ近くに本格的なケーキ屋があるおかげで皆そっちへ流れてしまう。さっきからその店の袋を持った通行人を何人も見ている。


 店内にいる麻島さんや他のバイト仲間と交代しながらではあるが、店内は店内で大変だ。クリスマスパーティーでもやるのかお菓子や飲み物を沢山買いに来る客や予約していたケーキを受け取りに来る客など、普段よりも忙しい。


 なのに何故だろうか。


 こんなにも忙しいのにふと詩織さんのことを考えてしまう。今頃、オフ会に参加しているんだろうなぁ……。ブラックハート以外にも友達を作って楽しんでいればいいんだけど、その反面で黒い感情も湧いてくる。


「もしオフ会に参加していなければ詩織さんとクリスマスを過ごせたのだろうか」なんて想像してしまう。店内にいるカップルを見る度に「俺にもあんな人生があったのだろうか」と考えてしまう。


 ……なんだか惨めで情けない。現にバイトが入っているんだ。オフ会に参加していようが、してまいが、詩織さんと過ごすクリスマスなんてありえなかったんだ。いい加減諦めろよ、俺。


 夕方、休憩時間になって俺も店長も麻島さんも机に顔を伏せて休む……というか力尽きていた。普段より忙しいだけで体力的に限界ってわけでもないが、「世間はクリスマスムードの中で働くのは精神的に疲れる」と店長は言う。まぁ、店長も本当は彼女さんとクリスマスデートしたかったんだろうな。


 休憩が終われば他のバイト仲間は帰ってしまう。つまり、夜中まで三人で頑張るしかないのだが、はたしてこんな状態で三人とも持つのだろうか。


 はぁ……とため息をついた時、休憩室に音が鳴り響く。


 一瞬、俺のスマホが鳴っているのかと思ったが、常時マナーモードだし、連絡を取り合う相手なんて詩織さんしかいない。麻島さんは「ほげっ!?」と慌てて起きた。寝ていたんかい。


 鳴っているのは店長のスマホだったようで、机に顔を乗せたまま気怠そうに電話に出る。


「ん? いるけど?」と俺の顔を見て話す店長。誰とどんな会話をしているのかめっちゃ気になる。


「見間違いとか気のせいじゃなくて?」


 店長がそう言うと、電話の向こうからなんだか大きな声が飛んでくる。


「……分かったって! 伝えればいいんだろ」


 察するに店長が押し切られたようだ。


「坂上、なんかお前の彼女が男に言い寄られているらしいんだけど」


「はい?」


 訊き返す。俺の彼女? カノジョ? 彼女ってどういう意味だっけ? 彼氏の対義語だっけ?


 数秒後に「あぁ、詩織さんのことか」と理解して、さらに数秒後「男に言い寄られている?」と混乱した。ヘトヘト状態の頭じゃついていけないし、ヘトヘト状態じゃなくてもついていけない。


「えぇっと、どういうことです? というか電話のお相手は誰ですか?」


「俺の彼女だよ。よく分からんけど、オフ会でお前の彼女が男に言い寄られているとかなんとか言っている」


「なんで店長の彼女さんが? 詩織さんはオフ会にいるはずじゃ……」


「彼女にクリスマス空いていないこと責められてさ。お前、少し前にオフ会がどうのとか言っていただろ。だから、ノリで『坂上の彼女と一緒に行ってくればいいじゃん』って言ったら、マジで行くことになってよ」


「え、じゃあ、店長の彼女さんもオフ会に参加しているですか?」


「そういうこと」と店長は答える。


 しかし、詩織さんが男に言い寄られているって言われても俺はどうすりゃいいんだ。ブラックハートか誰かが言い寄っていて、詩織さんが困っているのならなんとかしないといけない。けど、店長の彼女さんは俺と詩織さんが付き合っていると思っているから、普通に男が近付いただけでも、そう見えてしまうかもしれない。だとしたら、詩織さんからしたら迷惑な話だろうし、俺が口を出す問題ではない。


 詩織さんだって本当に嫌なら嫌って言え……うーん、言えるのかな。


「その言い寄っている男って詩織さんの知り合いじゃないですか? あと見た目とかはどんな感じです?」


 俺の言葉をそのまま彼女さんに伝える店長。


「チャラチャラしたホストみたいな見た目で知り合いっぽいけど、やたら酒を奨めてきたり、グイグイ言い寄っているらしい。少なくとも俺の彼女が言うには明らかに狙っているんだとよ」


 ホストっぽい見た目……前回来ていた参加者だとブラックハートしか思いつかないし、知り合いの時点で確定だろう。


 頭の中がパニックになる。詩織さんが困っているのなら助けたい。だけど、詩織さんは本当に困っているのだろうか。店長の彼女さんがそう思っているだけで……いや、ブラックハートに詩織さんを取られたくないから俺が勝手に悪い方へ解釈しているんじゃないか。


「えー、それ大丈夫なの?」


 不安げな麻島さんに釣られるように、店長も「電話かけた方がいいんじゃないか」と言う。


 本当に彼氏なら二人の言葉より先に電話をかけているだろう。


 でも、俺は電話をかけることができなかった。


「……電話番号知らないんですよね」


 呟くような小さな声で言うと、即座に麻島さんが「じゃあメールでも!」と持ちかける。けれど、俺の手は動かない。


 どうすればいいのか分からない。俺は詩織さんのなんなのだろう。友達? 友達はこういう時にメールを送るものなのだろうか。もし詩織さんがブラックハートに対して好意を寄せていたら、逆に邪魔をすることになる。


「……メール送るべきですかね?」


 自力で結論が出せなくて、つい言葉に出していた。


「はぁ? 彼氏なんだから当たり前だろ」


 そう店長は言う。だけど、俺と詩織さんは……


「……恋人じゃないんです」


「は?」


「ん?」


 店長も麻島さんも言葉の意味を呑み込めない様子で、互いの顔を見合う。


 俺だっていきなり自分が何言い出しているのか分からない。でも、一人じゃどうしようもできなくて……助けてほしい。


「恋人のフリをしてもらっていただけで、詩織さんと俺は付き合っていないんです」


「騙していてごめんなさい!」と二人に頭を下げる。麻島さんが「えぇ!?」と驚き、少し間を空けてから「お前なぁ……」と店長の声がした。


「だから、その……店長の彼女さんは詩織さんに彼氏がいると思っているから言い寄られているように見えたんじゃないかな……と」


「でも、彼女が言うには断っているのにしつこく酒を奨めているらしいし、メールくらい送ってやったらどうだ」


「お互いお酒の飲み過ぎには注意しましょう」と言い合った詩織さんの顔が思い浮かぶ。心配だ……凄く心配だ。なのに、どうして迷ってしまう。


「……恋人でもないのにメール送ったら迷惑じゃないですか? 気持ち悪いとか思われたり……」


 その時、麻島さんが俺の言葉を断ち切るように「迷惑とかどうでもいいよ!」と声をあげた。


「坂上っちは心配じゃないの?」


「え、えっと……心配です」


「詩織さんのことどう思っているの?」


「す……素敵な人だなぁって思っています」


「そう! じゃなくて! 好きなの!?」


「…………好きです」


「じゃあ! どうしたいの!?」


 どうしたい? そりゃ今すぐ詩織さんのもとに……


「今すぐ詩織さんに会いたいです」


 思ったことをそのままダイレクトに言った。


「だったら、早く行けばいいじゃん!!!!!」


 ドン! と背中に強い衝撃が走る。


「は、はいっ!」


 反射的に答えてしまったが、すぐに「え!? 今からですか!?」と驚いたし、店長も「いやいやいや、坂上いなくなったら店どうすんだよ!?」とほぼ同じ反応である。


「そんなのどうとでもなるでしょ!? 店長だって心配でしょ!?」


「いや、心配というか変な奴に取られるのは坂上の知り合いとして? まぁ、胸糞悪い気分になるけどよ。だからって心配しているかと言われたらそういうのじゃないし、メールでも……」


「そんなわけないでしょ! 試験日に坂上っちが合格するように祈っていたじゃん!」


「店長……祈っていてくれていたんですか?」


「ばっ、馬鹿! 祈ってねぇよ! ちょっと目にゴミが入って、たまたま手を合わせていただけだろ!」


 俺と麻島さんはそんなツンデレ店長を見る。


「あ~もう分かったよ! さっさと行けよ! そんで当たって砕けてこい!」


「そうだよ! ただ会うだけじゃなくて当たって……って砕けちゃ駄目じゃん!?」


 よく分からないノリで応援されて、よく分からない感情が湧いてきたけど、なんだか泣きそうになるし、勇気も湧いてきた。


「店長、麻島さん、ありがとうございます! 俺、行ってきます!」


 俺はサンタクロースの格好のまま店を飛び出て、駅へ向かう。


 オフ会の開催場所は前回と同じだったはず。電車で行けば、すぐに着く。


 ところが雪の影響で電車が止まっているらしく、バスもタクシーも長蛇の列が出来ている。


 どうする、なんて考える暇もなく駅から走ることに。幸い、ここからオフ会の会場まで遠くはない。徒歩で行く距離ではないけど。


 雪は降り止んだが、下が滑りやすく、何度も転んだ。サンタクロースの格好をしたアラサーが本気で走る姿は異様だろう。ちょくちょくシャッター音が聞こえた。


 ギリギリ一時間以内に到着し、会場に入る。


 前回よりも参加者が多いようで、詩織さんを探すのに手間取りそう。と思いきや、ブラックハートの明るい金髪が目印となって、すぐに見つかった。詩織さんとブラックハートと通話組トリオの五人で話をしているようだ。


 パッと見た感じだともう酒を奨められているような感じではないけど、ブラックハートと通話組トリオが会話していて、詩織さんは……何故か俯いている。


 勢いで辿り着いたはいいが、なんて声をかければいいのか分からない。考えねば……店長と麻島さんに背中を押してもらったんだ。何もせずに帰るわけにはいかない。


 詩織さん達に近付くと、会話が聞こえてくる。


 ブラックハートと通話組トリオが、もんすたー☆はんてぃんぐでの思い出を語っているようだった。ただ四人とも酔っているようで、ギルドに所属していたメンバーを名指ししては「アイツ下手くそだったよな」と嘲笑している。


 当然、そんな話を聞かされている詩織さんの表情は暗く、居づらそうにしている。とりあえず、あの四人から引き離した方がいいだろう。


 俺が詩織さんに声をかけようとした、その時――


「あの……あまり他の方を悪く言うのは良くないと……思います」


 詩織さんが小さな声で、四人にそう言った。


 四人は面食らった表情になり、ブラックハートが「シロネコちゃん、いきなりどうしたの?」と作り笑いする。


「わ、私も最初は下手でしたし、他の方も一生懸命やっていたと思うんです。だから、蔑ろにするような言い方は……してほしくないです」


 オドオドしながらも詩織さんはしっかり言い切る。


 けれど、ブラックハートは気分を害したのか厳しい物言いで反論する。


「あのね、シロネコちゃん。個人でやるゲームなら分かるよ? だけど、もんすたー☆はんてぃんぐはプレイヤー同士の協力プレイで、下手な奴は仲間の足を引っ張るわけ。下手なら下手でソロプレイで練習してから協力プレイに参加するべきだと思わない? そういう周りを考えないで自分さえ楽しめればいいと思っている奴らがうざいわけよ」


 通話組トリオも「そうそう」とブラックハートに同意するように頷く。


「確かに……練習は必要かもしれませんけど……。でも、だからって悪口を言うのは……」


 詩織さんが話している途中で、机を「バン!」と叩くブラックハート。机を叩いた音で周りの視線が詩織さん達に集まる。


「もういいよ。さっきから何? 酒は飲まないわ、俺らに口出しするわ。シロネコちゃん、ノリ悪くない?」


 棘のある乱暴な言い草に詩織さんが怖がっているのが分かる。よく見ると、手足が震えていて、今にも泣きそうな表情だ。


 しかし、詩織さんは声に出す。


「上手い人が教えるのも大事だと思うんです。煉獄騎士パラディンΩさんだって初心者だった私にアドバイスをしてくれて、マスターバハムートのクエストにも行ってくれたじゃないですか」


 詩織さんがそう言うと、ブラックハートは「マスターバハムート? シロネコちゃんが?」と首を傾げた。


「あ……あぁ! マスターバハムートのクエストに行ったこともあったね。あの時は二人がかりで大変だったよね。だからさ、ああいうモンスターと戦う時は足を引っ張るようなプレイヤーは……」


 ブラックハートの発言が引き金になったのだろう。


 詩織さんの瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。


「え? シロネコちゃん? 何泣いているの?」


 さっきので視線を集めていたこともあって、ブラックハートが少しだけ慌てる。


 ブラックハートは「二人がかりで」と言った。それが引き金になったんだ。


 確かに俺は詩織さんと一緒にマスターバハムートのクエストに行ったが、手は出さなかった。「一人で倒してみせるので、煉獄騎士パラディンΩさんは見ていてください」と詩織さんは一人でマスターバハムートに挑戦して、見事に倒した。


 それが俺と詩織さんにとって、もんすたー☆はんてぃんぐでの最高の思い出であった。


「……貴方は誰ですか?」


 泣きながら詩織さんは言った。


「は? 誰って煉獄騎士パラディンΩだけど? シロネコちゃんまで何言ってんの?」


 それでも偽者だとバレていることに気付いていないブラックハートは煉獄騎士パラディンΩだと言い張る。詩織さんの涙は止まらない。


 こうなってしまったのは全て俺のせいだ。俺が煉獄騎士パラディンΩだと打ち明けておけば、俺があんな嘘をつかなければ……。


「詩織さん、行こう」


 このまま見ていられなかった俺は五人の前に立ち、詩織さんの手を掴んだ。


「坂上さん……? どうして……?」


 ヒクヒク嗚咽を漏らす詩織さんの涙を拭こうとハンカチを出そうとしたが、自分の格好を見てポケットにハンカチがないことをに気付く。だから、代わりに指で詩織さんの涙を拭う。


「は? シロネコちゃんは俺らと喋っているんだけど!」


 俺が手を引き、詩織さんが立ち上がると、ブラックハートが怒鳴ってきた。これ以上、話をしても詩織さんが傷つくだけだ。無視して、この場から立ち去ろうとする。


 しかし、詩織さんは「待ってください」と言って立ち止まる。


「煉獄騎士パラディンΩさんの名前をもう二度と使わないでください」


 詩織さんは涙を浮かべながらもブラックハートをしっかり見て、そう言った。


「私にとって煉獄騎士パラディンΩさんは大事な人なんです。下手だった私を見捨てずにアドバイスをくれたり、助けてくれたり、いつも私の味方でした。きっとソロプレイだったらそこまで続かなかったと思うし、煉獄騎士パラディンΩさんがいなかったら、マスターバハムートを倒すこともできませんでした」


 そう話している間も詩織さんの瞳から涙が零れ落ちていたが、ブラックハートから目を逸らすことはなかった。


「私、現実でも何の取り柄がなくて何をやっても駄目だと思っていたんです。でも、マスターバハムートを倒した時、私でもやればできるんだと分かって嬉しかったんです。現実とゲームは違いますけど、本当に……本当に凄く嬉しかったんです」


 俺の手を握る詩織さんの手が強く握られ、俺も答えるように握り返す。


「煉獄騎士パラディンΩさんには感謝していますし、いつかお礼が言いたいと思っていました。だから貴方に会えた時は本当に嬉しかったんです。なのに、貴方は煉獄騎士パラディンΩさんじゃありませんでした」


 あれほど喜んでいたのに偽者だったんだ。どれだけショックだったのか想像できない。ちゃんと俺が言っていれば、と今更後悔しても遅い。


「嘘をつかれたことはいいです。ただ、もう二度と私の大事な人の名前を使わないでください。お願いします」


 そう言い切った詩織さんは今までにない強さを感じ取れた。


 そうだ、俺はこういう時折見せる詩織さんの強さに惚れたんだ。


 詩織さんに見惚れていると、ブラックハートが口を開く。


「あ……あぁ、そうだよ! 俺は煉獄騎士パラディンなんちゃらじゃねぇよ! そんな糞ダサい中二病ネームなわけねぇだろ!」


 逆ギレし始めるブラックハートは詩織さんに罵詈雑言を怒鳴り散らす。ビクッと詩織さんが怯えるのが、握っている手から伝わった。


「お礼が言いたい? ゲーム内での出来事でお礼を言われたって嬉しいわけねぇだろ! 大事な人とか重いんだよ! リアルとゲームの区別ぐらいつけろよ!」


 周りを気にせず、お構いなしの暴言を浴びせられた詩織さんは手を震わせて俯き、俺の手を握ったまま逃げるように去ろうとした。


 しかし、今度は俺が立ち止まる。


「……わけないだろ」


 俺は震えた声で呟く。怖いから震えているわけではない。


「坂上さん……?」


 詩織さんの震えた声が聞こえる。


「は? なんだよ。なんか文句あるのかよ!」


 ブラックハートの怒鳴り声が聞こえる。


 そこで俺は吹っ切れる。


「嬉しくないわけないだろ! 嬉しいに決まっている! 勝手に人の名前を名乗って! 勝手なこと言うんじゃねぇ!!!!!」


 二十八年間生きてきて、初めてこんな大声を出したし、自分でも違和感がある。だけど、もう周りを気にするつもりはないし、止まる気もない。


「ゲームだからって大事な人がいてもいいだろ! お前が決めるな!」


「なんだよ、お前!? さすらいのカレーだかシチューだかなんだか知らないけど、お前には関係ねえだろ!」


 俺は即答する


「関係あるに決まってんだろ!!!!!」


 こんな奴に……!


「だって俺が……」


 こんな奴に俺と詩織さんの思い出を踏みにじられてたまるか!


「俺が、煉獄騎士パラディンΩだッ!!!!!」


 世界が一瞬止まったような気がした。


 二十八のアラサーが中二病ネームを名乗ったのだから、マジで止まってもおかしくない。


 詩織さんからか細い声が聞こえて、ブラックハートが後ずさりする。


「糞ダサい中二病ネームで悪かったな! だがな、アンタのブラックハートも糞ダサいぞ! なんだよ、ブラックハートって! イカ墨パスタでも食ったのか!?」


「は、はぁ!? だ、ダサくねぇだろ……」


「いや、どっちもどっちでしょ」と近くで見ていたおでんさんが言う。


「いいか! もう二度と詩織さんの前に現れるなよ! この偽者野郎!」


 そう言い捨てて、詩織さんの手を引き、会場から出ていった。


 無我夢中で歩き続けて会話がないまま駅前にある大きなクリスマスツリーの前に辿り着き、今頃になって恥ずかしくなってくる。


 振り向いて詩織さんを見ると既に泣き止んでいて、顔を合わせた途端、お互いに視線を逸らす。


「さ、さっきはありがとうございました。助けていただいて……」


 詩織さんは少し恥ずかしそうに言ったが、今回の件は全て俺のせいだ。


「ごめんなさい!」


 頭を思いっきり下げて、大きな声で謝る。


「え?」と詩織さんの困惑する声が聞こえた後も頭を下げ続ける。


「今まで黙っていて本当にごめんなさい!」


 正直に煉獄騎士パラディンΩだと明かしていれば、こんなことにはならなかった。俺の余計なプライドのせいで、詩織さんを傷つけてしまった。


「その……坂上さんが煉獄騎士パラディンΩさんなんですよね?」


「……はい」


 ビンタの一つや二つを覚悟して目を瞑っていたが、しばらくして「顔を上げてください」と優しい声が聞こえた。


 顔を上げた先には、涙ぐむ詩織さんがいた。


「詩織さん……?」


 また俺は何かやってしまったのだろうか、と不安になる。


「なんとなくですけど、坂上さんが煉獄騎士パラディンΩさんなんじゃないかと思っていました……いえ、そうだったらいいなって思っていました」


「え?」


「坂上さんも煉獄騎士パラディンΩさんも私のこと見捨てずに助けてくれるし、どこか似ている雰囲気もありました。だから、ビックリしていますけど、そこまでビックリしていないというか……」


 そう言って詩織さんは俺の手を握り、「やっと会えましたね!」と微笑む。


 その笑みを見て俺は、安心したというか、肩の荷が下りるというか、不安が吹き飛んだというか、とにかく何かから解放されたような気分になって、つい泣いてしまった。


「ずっとシロネコさんに……詩織さんにお礼が言いたかったんです」


「私も煉獄騎士パラディンΩさんに……坂上さんにお礼が言いたかった」


 二人で微笑み合った後、お互いにお礼を言い合った。なんだか照れくさくてムズムズしたけど、でもこうしてお礼を言えたことが嬉しい。


「だけど、どうして煉獄騎士パラディンΩさんだということを隠していたんですか?」


 何気ない顔で詩織さんが訊いてきて、返事に困った。


「それは……詩織さんに嫌われたくなくて……」


「嫌われる?」


「……そのゲームの方で一流企業に働いているとか、嘘をついていたので……」


 詩織さんはクスクス笑って、「嫌いになるわけないじゃないですか」と俺の腕を優しく叩く。


「でも嘘をついていたのは事実ですし。それに詩織さんには失望されたくなくて……というか逆にかっこいいところを見せたくて……」


「そこまで気にしなくても、私は煉獄騎士パラディンΩさんに会ってお礼がしたかっただけなので」


「いえ、そういうんじゃなくて、自分のプライドというかなんというか……」


「プライド……ですか?」


 首を傾げる詩織さん。


 言うなら今しかない。もう本当の気持ちを隠したままなのは嫌だ。一度でいいから本当の気持ちを打ち明けるんだ。


「凄く迷惑かもしれませんし、気持ち悪いと思われるかもしれませんし、詩織さんが俺のことを友達として見ていることは自分でも分かっているんですけど……」


 一度、歯を食いしばってから声に出す。


「俺、詩織さんのことが好きです」


 言った。


 声に出した。


 詩織さんに告白した。


「かっこよくないし、背も高くないし、稼ぎも少ないし、色々と駄目だし、自分でも詩織さんと釣り合うとは全く思っていないんですけど、それでも詩織さんのことが好きで……やれることやってから告白したいって自分なりに頑張っていたんです。英検落ちちゃいましたけど……」


 詩織さんがどんな表情をしているのか怖くて確認できず、情けない告白を続けるが詩織さんの反応がない。勇気を振り絞ってチラッと確認する。


 すると、俯いている詩織さんが目に入ってきた。


「ご、ごめんなさい! 俺なんかが告白してごめんなさい! っていうか生まれてきてごめんなさい! キモかったですよね!? あぁ、どうしよう……」


 なんて過去最高にテンパる俺だったが、詩織さんの顔がほんのり赤いのに気付く。


「私なんかでいいんですか?」


「詩織さん……?」


「料理も洗濯も満足にできない私なんかでいいんですか? 私みたいな重い女で本当にいいんですか? 本当に本当に何も取り柄ないですよ?」


「え? いや、そんな卑屈にならないでくださいよ! えっと、詩織さんじゃなきゃ嫌です! というか俺こそ何の取り柄ないですし、本当に駄目な男ですよ!?」


 自分で言っていて思ったけど、なんだこの卑屈な言い合いは。


「坂上さんは駄目じゃないです! だからその坂上さんが良ければ……その宜しくお願いします」


 詩織さんが赤面でモジモジしながら言う。めっちゃ可愛い。


「全然良いです! というかこちらこそお願いします!」


「じゃ、じゃあ、これから恋人ということで……」


「そ、そうですね……」


 …………え? マジで?


 俺、完全にフラれるつもりだったんだけど。


「あ、あの坂上さん……」


「は、はいっ!?」


 詩織さんが俺の顔を見つめる。


 綺麗な黒髪、パッチリとした大きな目、潤った唇、あとでかい。後ろのクリスマスツリーのことではなく。


 俺と詩織さんが見つめ合う。


 え? 


 これってキスする流れ? 


 は、早いよ! 


 まだ心の準備ががががが!



「……さっきから気になっていたんですけど、なんでサンタクロースの格好しているんですか?」


「……あ、早くバイトに戻らないと」


 というわけで詩織さんと共にバイトへ戻ったのだが、どうやら他のバイト仲間が駆けつけてくれたようで、店長に「今日はもういいから帰れ!」と店から追い出されてしまった。


 その後、麻島さんにクリスマスケーキを押し売りされてしまい、大人しく家に帰って詩織さんと一緒にケーキを食べた。


 暖房器具のない北極みたいな部屋だったから詩織さんと体を寄せ合って寒さを凌いでいたら、自然とそういう流れになって――


 ――生まれて初めてキスをした。


 (本日二度目の)過去最高にテンパりつつも、無事にクリスマスイブを終えた。

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