第16話 頑張るから
八月十八日。昼。
この日は詩織さんを誘って、都内にある大きな国営公園へ。三日三晩考えた末に祈りながら送ったメールだったが、送ってから数分後にあっさりOKの返事を貰えて拍子抜けした。
待ち合わせ場所である最寄り駅で詩織さんと合流して、駅から徒歩数分で公園の入口に到着。遠慮する詩織さんの分もチケットを購入し、入場ゲートを潜った。
小さい頃に何度か来たことがある公園で、園内の地図を見ると記憶に残っているところもチラホラある。めっちゃ懐かしい。
いつもは白を基調とする服装なことが多い詩織さんは珍しくネイビーカラーのワンピースを着ていて、頭に被っている麦わら帽子も以前被っていたのとは少し違う気がする。普段よりも大人っぽい印象で新鮮さがある。
これは服装に触れた方がいいのではないか。今日はちゃんと言いたいことは言っておこうと決めたのだから言うべきだろう。……いや、でも恋人でもない奴から服装を褒められて嬉しいのだろうか。気持ち悪いとか思われないだろうか。
いやいや、弱気になってどうする。ちゃんと言うべきだ。
「なんだか今日の服装はとても大人っぽくていいですね」
……今日の服装は、って誤解招きそうな言い方しちゃったし、いいですねって。もっと他に思いつかないのか、俺。
「あ、ありがとうございます」
しかし、詩織さんは顔を赤らめて照れた反応を見せる。
「これ、今日の為に買ったので褒めてもらえて嬉しいです」
照れながら控えめな笑みを見せる詩織さんが可愛くて、俺も嬉しい。これが尊いってやつなのか。これがエモいって感情なのか。どうにかなりそうだ。
……ん? 今日の為に買った?
いやいや、変な勘違いするな、俺。特に深い意味はないはずだ。
それでも変に照れてしまい、「凄く似合っていますよ」と言うと、お互い赤面でモジモジして会話が途切れてしまった。でも気まずくはなかった。
都内とは思えないほど緑の自然に囲まれた園内は、平日なこともあって程よく空いていた。木漏れ日が降り注ぐ並木道は猛暑日であることを忘れさせてくれるほど快適で、横に詩織さんがいるとなれば歩いているだけで幸せな気持ちになれる。
しばらく歩いていると、視界に大きな池が広がっていく。近くにあった売店で飲み物を買い、水分補給しながら池の周りを歩き続ける。
「ボートも借りられるんですね」
ペットボトルを片手に詩織さんが言った。
「すぐそこで借りられるみたいですね。昔から乗りたかったんですけど、なかなか乗る機会がなくて」
乗る機会がないというのは、友達がいなくて一人じゃ乗れなかったという意味だ。
「でしたら、せっかくなので乗ってみませんか?」
「え? いいんですか?」
訊き返すと、詩織さんは首を傾げる。
俺みたいな男と一緒に乗ってもらって大丈夫なのかって意味で訊いたんだけど、どうやら気にしていない様子。自分から誘っておいてなんだけど、こんな非モテ男と遊んでくれるなんて女神か。
ペダルで漕ぐタイプのスワンボートを借りて、二人で乗り込む。
かなり昔に一人で乗ろうと悩んだ時は「三十分七百円ってコスパ的にどうなの? 一時間半で二千百円だよ? 映画の方が安くない?」と計算したが、二人で乗るなら三十分七百円は安いなって気付かされた。やはりスワンボートはぼっちの乗り物ではないようだ。
密室の空間とは少し違うが、狭い空間に二人でいるのは結構ドキドキする。
「ボートに乗るの何年ぶりだろう」
詩織さんが楽しげにペダルを漕ぎながら言う。
「あ、自分が漕ぐので、詩織さんは漕がなくて平気ですよ」
「大丈夫ですよ。それに漕いでいた方が楽しいですし」
子供っぽいテンションの詩織さんが可愛くて、ついペダルを漕ぐ力を強めてしまいそうになったが抑えた。左右のペダルは連動しているから俺が早く漕ぐと詩織さんも合わせなきゃいけなくなる。詩織さんのペースに合わせながらペダルを漕ぎ続けた。
池の真ん中辺りで足を止めて、周りの景色を眺めながら休憩。こういう時こそ何か話しかけなければ。
「いやぁ、今日はいい天気ですね」
……テンプレすぎるだろ、俺。
「風があって気持ちいいですよね。ここ何年も外でのんびりする機会がなかったので、なんだか懐かしい感じがします」
ふわっと風が吹いて、詩織さんの前髪が揺れる。
「外でのんびりする機会ってなかなかありませんよね。俺も最近忙しかったので、久しぶりに落ち着けている気がします」
「お仕事忙しいんですか?」
「あ、いえ、バイトの方は……いつも忙しいんですけど、そうじゃなくて……」
疑問を投げかけるような顔でこちらを見る詩織さん。
「今、英検の勉強をしているんです」
詩織さんには内緒にしておくつもりだったけど、つい言ってしまった。別に内緒にしておく必要もなかったんだけども。
「英検目指しているんですか! 凄いですね!」
「いえ、目指していると言っても二級ですし、合格するにはまだまだで凄くは……」
「そんなことないですよ。頑張っているだけで私から見れば凄いことです」
元気づけてくれるように褒めてくれる詩織さんに、俺は小さな声で「頑張ります」と答えた。今日照れすぎだろ、俺。
「頑張ってください! 応援しています!」
この間の麻島さんとの買い物デートの時もだけど、褒められたり、応援されることに慣れてない俺はどう返事すればいいのか分からない。けれど、出来る限り期待に応えたい。その為には頑張るしかない。
「ありがとうございます! 詩織さんもお仕事頑張ってください!」
「はい! 頑張りますよー!」
池のど真ん中という目立つような、そうでもないような場所で笑い合う俺達は他の人から見たらどう映っているのだろうか。普段なら人目を気にして、そんなことを考えてしまうのだが、今は詩織さんとの会話に集中していたい。
いつの間にか二十五分以上経過していて時間ギリギリでボートを返した。正確に言えば数分オーバーしてしまったのだが、延長料金を取られることはなかった。
園内にあるカフェで昼食をとりながら、次に向かう場所を決める。大きな公園なだけあって園内にはいろんな施設や設備がある。一日だけで全て回るのは難しく、お互いに行きたいところを提案していって順番に回っていくことに。
というか俺と詩織さんの行きたいところがほとんど被っていて、どれも子供向けエリアだった。
最初に向かったのは、小さい頃に遊んだ記憶がある巨大なトランポリンだったのだが……。
『中学生以下専用です』
年齢制限がかかっていた。
平日でもちびっ子が沢山いて、飛び跳ねている。多分、学校の遠足で来ているのだろう。確かにあの中で大人が飛び跳ねていたら危険だし、何より恥ずかしい。
「残念でしたね……」
詩織さんも残念そうな顔を浮かべていて、ちょっと心が痛んだ。でも詩織さんの服装だと飛びづらそうだし、飛んだら飛んだで子供には刺激が強いというかなんていうか……と詩織さんの胸を見ながら思った。そして、すぐに視線を逸らした。何ガン見しているんだよ、俺。
「アレはどうです?」
詩織さんはすぐ近くにあった巨大なハンモックを指差した。
ハンモック……というかネット遊具と呼ぶべきだろうか。カラフルなネットが張り巡らされていてその上を歩くというもの。高いところだと結構な高さがあり、お構いなしに跳ねているちびっ子もいれば、怖がってネットにしがみついているちびっ子もいる。
年齢制限はないみたいだけど、子供達に混ざって遊ぶのはどうなのか。
なんて考えているうちに詩織さんがハンモックの上に乗っかる。
「え、大丈夫なんですか?」
詩織さんはこちらを振り向いて、首を傾げる。
「いや……その服装的に大丈夫なのかなって」
「あぁ、これくらい大丈夫ですよ。きっと!」
そこらへんにいるちびっ子と変わらないような無邪気な笑顔で返事をする詩織さん。というわけで俺もハンモックに乗り、詩織さんの後ろをついていく。
ところが、なかなか詩織さんに追いつけない。ネットの上を歩くだけあって、かなり揺れる。怖がってしがみついていたちびっ子の気持ちが今になってよく分かる。ネットの網目から下を覗くと思っていたよりも高いし、高い位置のネットに上るまで傾斜がきつい。手を離したら転がって落ちそうだ。
スムーズに進んでいく詩織さんと、恐る恐る進む俺。差はどんどん広がっていく。男としてこれは情けない。あと周りにいるちびっ子、頼むから揺らさないで!
結局、詩織さんに追いつけないままヘトヘトな状態で頂上の一番端に辿り着いた。俺が辿り着くまで詩織さんがずっと見ていたからめっちゃ恥ずかしかった。
「坂上さん、大丈夫ですか?」
「え、えぇ、大丈夫です。……詩織さん、めっちゃ早いですね」
「そうですか?」と何食わぬ顔の詩織さん。
その場で休憩するが、やはり高くて落ち着かない。もしハンモックが切れたら……なんて妄想は誰でもすると思う。
「にしてもこれ、思ったより高いですね。下りる時も大変そう」
苦笑いしながら言うと、詩織さんは「大丈夫ですよ。そんなに高くは……」と言いかけて言葉が止まった。
「……どうしましょ」
詩織さんの顔が青ざめていく。
「どうしたんですか?」
「私……高いところ苦手なんです……」
い、今言うのそれ……。
もしかしたら、下を一切見ずに上っていたのかもしれない。
「観覧車とか平気だったんじゃ……」
「いえ、観覧車は大丈夫なんですけど、昔高い木に登って下りれなくなったことがあって……」
確かに俺も観覧車は平気だけど、ここは少し怖い。命綱とかないわけだし。
さっきまで余裕の表情だった詩織さんは生まれたての小鹿のように足をぷるぷる震わせている。これ、あかん展開なのでは。
「大丈夫ですか? とりあえず、端を歩かずにネットの真ん中をゆっくり歩きながら戻りましょう」
慎重にそーっと進む俺と詩織さん。正直、俺も怖い。
しかし、行きとは真逆の姿を見せる詩織さんはついに固まってしまい、俺は手を差し伸べた。
その時、手を掴んだ詩織さんが倒れこんでしまい、ネットの上で足場が不安定だった俺も支えきれずに一緒に倒れてしまう。
詩織さんの下敷きになる形で倒れ込んだ俺は慌てた。詩織さんが俺の上に乗っているんだもん。そりゃ慌てるよ、普通。っていうか慌てなかったら俺じゃない。別人だ。
「ご、ごめんなさい」
詩織さんも慌てている様子で、すぐに俺の上から退こうと体を起こそうとする。ところが不安定なネットの上で慌てて動いたことにより、再びバランスを崩した。
顔の上に詩織さんが降ってきた。
それもめちゃくちゃ柔らかい。
思考が停止するような甘い匂いがした。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
倒れ込んだ体を少しだけ上げて、詩織さんが心配そうな声が飛んでくる。
「だ、だいじょうぶでふ……」
全然、大丈夫ではない。
まだ詩織さんの胸で視界が遮られている状態だから。
それからなんとか体勢を直して、ネットにしがみつきながら下りていき、再び地面に足をつけた。いろんな意味でドキドキしたし、詩織さんは顔を赤らめて何度も謝ってくる。いや、こちらも謝りたい。いろんな意味で。
その後も長い滑り台を滑ったり、ピラミッドの形をした建物に登ったり、駄菓子屋で色々買ったり、霧が発生する森で転んだりして満喫した後、売店でレジャーシート、バドミントン、フリスビーを購入して原っぱへ向かった。
広大な緑の芝生が視界に広がっている。他の人の邪魔にならないところにレジャーシートを敷いて荷物を置く。
「坂上さん、やりましょう!」
バドミントンのラケットを手に持った詩織さんはやる気満々。聞いた話によれば小学生時代はバドミントンクラブに所属していたとか。それに対して俺はバドミントンもほとんどやったことがないし、スポーツとは無縁の人生を送ってきた。相手になるか不安である。
「間に合えっ!」
落ちてきたシャトルに手を伸ばして、ラケットで叩く。
「坂上さん、上手いじゃないですか!」
空中に上がったシャトルを追いながら詩織さんが笑う。
心配ではあったが実際に打ち始めたら、なんだかんだでラリーが続く。割と自分上手いんじゃね? と調子に乗るほど続く。詩織さんが合わせてくれているだけの気もするが。ラリーが途切れるのは風の影響を強く受けた時くらいで、ラリーが長く続くと結構楽しい。バドミントンってこんな楽しかったのか。アラサーになって初めて知った。
フリスビーの投げ合いも人がやっているのを見ていた時は何が楽しいのか分からなかったが、実際にやってみると楽しい。詩織さんの方へ飛んでいくように計算という名の勘で飛ばし、詩織さんが投げたのをキャッチする。たまにミスするとお互いに笑い合って「すみません」と軽く謝り、また投げる。単純だけど、それが楽しい。
休憩を挟んで駄菓子屋で買ったお菓子を食べて、些細なことを話し合う。ただそれだけの時間なのにとても楽しくて、幸せだ。もしかしたら、今までで一番幸せな一日かもしれない。アラサーの男が「公園で遊んだことが人生の中で一番楽しい」ってのは引かれると思うけど、俺はずっとこういう日を待ち望んでいたのかもしれない。少なくても酔っぱらった俺はこういうことを望んで掲示板に書いたのだろう。
「バドミントン、久しぶりにやったなー」
帰り道、詩織さんが空を見上げながら言った。
「自分も外で遊ぶのは久しぶりだったので楽しかったです」
心からの本心である。
ちょうど「また詩織さんと来たい」なんて思っていたから、詩織さんが「また時間が会う日に来ましょう」と言ってくれたのは嬉しかった。
「あ、そういえばですけど、次の土曜日は花火大会らしいですね」
詩織さんが花火と書かれたポスターを見ながら言った。
「みたいですね。子供の頃に行ったことがありますね」
花火なんてもう何年も見ていない。子供の頃に見たうろ覚えの記憶しか残っていない。
「……坂上さん、土曜日の夜って空いていますか?」
「土曜日は……空いていますね」
「その、良かったら一緒に花火を見に行きませんか?」
「え……?」
一瞬、思考が停止した。詩織さんの方から誘われたことに驚いて、フリーズしている。
「あ、ご迷惑でしたら遠慮なく言ってくだ……」
「迷惑じゃないです! 一緒に行きたいです!」
勢いよく言った直後に詩織さんと目が合って、思わず目が泳いだ。
「じゃあ、また近くになったらメールで連絡しますね」
詩織さんもどこか照れている様子で、そう言った。
帰り道に次の予定が決まるなんて……なんだかリア充みたいだ。なんだか本当に仲の良い友達や恋人……と言ったら調子乗りすぎと思われるかもだけど、そういう関係に近付いているようで嬉しい。少なくても詩織さんの方から誘ってくれたのだから嫌われてはいないはずだ。良かった。
掲示板に書き込むまで、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
本当に――人生をやり直せるかもしれない。
今までひきこもっていた分、これから頑張るから。
必死になって頑張るから、まともな人生に戻りたい。
詩織さんに全て打ち明けられるように頑張るから。
今日みたいな日が――いつまでも続いてほしい。
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