第15話 買い物デート

 八月四日。昼。


「坂上っち、何読んでいるの?」


 バイトの休憩時間、麻島さんに訊かれた。


 俺の手には「必勝! ミジンコでも合格できる英検二級」と書かれた本がある。中身は題名通りの本である。


「英検の問題集ですよ」


「んん? 英検目指しているの?」


「はい。……なんだか意外って感じの反応ですね」


 まぁ、俺自身もずっと日本語オンリーで生きていくと思っていたから、自分でも意外ではあるんだけど。


「海外にでも行くの?」


「いや、転職で使えるかなと思って、今のうちに勉強しておこうかと」


 ドアの方を確認しながら言った。まだ店長には内緒にしておきたい。


「ふーん、転職考えているんだ。彼女さんの為?」


「え? ……ま、まぁ、そんなところですね」


 そういえば、詩織さんと付き合っていることになっているんだった。


 麻島さんは単純に彼女と生活する為に転職すると思っているのだろう。詩織さんに失望されない為……と言えば彼女の為とも言えなくはないが、実際は自分の為。少しでも自分を変えて、その姿を詩織さんに見てほしい。


「坂上っちは偉いね」


「偉くなんかないですよ。今まで何もしてきませんでしたし、英検二級は高校卒業レベルらしいんですが、ちんぷんかんぷんですもん」


 一応、高校には出ているんだけどね。すっかり忘れてしまった。最終目標は英検一級なのだが、まだまだ先の話になりそうだ。


「私も英語駄目だからなー。ま、何か困ったことがあったら相談してね」


「ありがとうございます」


 と反射的にお礼はしたものの、この参考書を読んだり、ネットを使えば一人でも問題はないだろう。ただ、一つお願いがあるとしたら……。


「あ、麻島さん。相談したいことがあるんですけど」


「早いね!?」



 八月九日。昼。


 俺は大量の荷物を抱えて、麻島さんの後ろをついていく。


 普段は入らないようなデパートで、荷物を運ぶ俺はどこかで見た彼氏のように見えるかもしれないし、執事のように……は無理かもしれないが、奴隷には見えるかもしれない。


 何故、こんなことになってしまったのか。


 麻島さんに相談してしまったことが原因である。


「今度、彼女をデートに誘ってみようと思うんですけど、女性視点でのアドバイスを貰えませんか」


 誘う予定はないけど、なにかあった時の為にプランを考えておきたかった。


「別にいいけど、誘うってどこに行くつもりなの?」


「そうですね。山なんかいいかなーって思っているんですけど、どうですか?」


「いやいや……坂上っち。こんな暑い季節に山はないでしょ……」


「え、駄目ですか」


「駄目駄目駄目、絶対に無い。私が彼女だったら即別れる」


「え、えぇー……」


 どうやら完全にありえないらしい。ロープウェイに乗れば女性でも簡単に頂上目指せるし、山の上だから涼しいと思ったんだけどなぁ。


「他に候補ないの?」


「えーっと……川で魚釣りとか?」


「無理無理無理。こんな暑いのに外で魚を釣るとか無理!」


「……そんなですか?」


「いや、だって魚釣りって手汚れるし、無理じゃん」


「まぁ、そうですけど……」


 どうやら完全に無理らしい。釣った魚をその場で焼いて食べるのは美味しいと思ったんだけどなぁ。


「逆に麻島さんはどういうデートならいいんですか?」


「うーん……やっぱり買い物じゃない?」


「買い物?」


「買い物デートだよ。買い物デートを嫌いな女の子なんてこの世に存在しないよ」


「買い物デート……具体的に男は何をすればいいんですか?」


「いろいろだよ! いろいろ!」


「いろいろ……?」


「あー! これは実践してもらわないと駄目だわ。次の日曜日、休みでしょ? 私の買い物に付き合ってよ!」


「え、いや、日曜日は……予定ないですね……」


「じゃあ、決まりね!」


 というわけで、麻島さんの買い物に付き合うことになり、現在の状況になったというわけだ。


 ネットの情報によれば買い物デートが好きな女性の割合は四分の三。確かに山や川に行くよりは無難に喜ばれる気もする。それなら練習しておいて損はないだろう……と思ったが、なかなかハードだ。


 エスコートしつつ、荷物を持ちつつ、話を聞きつつ、何時間も歩き続けるのはコミュニケーション能力も体力もない俺には荷が重い。


「次はあの店!」


 オシャレな服が売られている店。洋服店だけで今日何回入ったかもう数えていない。流石にこれ以上荷物が増えたら腕二本では足りない。


「ねぇねぇ、坂上っち。これ似合う?」


 試着した麻島さんを見て、疲れ切っていた俺は「似合ッテイマスヨ」と答えた。


「坂上っち! ちゃんと見て! ちゃんと感想して!」


「え、えぇ? す、すみません」


 いや、本当に似合っているとは思うんだけど、細かい感想を言うのは苦手だ。とは言え、流石に今のは良くなかった。本番ではやらかさないように注意しなければ。そんな機会あるのか分からないが。


「坂上っち。お腹空いたー」


 麻島さんが両手をあげてぶらぶらさせながら言った。俺もお腹空いたー。


 買い物デートの中で唯一事前に考えておいて、と言われたのは昼のランチ。逆に言えば昼のランチ以外は何も任されてない。買い物デートってこれでいいのだろうか。一応、どこに何の店があったとかはメモったが、見て覚えろ的な感じでいいのだろうか。


「近くに美味しいと評判のカレー屋さんがあるので、そこに行きましょう」


 もちろんパパっと食べて、パパっと出るような店ではなく、レストラン形式の女性も入りやすいカレー屋を選んだ。ここならデートでも問題ないはずだ。


「嫌い」


「はい?」


「私、カレー嫌いなんだよね」


 麻島さんは、確かにそう言った。


 え? マジで?


「カレー嫌いなんですか? カレーですよ? ピーマンじゃありませんよ?」


 嘘だろ。カレー嫌いな人初めて見た。嫌いな人がいないと思ったからカレー屋を探したのに。


「ピーマンも嫌いだけど、カレーも嫌いなの!」


「カレーのどこが嫌いなんですか?」


「うーん、小さい頃は食べれたんだけどさ」


「食べれた時期があったんですね」


「でもある日、テレビでインド人が手で食べているところを見たら、なんか食べれなくなった」


 いや、何その理由。インド人に謝った方がいいと思う。


「そ、そうでしたか……」


「カレー以外に候補は?」


「えぇっと……考えていませんでした」


 はぁ……と大きなため息をつく麻島さん。


 だってしょうがないじゃん。カレーが嫌いな人間がいるなんて思わないじゃん、などと脳内では子供みたいな言い訳をしたが、素直に「ごめんなさい」と謝っておいた。


「出来る男は予定外のことが起きても対応できるものだよ」


「心得ておきます、師匠」


 俺がそう言うと、麻島さんは「分かれば宜しい」と笑った。


 結局、荷物が多くて入れる店も限られていたので、どこにでもあるハンバーガーのチェーン店に入り、無難なメニューを頼んだ。


「どう? 少しは勉強になった?」


 ハンバーガーを齧りながら麻島さんが訊いてくる。


「えぇ、おかげ様で。ただ女性が試着している時ってどう褒めるのが正解なんですかね?」


「何言ってんの。正解なんてあるわけないでしょ。大事なのは自分がどう思ったのか伝えることだよ」


「自分がどう思ったのか、ですか?」


「そう。ちゃんと見てくれているかが大事なの。似合っていても似合ってなくても意見を正直に言うべき」


 麻島さんの言う通りだと思った。人に嫌われたくないあまりにいつも顔色を窺って言葉を選んだり、嘘をついてきた。それで関係が良くなったことはほとんどない。その場しのぎみたいなものだった。


 詩織さんに全てを打ち明けなければいけない。少なくても彼女の前ではもう自分を偽ったり、嘘をつきたくない。今、自分に一番必要なのは思ったことをしっかり言葉にすることなのかもしれない。


「ありがとうございます。なんだか勇気が出ました」


「勇気? 今ので?」


「いや、自分に自信が持てなくて……なんとかして変えたいと思っていたので、そういうところから変えていくべきなのかな、と思ったんです」


 俺がモジモジしながら言うと、麻島さんは口元を緩めて笑う。


「もっと自信持ちなよ。坂上っちは彼女さんの為に頑張っているんだし、オドオドする必要ないって」


 言葉なのに、本当に背中を強く押してもらったような気持ちになった。お世辞を言わない麻島さんだから……というわけではなく、純粋に心の底から思っていることを言ってくれたんだと分かるような力強さがあった。


「今日はありがとうございました」


「うん。こちらこそ買い物付き合ってくれてありがとね」


「次のデート頑張ります!」


「その意気だよ!」


 親指を立ててニッと歯を見せて笑う麻島さんに、俺も親指を立てて返した。


 自信がついた俺は勇気を振り絞って、近いうちに詩織さんを誘うことにした。


 迷惑に思われるかもしれないが、会いたいという気持ちだけでも伝えたかった。


 それから三日三晩(あまり誇張してない)、詩織さんに送るメールを考えた。

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