第17話 インド最高

 八月二十二日。夜。


 夜空に花火が打ち上がった。


「ヒュ~」と音を鳴らしながら上空へ上がっていく花火を目で追う。顔を上げたところで炸裂し、大きな花火が咲いた。周りからは歓声が上がり、数秒遅れて炸裂音が響いた。鼓膜が破れるんじゃないかと不安になるくらい大きな音と振動。


 隣にいる詩織さんの体が僅かにビクッと動いたのが分かった。


「凄い音ですね」


 耳に手を当てながら言うと、詩織さんはこくこくと頷いた。


 この間、詩織さんと行った公園の原っぱから花火を見ているのだが、すぐ近くで打ち上げているおかげで音が凄い。映画館とはまた違った迫力がある。


 楽しみにしていた詩織さんとの花火デートはあっという間に終わりを迎えようとしていた。


 ちょうど台風が接近していたこともあって中止にならないかヒヤヒヤしていたが前日に通過していき、花火大会は無事に開催された。昼過ぎに詩織さんと待ち合わせをして、花火の時間まで屋台を回り、夜になって花火を見る。他の人から見たらなんの変哲もない普通の花火デートだと思われるだろうし、学生時代に経験している人も多いんだろうけど、俺はずっと昔から夢見ていた。


 わたあめ、りんご飴、焼きそば、たこ焼き、かき氷などを買い食いしながら、女性と二人でぶらぶら歩く。ひきこもりだった俺からすれば、考えられないことだ。それも相手がシロネコさんとなれば、トラックに轢かれて異世界転生するのと同じくらいのフィクションだ。ひきこもり時代の俺に今日の出来事を話したら、「はぁ? お前何言ってんの?」な感じで全く信じてもらえないだろう。というか「数年後の俺は寂しさから幻覚まで見始めるようになるのか」と絶望するに違いない。


「私、あの花火好きです!」


 詩織さんが楽しげに指さしながら笑う。


「え? あ、カラフルで綺麗ですよね」


 もう花火デートが終わってしまうのかと思うと、花火に集中できない。花火デートなのに花火に集中できないって本末転倒的な感じではあるけど、詩織さんと一緒にいられる時間が終わってしまうのは寂しい。


 詩織さんと一緒にいる時間は楽しい。詩織さんと出会ってから色々と変わった。バイトはミスしても凹まなくなったし、英検の勉強だって頑張れている。


 でも、もし詩織さんと会えなくなってしまったら、俺はどうなるのだろうか。また前みたいに戻ってしまうんじゃないだろうか。このままでいいんじゃないか。煉獄騎士パラディンΩだと打ち明けて失望されるぐらいなら……。


 いやいや、ネガティブになるな、俺。失望されない為に頑張っているんだ。これから英検二級、準一級、一級と取っていき、他の資格や免許も取って、転職。可能な限り自分を磨いて、いつか必ず詩織さんに全て打ち明けるんだ。告白……は流石に無理だろうけど、詩織さんとはお金の貸し借りだけの関係ではなく、友達でいられるようになりたい。


 大きな花火がド派手に連射され、フィナーレを迎える。


 横にいる詩織さんを横目でチラッと見て、自分の手を強く握る。


 頑張らないと。



 八月二十六日。夜。


 バイトの休憩室で英検の勉強をする。


 店長には、転職しようとしていることが既にバレているが、「あ、そう。頑張れよ」と雑な言い方で応援されてしまった。てっきり引き止められると思ったが、どうやらそんなことはないらしい。そこまで忙しくない店だし、ミスばかりしてきたが、バイトしていた期間だけは誰にも負けないと自負していたから、ちょっと寂しい。


「坂上っち、ここ間違っている」


 麻島さんがいる時は、彼女に見てもらっている。最初は「私も英語駄目だからなー」と言っていた麻島さんだったが、高校卒業レベルと言われている英検二級くらいの問題は分かるようで、一応高卒である俺の肩身が狭い。


 とは言っても、店長も麻島さんも応援してくれているのは心強い。人に応援してもらうことなんて滅多にないから、それが嬉しくて、より頑張れる。


 十月の一次試験まで残り一ヵ月ちょい。やれることは全てやってやる。



 八月三十一日。昼。


「すみません。少しずつになってしまって……」


「気にしないでください。本当にゆっくりで大丈夫ですから」


 この日はお金を返してもらう為に詩織さんと渋谷で会うことに。正直、転職について調べたり、英検の勉強をしたりで忙しかったせいか、お金を貸していたことを忘れかけていた。ちょっと前までは100万円を貯めることを生き甲斐にしていたのに、その100万円を忘れるほど今の生活にのめり込んでいる。なんだかまともな人生を送っているような気がする。


「え、えっと、この後って何か予定ありますか?」


 挙動不審になりながら訊くと、詩織さんは首を傾げた。


「その、せっかくなので、ご迷惑でなければ、どこかご飯でも食べに行きませんか……的な?」


 何故、疑問系になる。俺。


 相変わらず、誘う時は緊張してしまい、苦手である。


「ちょうど食べてから帰るつもりでしたので、是非」


 にっこり微笑む詩織さんの表情を見て、ホッと安心した。


「気になっているカレー屋さんが近くにあるんですけど、詩織さんはカレー大丈夫ですか?」


「全然大丈夫ですし、カレー大好きですよ」


 良かった。麻島さんのように「カレー嫌い」と言われたらどうしようかと少し不安だった。この先、麻島さん以外にカレーが嫌いな人と出会うことはないと思うけど。


「それじゃ、そこへ行ってみましょう」


 駅から徒歩十分前後のところにあるカレー屋さんの場所は下調べで確認済みだから、迷うことはなかった。店の入り口付近には「ここはカレー屋です」と一目で分かるようなソースポット(本格的な店で出てくる魔法のランプみたいな形をしたカレーの入れ物)が描かれた看板が出ている。


 俺と詩織さんが注文したのは「カレー食べ比べプレート」というメニュー。大きな丸いプレートの上にターメリックライスとカレーが入った小さな器が四つ乗っている。カレーは十種類以上ある中から四種類選んで食べ比べができるというものだ。


 下調べしたと言っても場所だけだから、味に関しては未知数。ネットでの評価は良かったから不味いということはないだろうけど、人によって好みが違うし、ましてやカレーだと辛さも好みが出てくる。とは言え、大半の人間はカレーが好きだろうし、四種類も頼めば好みのカレーに当たるだろう。だから、こういう食べ比べを頼むのが安牌なはずだ。


 値段は1300円で俺の二日分の食費代を超えているが、ライスのおかわりが無料で、ナンやサラダも付いてくることを考えれば値段相応のボリュームがある。


 俺はチキンカレー、キーマカレー、野菜カレー、ラムカレーを頼み、詩織さんはバターチキンカレー、ポークカレー、野菜カレー、豆カレーを頼んだ。


「うん! これ、美味しいです!」


 目を丸くして驚くようなリアクションをする詩織さん。


 俺は目を瞑りながら頷き、味わって食べる。


 どのカレーも美味しい。仮にレトルトカレーみたいなのが出てきたとしても気まずくならないように「美味しい」と言うつもりだったが、本当に美味しい。


「本格的なカレーというか専門店的なところには今まで入ったことなかったんですけど、普段食べるカレーとは全然違いますね」


「私も初めてかもしれません。カレーのお店はよく見かけますけど、入る機会はありませんでしたね」


「カレーを食べるだけならファミレスとかでも食べれますからね。でも、これだけ違うなら他のカレーも食べ比べてみたいかも」


 メニュー表には俺と詩織さんが頼まなかったカレーも沢山あって、トッピングのところにはヨーグルトなんかもある。……カレーにヨーグルトって合うの?


「詩織さんの頼んだ豆カレーも美味しそうですね」


 メニュー表を見ながら言うと、詩織さんが「一口食べてみます?」と言って豆カレーの器を手に取る。


 え? 食べてみます?


「いや、それは悪いかと」


「遠慮しないでください。……あ、私が口にしたのが嫌でしたらごめんなさい」


「そういうわけでは……じゃあ、ライスの上にちょっとだけかけてもらえますか」


 そう答えると、詩織さんは自分のスプーンでカレーをすくい、「このくらいでいいですか?」と訊いてからライスの上にかけた。


 若干……というよりかなり意識しながら食べる。前にもこれに近いことがあったぞ。アレだ、遊園地の時に食べさせてもらった時に限りなく近い。


「豆カレーどうですか?」


「美味しいです。凄く」


 美味しいんだけど、思考が落ち着かなくてしっかり味わえなかった。


「俺の頼んだ中で食べたいのあります?」


 そう訊くと、詩織さんは俺のプレートを見ながら「ラムカレー食べてみたいです」と答えた。詩織さんと同じようにラムカレーをすくい、ライスの上にかけた。


「あ、ラムカレー美味しいですね!」


「ですよね!」


 友達と食べ比べなんてクレープ屋にいる女子高生限定かと思っていたし、俺には一生縁のないイベントだと思っていたけど、まさかカレーを食べ比べすることになるとは……インド最高。


 しばらく会話した後、店を出て食後の運動(?)ということでゲームセンターでエアホッケーで遊んでから解散。


 詩織さんと出会ってから二ヵ月。最近は毎日が楽しい。詩織さんに会う日も、合えない日も。学生時代に楽しめなかった分を取り戻すかのように毎日を過ごしている。もう二ヵ月前の生活には戻りたくない。


 英検の一次試験まで残り一ヵ月とちょっと。


 必ず合格して――自分を変えるんだ。

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