第18話 励まし合い

 九月六日。夜。


「おいしくにゃ~れ! おいしくにゃ~れ! にゃにゃにゃにゃ~ん!」


 メイド姿の詩織さんがオムライスに言い聞かせるようにおまじないをする。前回来た時より歯切れが良くなっているけど、自暴自棄になりながら勢いでおまじないを唱えているようにも見えるし、顔を赤らめて可愛い。永遠に眺めていたい。


「メイドさんのお仕事も慣れてきたようですね」


 俺がそう言うと、詩織さんは「まだまだですけどね……」とモジモジしながら答える。


「いやいや、これもちゃんと猫に見えますし、メイドさんって感じしますよ」


「あ、ありがとうございます! たくさん練習しましたっ!」


 オムライスの上にケチャップで描かれた「猫の絵」もちゃんと猫に見える。前回来た時のハートに見えないハートと比べれば凄い進歩だ。だからこそ、それを崩して食べるのが勿体なく思う。


「なんだか食べるのが勿体ないですね」


「え~、そんなこと言わずに食べてくださいよ」


 友達のように笑いながら話し合う俺達はメイドカフェ内でも少し浮いているかもしれない。二ヵ月前の俺からしたら考えられないことで、今でも不思議に感じる。酔っぱらった俺が掲示板に書き込んでいなければ、畳の目を数えて過ごす休日が続いていたに違いない。


「詩織さんがおまじないをかけてくれたおかげで美味しいです」


 実際に美味しいんだけど、ちょっと戯けながら感想を述べると、詩織さんも冗談交じりな口調で「おまじないの方も練習しておいて良かったです」と微笑む。そして、俺の耳元で囁くような小声で付け足す。


「今日は来てもらってありがとうございます」


 俺にしか聞こえないほど小さな声。ドキッとして思わず気持ち悪いニヤつきをしてしまいそうになり、一度顔を引き締めた。


 今日は接客の練習相手としてメイドカフェに来た。数日前に「お仕事の方はどうですか?」的なメールをやり取りしているうちに流れでこういう展開になった。普段とそこまで変わらない会話しかしていないし、練習相手になっているのかは分からないけど、メイド姿の詩織さんは可愛いからもうなんでもいいや。


「いえ、これなら普通にファンになりますし、頼まれなくても毎日通いますよ」


 接客が苦手でも、猫の絵を書けなくても、元からファンだし、毎日通いたい。


「えー揶揄わないでくださいよ」


 笑みを含みながら頬を膨らませて照れ隠しする詩織さん。天使か。


「揶揄ってないですよ。毎日おまじないをかけてもらいたいです」


 俺も笑いながら冗談で返す。おまじないをかけてもらいたいのは本音だけど。


「もう坂上さんったら、おまじないならお店じゃなくても言ってもらえればするのに」


「……してくれるんですか?」


「え? あ……ひ、人が多い店とかでは恥ずかしいですけどねっ」


 何かを誤魔化すように笑う詩織さん。


 え、いつでもしてくれるの? この間のカレーの時も頼んだらしてくれたの? 元から美味しかったカレーにおまじないがかかったらどうなっちゃうの?


「そ、それじゃ、今度また食事する機会があった時にお願いしようかな……」


 なんだか恥ずかしくて取り乱しながら言うと、詩織さんも「や、休みの日はいつも空いていますので」と若干早口で言った。


 その後も店を出るまで詩織さんと会話を続けたが、お互い出会った時よりも打ち解けて話せるようになった気がする。最初の頃は緊張して精神をすり減らしながら会話のキャッチボールをしていたけど、今はちょっとした冗談を交えたり、敬語とタメの中間的な口調になったりで気が楽だし、純粋に会話していて楽しい。特段面白いことを言えているわけではないが、詩織さんが笑ってくれれば俺も嬉しくなる。


 そういえば、もんすたー☆はんてぃんぐでもチャットやメッセージでよく冗談を言って笑わせようとしていたっけな。本当にくだらないことだったけど、シロネコさんと名乗っていた詩織さんもよく「(笑)」とか「あはは」と文章で笑ってくれていて、クエストよりも会話していた方が楽しいと思っていた。


 目の前にいるのは、あのシロネコさんなんだよな。俺の糞みたいな人生の中で、楽しいと思えた僅かな時間にいつもいたのが詩織さんだった。連絡が取れなくなったあの時みたいな思いをもうしたくない。


 今度は――きっと大丈夫。


 今の俺なら――変われるはずだ。



 それからもバイトに行き、空いた時間に勉強、休みの日に詩織さんとお出かけする日々を繰り返し、二十八年間生きてきた俺の人生の中で最も充実した毎日を過ごした。前みたいに家とコンビニを行き来する生活ではない。まだ不安ではあるけど、この調子なら英検二級も取れる。順調、何も問題はない。地道に頑張っていけば、まだやり直せるはずだ。



 九月二十六日。夜。


 英検の一次試験まで残り一週間。これから試験日までラストスパートをかけるつもりだ。だから、詩織さんからの誘いも歯を食いしばって我慢し、断腸の思いで断った……のだが。


 ピンポーン、とチャイムが鳴り、部屋のドアを開けると、詩織さんが立っていた。


「詩織さん? どうしたんですか?」


「やっぱりお金だけでもお返ししたくて……来ちゃいました」


 来ちゃいました、と照れ笑いする詩織さんを見て一瞬、「俺達付き合っているんだよな?」と脳が信じ込んでしまった。落ち着け、恋人っぽいシチュエーションだが俺と詩織さんは付き合っていない。今まで「来ちゃいました」と言って来たのはセールスとガス会社のお兄さんと怪しげな勧誘だけだ。


 詩織さんからお金の入った封筒を受け取り、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「試験が終わってからでも大丈夫だったんですが……わざわざ来てもらってすみません」


「いえ、こちらこそ勉強の邪魔をしてごめんなさい。あ、あと、もし良ければ、これも……」


 詩織さんから手渡されたコンビニの袋には栄養ドリンクや眠気覚ましドリンク、チョコレートなどが入っていた。


「もっと気の利いたものを渡したかったのですが……」


「いやいや、助かります。ありがとうございます」


 人から差し入れを貰うなんて何年ぶりだろうか。というか今まで貰ったことあったっけ?


「せっかくですし、上がっていってください」


 なんて口が滑って言ってしまったが、部屋は散らかっているし、何もおもてなしを用意していない。そりゃそうだ。部屋に誰かを呼ぶなんて普通は考えないし、おもてなしを用意しておくなんて「宝くじで一等当たったらどうしよう」と考えるのと同じくらい撮らぬ狸の皮算用だもん。


「でも、勉強のお邪魔になっちゃいますし……」


 遠慮する詩織さんが言葉通りに遠慮しているのか、それとも早く帰りたい的なことをオブラートに包んで言ったのかは分からない。そもそも恋人じゃない女性を部屋に誘うって結構やらかしているんじゃないか、俺。


 だからと言って、「そうですね。では、また」なんて冷たいことを言えるわけがなく、「今、休憩していたところなので、詩織さんの……えーっと時間とか大丈夫そうなら……」と言葉を詰まらせながら返事をしてしまう。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 靴を脱いで部屋に上がる詩織さんの表情は、俺の気のせいじゃなければどこか楽しそうで、少なくとも「早く帰りたかったのに……」とか「男性の部屋に上がるのは~」的なことではないようで安心した。


 とは言え、おもてなしの「お」もない散らかった部屋では好感度が下がってしまうだろう。完全にやらかした。差し入れを貰っておいて、そのまま帰らすことに変な罪悪感を感じてしまい、「上がってください」なんて口を滑らせてしまったのは完全にミスだ。こんな部屋に詩織さんを上げるなんて……。


「すみません、散らかっていて……というか前回来た時と変わってなくて……」


「いえ、私もバイトを始めてからあまり片付けをできていませんので仕方ないですよー」


 と笑顔で返してくれる詩織さんはやはり天使か。


「面白い本ですね。いつもこれで勉強しているんですか?」


 詩織さんはそう言ってテーブルに置いてあった「必勝! ミジンコでも合格できる英検二級」を手に取った。ちなみにテーブルはちゃぶ台返しされる為に生まれてきたような庶民的な丸いテーブルだ。


「はい。タイトルはアレですけど、試し読みした中では一番分かりやすかったので」


 デフォルメされたミジンコのキャラクターと一緒に学ぶ本で、俺みたいな基礎すら怪しい人間でも分かりやすく解説してくれていて、問題集のページもある。


「ミジンコのキャラクターが可愛いですね」


 顔を綻ばせながらページをペラペラ捲る詩織さん。


「試験は一週間後でしたよね?」


「十月三日なので、ちょうど一週間後ですね」


「じゃあ、一週間後の今頃にはもう結果が出ているんですか?」


「いえ、一週間後に行われるのは一次試験で、それに合格して十一月に行われる二次試験に合格しないと二級を取れないんです」


 英検二級は一次試験は筆記とリスニング、二次試験は面接で両方に合格しないといけない。


「二次試験もあるなんて大変なんですね……」


「一次試験の結果も試験を受けてから二週間前後に発表されるので、当分はドキドキして眠れないかもしれません」


 笑いながら言ったが、来週から不安な日々が始まると思うと気が滅入る。


「坂上さんは凄いですね」


「凄い?」


 詩織さんがボソッと呟くように言って、つい訊き返してしまった。


「こうやって挑戦できるのって凄いなーって思ったんです」


「そんなことないですよ。それに詩織さんだってバイトを始めたり、勇気があるじゃないですか」


 しかし、詩織さんは首を横に振る。


「私、臆病ですから一人だと何もできなくて……。バイトを始めたのも坂上さんが相談に乗ってくれたおかげですし」


「いやいや、俺はただ相談に乗っただけですし、メイドカフェで働くことを決めたのは詩織さんですよ」


 それに……。


「それに英検を取ろうとしたのは詩織さんのおかげなんです。俺も一人じゃ挑戦できませんでしたし、今も合格できるかどうか不安でプレッシャーに押し潰されそうです。だから……詩織さんには感謝していますし、もっと自分に自信を持ってください」


 って言っていて超恥ずかしいし、なんで弱音吐いているんだ、俺。


「……それでも坂上さんは自分を信じて頑張っているじゃないですか。私は……なんというか自分を信じられなくて……」


「俺だって自分を信じられませんよ。今まで失敗続きの人生でしたから……」


 本当に失敗続きの人生だった。


「掲示板にも書きましたけど……子供の頃イジメられていました。あの頃は俺さえ我慢していれば、いつかきっと仲直りして昔のように戻れると思っていたんですけど、結局悪化するだけで何も改善しませんでした。その後も自分なりに頑張って学校に通ったのに友達を作れず、ひきこもりになりました」


 一生懸命考えて選択しても駄目な方にばかり転がっていく人生。


「だから英検も無駄な努力で終わるんじゃないかって勉強している間もどうしても考えてしまうんです。もし、これで駄目だったら立ち直れないんじゃないかって凄く怖いんです」


 でも……。


「でも、詩織さんに、えっと……英検を取ったところを見てもらいたくて頑張れるんです。だから、その……詩織さんには自信を持ってほしい……的な?」


 ……途中から自分が何を伝えたいのか分からなくなって、めちゃくちゃになってしまった。詩織さんを勇気づけたいのに言葉がまとまらない。


「すみません。うまくまとまらなくなってしまいましたが、とにかく詩織さんも頑張っていますし、何かあれば俺も協力するので、自分を卑下しないでください」


 俺の言葉に詩織さんは少し笑ってくれた。


「理解できたかは分かりませんけど、勇気づけられました。ありがとうございます」


 うん、アレで理解する方が難しいよね。でも勇気づけられたのなら良かった。


「でも、なんで英検を取ろうとしたんですか? 私のおかげと言っていましたけど」


 きょとんとした顔で訊いてくる詩織さん。


「え? えぇっと……それは……ですね……。そう、詩織さんも仕事頑張っているから俺も頑張らないとなーって思ったんです! 公園でも応援してもらいましたし? だから俺も詩織さんに勇気貰えた的な……そういうことを言いたかった的な……感じです。はい」


 しどろもどろで答えると、詩織さんはクスっと笑う仕草を見せた。


 そして、詩織さんが両手で俺の手を握り、俺は「うひゃぁ」と情けない声を出しそうになったがなんとか抑えた。


「試験の前にこう言うのは良くないかもですけど、もし駄目だったとしてもまた挑戦すればいいと思います。なので、来週はプレッシャーに負けないように頑張ってください! 私はいつでも坂上さんを応援しています!」


 俺の手を優しく握ってくれる詩織さんの言葉はとても温かくて、本当に嬉しくて、重くのしかかっていたプレッシャーがどこかへ消え去った。


「あ、ありがとうございます! 頑張ります! というか合格します!」


 俺が勢いよく返事をすると、詩織さんは満面の笑みを返してくれた。


 それからしばらく普段通りの会話をしてから詩織さんは帰っていった。


 詩織さんの話によると、来月下旬にもんすたー☆はんてぃんぐのオフ会が開かれるようだ。ファン主催のオフ会で、もんすたー☆はんてぃんぐ自体はサービスを終了してしまったから、単純に昔やっていたプレイヤー同士が集まって雑談するオフ会のようだ。


 詩織さんは「もしかしたら煉獄騎士パラディンΩさんも来るかもしれません」と行きたがっているが、一人だと行きづらいとのこと。だから俺は「一次試験を合格したら一緒にオフ会に参加しましょう」と約束をした。


 別に不合格でも参加するつもりだが、こっちの方が負けられない戦い感があってやる気が出る。詩織さんに応援してもらったんだ。何がなんで合格してみせるさ。


 それから一週間――俺は寝る間も惜しんで勉強をし続けた。



 そして、ついに――



 ――試験日当日の朝を迎えた。

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