第14話 生まれ変わった俺
八月二日。昼。
「坂上さん、こんにちは」
「こんにちは」
この日、ハチ公前で詩織さんと合流した。
「今日は暑いですね」
「夏って感じがしてきましたよね」
詩織さんの格好は白のタンクトップ……じゃなくてキャミソールの上に白の薄いカーディガンを羽織っている。露出が多くてドキッとした。八月に入り、猛暑が続く日々に苛立ちを募らせていた俺だったが、生まれて初めて猛暑に感謝した。というか俺、昔から猛暑さんのこと尊敬していたし、八月二日を猛暑感謝日として休日にしてもいいと思う。ちなみに露出が少なくてもドキッとする。
今日は詩織さんを誘って、そのアレだ。俗に言うデートをすることになっている。俺としては恋人でもないのにデートと呼ぶのは違和感あるのだが、世間では恋人未満の関係でもデートと呼ぶらしい。
まぁ、俺と詩織さんじゃ不釣り合いすぎるし、誰も恋人だとは思わないだろう。せいぜい仲の良い友人として見られるのが限界なはずだ。気軽に会って気軽に遊ぶみたいな。
その「気軽」が今回大変だった。
今まで詩織さんとは偶然だったり、なんらかの理由があって会えていた。掲示板の書き込みで知り合い、風邪で死にかけた時にたまたま再会し、作戦会議する為に会い、バイト先で偶然鉢合わせし、恋人を演じてもらった。
しかし、今回は理由がなかった。
なんて誘えばいいのか分からなかった。包み隠せず言えば、詩織さんに会いたいという気持ちがあったから、になるが、それを言えたら『詩織さんに全て打ち明けるぞ計画』なんて必要ない。
メールを書いては消してを繰り返した。普通に考えたら、恋人の代役を頼む方が恥ずべき行為なのに、ただ誘うだけの方が難しかった。代役を頼んだ時は店長を見返したい的な勢いがあったから頼めたが、今回はない。
結局、三日三晩悩んだ末(少し誇張している)に「恋人の代役を演じていただいたお礼をしたいので、今度お食事でもどうですか」云々なメールを送った。お礼をしたい気持ちに嘘はないが、詩織さんと会う為の口実に使った感があって疚しい気持ちになる。
メールを送ってから返信が来るまでの間、「俺みたいな奴が詩織さんを誘っていいのだろうか」「詩織さんの立場から考えれば断りにくいだろうし、迷惑にならないか」と布団の上でゴロゴロ転がりながら不安と戦い続けた。
返ってきたメールに「何一つ彼女らしいことをできなかったのでお礼なんて受け取れません」と書かれていた時は三途の川が見えたが、その下に「ですので、普通にお食事しましょう」と書かれているのを見て、無事に生還した。
それからデートで失敗しないように三日三晩(かなり誇張している)、いろんなサイトを調べて、スムーズに紳士的な対応をできる男になった……と思いたい。
家を出る前にシャワーを浴び、髭を剃り、歯を磨き、鼻毛が出てないか確認し、新調した服を着て、コンディションは完璧だ。
さぁ、ついに生まれ変わった俺の力を試す時がきた。
今日はどんなことが起きても冷静に対応してみせる。
「詩織さん! 今日は美味し……」
バシャッ!
「冷たッ!」
よそ見をしながら走っていたと思われるちびっ子が俺の足に横から衝突し、そのちびっ子が手に持っていたタピオカらしき飲み物がこぼれて新調したズボンがびしょ濡れになった。
「すみません!」
ちびっ子の母親らしき人物……というか母親じゃなければ誰だよって感じの人物が慌てて駆け寄ってくる。
「もうアンタ! ちゃんと前見て歩かないから! こんなに濡らしてしまって……本当にごめんなさいね」
ちびっ子を叱った母親は申し訳なさそうに財布を取り出す。
「いえ、大丈夫ですので、お気になさらずに……」
その後、「でも……」「本当に大丈夫です」を数回繰り返した後、親子は去っていった。
「濡れちゃいましたね……」
詩織さんが俺のズボンを見ながら言った。うん、盛大に濡れたよ。
「すみません。新しいズボンを買ってきてもいいですか」
スマホで近くに店がないか探し、移動。通行人の視線が俺のズボンに向けられ、めっちゃ恥ずかしい。何より詩織さんを巻き添えにして申し訳なく思う。
店に入り、適当に選んだズボンを購入。出費は痛いが、何よりデートがグダグダになってしまったことが問題である。詩織さんは機嫌を損ねている様子ではないけど、気まずい。
とにかく仕切り直しだ!
「詩織さん! 今日は美味しいお寿司屋を予約しているのでそこへ行きましょう!」
と言ったところで、「今更だけど、生ものが苦手とかないだろうか」と不安になった。だけど、詩織さんは向日葵みたいにパッと笑顔を見せる。めっちゃかわいい。
「お寿司ですか! 最近食べていなかったので嬉しいです!」
「それは良かったです! 俺もここ数年食べてなかったので今日は沢山食べましょう!」
寿司なんて高級料理はまず食べる機会がない。それに俺の中では寿司と言えば、かっぱ巻きしか存在しない。大トロ? なにそれ、おいしいの?
しかし、ズボンびしょ濡れ事件のせいで、予約した時間まで残り僅か。
だからと言って、今日の俺は慌てない。詩織さんを急かすことなく、デート必勝サイトに書かれていた「女性に車道側を歩かせてはならぬ」を守りつつ、スムーズに紳士的に向かう……つもりだった。
「えーっと、この道を……あれ?」
「ここ、さっきも通りましたね」
道に迷った。
ここ、どこ?
スマホの画面とにらめっこしていると、詩織さんが横からひょこっと覗いてくる。
「今、ここじゃないですか?」
「あ、そうっぽいですね。ありがとうございます」
スマホの画面から視線を外すと、超至近距離に詩織さんの顔があって本日二回目のドキッとした。
無事に予約していた時間のギリ前に着いた俺達はカウンター席に着いて、大将におまかせで頼んだ。ちなみに店によって常連客以外はおまかせNGのところもあるから注意である。
最初にきたのは白身魚。若干赤いから多分タイだろう。子供時代を除いて、かっぱ巻きしか食ってこなかったから自信はない。
「あ、凄く美味しいです」
ほくほく顔の詩織さんを見て、俺は安心した。店のレビューを信用して良かった。
「詩織さん、知っていますか? 寿司は白身魚から食べて、赤身、光物、玉子……えぇっとなんだっけな。次はアナゴ……とか? それで最後に巻物を食べるといいらしいですよ」
「え? そうなんですか?」
「トロとか脂っぽい味の濃いものから食べると、味が分かりにくくなってしまうんです。だからさっぱりとしている白身魚から食べた方が美味しく食べれるんです」
「へえ~、坂上さんって物知りですね!」
詩織さんが褒めてくれた! 事前に「寿司 食べ方」で調べておいた甲斐があった! 九九の段を覚えるみたいに練習しておいて正解だった。全部覚えていなかったけど。
次に出てきたのも白いネタが乗った寿司。
真っ白なネタを見て、イカだと確信する。
しかし、いくら有名な寿司屋でもイカの味が変わるのだろうか。普通の寿司屋で出てくるイカとそれ以上に美味しいイカのイメージがあまりつかない。
パクっと一口で食べてみた。
こ、これはヤバい。コリコリした食感があるのに柔らかい。それにイカなのに味もある。これが高級店のイカなのか。高級店すげぇ。
「詩織さん、このイカめっちゃ美味しいですね!」
俺は高級店のイカに感動しながら言った。
ところが詩織さんは「坂上さんったら揶揄わないでくださいよ」と口を手で隠しながら笑う。
へ? 揶揄わないで?
「イカじゃなくてエンガワなことくらい私にも分かりますよ~」
エンガワ?
「あ、あぁ、エンガワ。うん、エンガワね。流石に分かっちゃいますよね」
俺が食っていたの、イカじゃなかった。
トロなどの赤身、光っているなにか、玉子、なにか、よく分からないのとウナギ、巻物の順番に食べていき、いつの間にか二人ともお腹いっぱいになっていた。数で言えばそんなに食べていないのだが、明らかに回転寿司などで見かけるネタより大きかった。これが回らない寿司か。
会計で「いえ、自分で食べた分は払いますから」と遠慮する詩織さんに屈することなく、紳士的に全額支払った。彼女の代役をやってもらったからには払うしかあるまい。
「ごちそうさまでした。なんだか申し訳ないです」
「この間のお礼ですし、気にしないでください。それに一人ではああいうお店に入りづらいので今日も来てもらえて助かりました」
いろいろとやらかしたが、なんとか無事にデートが終わった……はず。
まだ夕方前だし、もっと詩織さんといたいけど、お食事しましょうとしか言わなかったし、もう解散なんだろうな。というかこれ本当にデートと呼んでいいものなの?
そんなことを考えていると、横にいた詩織さんが何かを見ている。
詩織さんの視線の先にはゲームセンター……の入口にあるクレーンゲーム。
そのクレーンゲームの景品は大人気のマスコットキャラクター「猫丸くん」のぬいぐるみだった。丸としか言いようのない丸さの猫である。
「坂上さん、あれやってきていいですか?」
「え? あ、どうぞ」
猫好きの詩織さんは硬貨を入れて、クレーンゲームを操作する。意外に詩織さんの手つきが慣れている……ような気もしたが、猫丸くんはビクともしない。詩織さんは諦めずに硬貨を入れ続ける。けれど、猫丸くんが浮かぶことはなく。
「もうちょっと後ろの方がいいんじゃないですかね」
俺がアドバイスすると、詩織さんは「後ろですか?」と訊き返した。
「例えば、こんな感じで……」
硬貨を入れて、アームを少し奥の方へ移動させる。猫丸くんのお尻らへんにアームが下がり、後ろから押すような形でアームが上がり、少しだけ取り出し口がある前に少し転がった。
「今のと同じようにやり続ければ落とせそうですね」
俺は続けて硬貨を入れ、地道に前へ転がしていき、ついに猫丸くんを落とした。
「はい」と言って詩織さんに手渡すと「いいんですか?」と訊いてくる。
「流石に二十八の男が持って帰れませんよ」
苦笑いすると、詩織さんは猫丸くんを抱きしめながら「ありがとうございます!」と喜んでくれた。超絶かわいい。
そのままゲームセンターの中へ入り、レースゲームやクイズゲーム、リズムゲームなどを二人で楽しんだ。詩織さんは思っていたよりゲーム好きみたいで、操作は手慣れているように見えた。でも、結構ミスしていて、その姿が出会った頃のシロネコさんらしくてなんだかノスタルジックな気分になる。
しばらく遊び、夕方になったところでゲームセンターを後にした。
「詩織さんってゲームをやらなそうな印象だったので意外ですね」
「ゲームは結構やりますよ……下手ですけど」
「えぇっと、下手……というより独特な操作を……してらっしゃるなーと」
俺がそう言うと、詩織さんは頬を小さく膨らませて笑う。
「こう見えても私、もんすたー☆はんてぃんぐでマスターバハムートを倒したことあるんですよ。一人で!」
詩織さんは自信に満ちた可愛らしいドヤ顔で言った。
マスターバハムート。ソロプレイで倒せる中で最も難易度が高いと言われていたモンスターだ。初心者だった詩織さんは様々なクエストで腕を磨いて、最終的にこのモンスターを倒した。そして、俺のおかげで倒せたと喜んでくれた。
「……煉獄騎士パラディンΩさんがアドバイスしてくれたおかげなんですけどね」
そう言った詩織さんは昔のことを思い出すかのような口調だった。
「でも、詩織さんが一人で倒したことには変わらないんじゃないですか」
「そんなことないです。私、始めた頃は本当に下手くそで、多分ギルドのメンバーにも嫌われていたんだと思います」
確かに通話組には嫌われていた。直接的なことは言われてないはずだが、通話組は明らかに詩織さんを避けていたし、嫌味を言うこともあった。空気的なもので伝わっていたのだろう。
「でも、煉獄騎士パラディンΩさんだけは私と一緒にクエストに行ってくれて、アドバイスまでしてくれて、私にもんすたー☆はんてぃんぐの楽しさを教えてくれたんです」
満面の笑顔で話す詩織さんを見て、俺はなんとも言えない感情が抱いた。
「だから一度だけでもお礼をしたいんですけど、いきなりそんなこと言われたら煉獄騎士パラディンΩさん、ビックリしちゃいそうですよね」
「そんなことないですよ。今のことを煉獄騎士パラディンΩさんが聞いたら絶対喜びますよ」
絶対喜ぶというか既に喜んでいる。涙が出そうなくらい。
「いつかお礼を言える日がくればいいなぁ~」
詩織さんは横顔を見て、夢を壊したくないな、と思った。
「今日はごちそうさまでした」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」
猫丸くんを抱きかかえた詩織さんに手を降り、この日は解散。
なんだか詩織さんを騙しているようで罪悪感も……でも、今はまだ明かすわけにはいかない。
いつか全て打ち明けられるように頑張るしかない。
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