第10話 にゃにゃにゃにゃ~ん?
七月二十日。朝。
朝、目覚めたらスマホに一通のメールが届いていた。詩織さんからだ。
『無事に仕事が見つかりました。
1さんから貰ったアドバイスのおかげです。ありがとうございます。
少しずつになってしまいますが、毎月お返ししますので、もう暫くお待ちいただけると幸いです。 詩織』
眠気が吹っ飛んだ。
予想していたよりも仕事を見つけるのが早かったから。
ねこねこカフェに行ったのが一昨日。つまり、その翌日に仕事を見つけたことになる。あのって言ってしまったら失礼かもしれないが、あの詩織さんがこんなに早く見つけるなんて予想していなかった。彼女が即決して決めるような仕事があるのだろうか。
『それは良かったですね!
お金の方はゆっくりで大丈夫ですので、お仕事頑張ってください!
ちなみにどこで働くことにしたんですか?』
ひとまずメールを返した。つい気になって勤め先を訊いてしまったが、冷静に考えて女性に勤め先を訊くのは非常識だった気がする。でも、やっぱり気になってしまう。
顔を洗って、朝食を食べているうちに返信がきた。
『はい! 頑張ります!
仕事の方ですが……』
その下に書かれていたのは仕事先の店名などではなく、住所。
住所? なんで住所?
店名とかではなく、住所を書く理由はなんなのだろうか。まさか変な店で働いているんじゃなかろうか。
不安に思った俺はスマホに住所を入力して検索してみた。
どうやらその場所はビルで、いろんな店が入っているらしい。パッと見た感じだと怪しそうな店は見当たらない。強いて言えばメイドカフェが気になったが、猫カフェよりも接客が大変そうなメイドカフェで働くわけがない。
そのビルには普通の喫茶店も入っているようだし、詩織さんが働くとしたらそっちだろう。
けれど、あの詩織さんが即決するほど良いところなのだろうか。俺のことを気遣って急いで仕事を決めてしまったんじゃないだろうか。ちゃんとやれているのだろうか。無理していないのだろうか。というか本当に喫茶店なのだろうか。普通の喫茶店なら住所で教える必要があるのか。表向きは喫茶店だが本当は世界征服を企む悪の組織で詩織さんは騙されているのではないか。
考えれば考えるほど深読みをしてしまう。
そして、気付いた時にはビルの前に立っていた。
今日は夜勤で暇だったのもあり、気になって来てしまった。やっていることは完全にストーカー行為だし、住所で教えるということは知られてほしくないことがあるのだろうけど、せめて店の雰囲気だけでも確認しておきたかった。
詩織さんが働いている可能性が高い喫茶店は三階にあり、店内を覗いてみたが雰囲気は良さそうだ。店長っぽい男性も優しそうで怒鳴ったりはしなさそうに見える。人通りの少ないビルの中にあるから客は少なそうだし、ここなら即決で決めてもおかしくないかもしれない。
肝心の詩織さんの姿は見えないが、多分ここで合っているはずだ。すんなりミッションが終わってしまった俺は安心して帰ることにした。
三階には喫茶店の他にメイドカフェもある。俺はエレベーターを待つ間、メイドカフェのメニューを見ていた。店頭のショーケースに飾られたオムライスなどの食品サンプルはとても美味しそうに見えた。でも、値段が書かれていなかった。時価なのか? ここは回らない寿司屋なのか?
そんなことを考えている間にエレベーターのドアが開いた。
入ろうとしたが、中から人が降りてくるので立ち止まった。
中から降りてきたのはメイド姿の女性二人。
反射的に視線を逸らしてしまったが猫耳カチューシャを付けていて、いかにもメイドカフェのメイドさんといった二人の手にはビラがあった。外でビラ配りをしてきた帰りなのだろう。
俺はメイドさんが降りるのを待ってから入ろうとしたが、その前にメイドさんと目が合ってしまった。
綺麗な黒髪ロングにパッチリとした目。透き通るような白い肌。そして、でかい。猫耳の話じゃなくて。
まるで詩織さんのような女性だった。
というか詩織さんそっくりだ。
ってか詩織さんだ。
詩織さんではないか。
詩織さんは俺の顔をジッと確認した後、見る見るうちに顔が赤くなった。
「ど、どうして1さんがここに……?」
「え、えっと……気になって来ちゃった的な……」
俺は付き合いたてカップルの彼女か。
「えっ、ひょっとして、しおりんのご友人さんですか?」
詩織さんと一緒にいたメイドさんが俺の手を握りながら訊いてくる。女性に触れられるとかレジでお釣りを渡す時に触れてしまった時くらいなので、俺は思わず変な声が出そうになった。
「そ、そんなところだと思います……」
俺が答えると、詩織さんもこくこくと頷く。
「今、お時間あります?」
「え? あ、時間ですか? 空いてはいますけど……」
「じゃあ、せっかくなのでしおりんの練習相手になってあげてください」
そう言ってメイドさんは俺と詩織さんを強引に引っ張って店の中へ入っていく。
「え? え? ちょ、えぇ?」
情けない声を出しながらメイドカフェに入ってしまった俺は席に案内される。
店内はピンクを基調とした……とにかく二十八の男がいてはいけないような空間であった。以前、詩織さんと入ったパンケーキのお店でも同じこと思ったな。平日なこともあって客は少ないみたいだ。
「ほら、しおりん」
メイドさんに促されて、詩織さんは料金などが書かれたボードを持たされる。多分、裏にカンペがあるのだろう。ボードの裏を見ながら詩織さんが説明を始める。
「わ、私達は……その、ま、魔法で……人間の姿に、変身した猫です…………にゃん。だから、ビックリしたりしゅる……すると猫の姿に戻って、しまうから突然触るの、はやめてほしい…………にゃん」
なるほど、そういう設定なのか。詩織さんのたどたどしすぎる説明を受けて納得した。いや、本当にここで働いて大丈夫なのだろうか。
一通りの説明が終わり、オムライス(と人間界では呼ばれているめっちゃ長い名前のメニュー)を頼むと詩織さんとメイドさんは店の奥へ行ってしまった。
うん、めっちゃ居づらい。メイドカフェに入るのはこれが初めてで、何をしていればいいのか分からん。あとメイド姿の詩織さんは良い意味でヤバい破壊力があったが、神々しすぎて直視できそうにない。
予想外の事態に、俺は目を瞑りながら瞑想し始めてしまうほど追いつめられていた。
瞑想している間に詩織さんがオムライスを運んできてテーブルの上に置いた。
「え、えっと……オムライスに描いてほしい絵があれば私がケチャップで描くのですが……何かありますか? …………にゃん」
あぁ、メイドカフェだとそういうのあったな。どこで知ったのか憶えてないけど、そういうイメージがある。
メニュー表の写真では可愛らしい猫の絵が描かれていた。無難にこれにしよう。
「それじゃ、この写真のような猫で」
俺がそう言うと、詩織さんは「え? ね、猫ですか?」と口にして写真とにらめっこし始めた。あれ、これまずいんじゃない?
詩織さんはパニックになっている様子で写真を見ながら、猫の絵を描くイメージ練習をし始める。
うん、そうだよね。初日で猫なんて描けるわけないよね。
「あ、じゃ、じゃあ! ハート! ハートでお願いします!」
オムライスに描かれている印象が強くて、簡単そうなハートに変えてもらおうとした。が、詩織さんにハートを書いてほしいって……結構恥ずかしくなってきたぞ。もっと簡単な丸とかの方が良かったんじゃないか。……いや、「オムライスに丸を書いてください」ってのもおかしいよな。一体、俺はどうすれば良かったんだ。
俺までパニックに陥っていると詩織さんが震えた手でケチャップを持ち、オムライスに描き始めた。
だけど、手が震えすぎていてハートではなく、新しい記号になってしまった。
「ご、ごめんなさい。この場合どうすればいいんだろう……」
詩織さんが涙目になりながら慌ててしまい、俺は「全然大丈夫ですよ」と宥める。
「ほら、よく見ればこことかハートっぽく見え……ないですけど、俺はこの絵好きですよ。うん、むしろハートよりいい!」
と無理やり宥め続ける。
「すみません……」と申し訳なさそうに謝る詩織さんを見て、俺が申し訳なくなる。
スプーンを持って食べようとすると、詩織さんが「あっ!」と思い出したかのような声をあげた。
「美味しくなるおまじないをしないといけないんです…………にゃん」
「美味しくなるおまじない?」
詩織さんは顔を真っ赤にさせながら、深呼吸をした。
両手でハートの形を作ったところで思い出した。
テレビかなんかでメイドカフェが紹介された時にやっていたアレだ。
メイドさんが「おいしくな~れ、おいしくな~れ、萌え萌え~」とオムライスに言い聞かせていたアレだ。
ミシュラン三ツ星シェフでも真似できないアレだ。
きっと詩織さんは清水の舞台から飛び降りる覚悟でアレをやろうとしているに違いない。
そして、詩織さんの口が開く。
「おいしくにゃ~れ、おいしくにゃ~れ、にゃにゃにゃにゃ~ん?」
最後、疑問符が付いていた気もするが、詩織さんは言い切った。思わず感動してしまった。
「えぇっと、ありがとうございます」
耳まで真っ赤になってしまった詩織さんにお礼を言ってからオムライスを食べ始める。
詩織さんは俺の前に立ったまま、猫耳をいじっている。まだ顔がほんのり赤くてかわいい。
「美味しいですか? …………にゃん?」
「え? あ、美味しいです。あと無理してにゃんを付けなくても大丈夫ですよ」
「一応、お店の決まりですので……」
もじもじさせながら詩織さんは言った。
「にしても驚きましたよ。まさかメイドカフェで働くとは」
「いえ、本当は……同じフロアの喫茶店で働こうとしたんですけど、店の前で店長に話しかけられて……」
「店長に?」
「さっき一緒にいたメイドです」
あぁ、あの人が店長だったのか。
「喋るの苦手と言ったんですけど、『そういうのもアリかもしれない』と言って全く聞く耳を持ってもらえず、成り行きで……」
確かに強引そうだもんな。どういう成り行きだったのか、ちょっと想像できる。
「それって大丈夫なんですか? 続けられそうですか?」
詩織さんは「分かりません……」と俯きながら言う。
うん、不安しかない。
とりあえず、俺は詩織さんの練習相手としてオプションの「メイドさんとゲーム」を頼んでみた。せっかく来たんだし、俺もメイドカフェらしいことをしてみたい。
詩織さんとあっち向いてホイをやって先に三回勝った方が勝ち。俺が勝ったらチェキが無料、詩織さんが勝ったら俺が詩織さんにドリンクを奢るというゲーム。
最後にあっち向いてホイをやったのは、いつだっただろうか。そんなことを考えながらやるあっち向いてホイは結構楽しかった。詩織さんも仕事を忘れて熱中しているようだった。
勝負は二勝二敗のまま五戦目まで続き、最終的に俺が勝った。
賞品として詩織さんとチェキを撮ることに。
お互いピースしながらぎこちない笑みを浮かべて、カメラのフラッシュを浴びたが、現像されたチェキに写る詩織さんは可愛らしかった。俺は目が死んでいた。
詩織さんは「いらなかったら捨ててください」と言っていたが、写真を撮る機会が滅多にない俺からすれば大変貴重な一枚で、もしかしたら遺影に使うかもしれないので残しておく。というか詩織さんが写ったチェキを捨てるなんてもったいない。
その後も詩織さんと雑談して過ごし、予想していた倍の金額を支払い、店から出た。
「無理そうだったら辞めて、別の仕事探しても大丈夫ですからね」
そう言うと、詩織さんは手をぎゅっと握りしめた。
「まだ分かりませんけど……でも頑張ってみたいと思います!」
控えめだけど気持ちのいい笑顔で、俺は少し安心した。
「頑張ってください。でも、あまり無理しないでくださいね」
「はい」と笑顔で返事する詩織さん。
「それじゃ、俺もこれから夜勤なので頑張ってきます」
俺が笑いながら言うと、詩織さんはまた顔を赤くさせて、こう言った。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
照れながら微笑む詩織さんに見惚れて、俺は言葉を失った。
「1さん……?」
「え? あ……い、いってきます!」
俺はあたふたしながら手を振り、エレベーターに乗り込み、ドアが閉まるまで詩織さんは手を振ってくれた。
ビルの外に出てもまだ胸がドキドキしている。俺は少女漫画の主人公か。
本当にさっき撮ったチェキが遺影になるかと思ったし、また来たいとも思った。
俺はニヤついた顔を引き締めて、普段よりも軽い足取りでバイト先へ向かった。
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