第9話 ねこねこカフェ

 七月十八日。昼。


 この日は詩織さんと作戦会議する為にハチ公前で待ち合わせをしていた。


 作戦会議と言っても詩織さんの仕事探しを一緒に考えるだけで、単純に相談に乗るだけという。風邪の時は頼ってくださいなんて言ってしまったが、落とされまくった上にコンビニでしか雇ってもらえなかった俺がアドバイスできることはあるのだろうか。会う前から不安だ。お腹痛くなってきた。


 とか思っていたら、目の前から詩織さんが駆け足でやってくる。すげぇ、揺れている。地震が起きたとかそういうんじゃなくて。


 袖のない服をノースリーブって言うんだっけな。白いノースリーブに水色の長いスカートを履いていて、頭には麦わら帽子を被っている詩織さんは相変わらず美人に見える。あとでかい。手に持っている鞄の話ではなくて。


「1さん、こんにちは」


 笑顔で話しかけてくる詩織さんに見惚れて、遅れつつ「こんにちは」と返した。バイト以外で女性に話しかけられることに慣れてない俺は本当に自分に話しかけてくれているのか疑ってしまう。話しかけているのはハチ公じゃなくて俺だよな?


「この間はいきなり泣いてしまってごめんなさい」


「いやいや、こちらこそ風邪薬とゼリーを買ってきてもらって申し訳ない」


 それと「お見苦しいところをお見せして申し訳ない」と謝っておいた。鼻水垂らしていた俺とか、散らかった部屋とか。


 詩織さんは両手を横に振って、「気にしないでください」と優しい表情で言ってくれた。慎ましい動きが可愛すぎる。


 俺と詩織さんは駅近くにあるレトロな喫茶店に入り、奥の席で作戦会議を開始する。一緒に頼んだオリジナルブレンドコーヒーと抹茶のシフォンケーキを味わいながら、詩織さんにこれまでのことを話してもらった。


 話によると、俺と初めて会った日からずっと仕事を探していたようだ。でも、高校卒業してから数年間ひきこもっていたこともあってどこも雇ってもらえず、俺に相談しようとメールを送った。けれど、返信がこなくて借りていた金を返せないままだった詩織さんは封筒の裏に書いてあった住所を頼りに俺の家に行こうとした。その道中でうずくまっていた俺を見つけた、とのこと。


 その後、詩織さんが応募した会社を教えてもらったが、どこも聞いたことのあるような大手企業だった。


「あの……詩織さん? なにか資格とか持っていたりします?」


 俯きながら首を横に振る詩織さん。


「こういうところは人気ですし、資格とかないと……落ちちゃうんじゃないですかね……多分」


 かなり分厚いオブラートに包んで言ったのだが、詩織さんが泣きそうな顔をしてしまい、罪悪感が湧いてくる。


「そう……ですよね……。お金を早く返したかったので給料が良さそうなところを探していたのですが、私みたいな駄目人間、どこも雇ってくれませんよね……」


 やばい、ネガティブモードに入ってしまった。


「お金はゆっくりで構いませんので、詩織さんがやりたいと思う仕事を探しましょう!」


 そう言って励ますと、詩織さんの表情がパッと明るくなって「はい!」と元気な声が返ってきた。


 ところが、すぐに俯いてしまう。


「……でも私……やりたいことないんですよね……本当、駄目人間で……」


 すぐに落ち込まないで!


「俺も同じですよ。コンビニバイトをやりたかったわけではないですし。じゃあ、簡単そうな仕事を探すのはどうですか?」


「簡単……ですか? 私、本当に何もできないんですけど、何か出来ることあるのかな……」


 卑屈にならないで、詩織さん!


「うーん、俺の勝手なイメージなんですけど、ウェイトレスとかどうですか?」


「ウェイトレスですか?」


 初めて会った時の詩織さんの格好、ようは〇〇を殺す服のイメージが強すぎたせいか自然と思い浮かんだ。特別な資格とか必要ないし、ファミレスとかどこも募集している印象がある。


「はい。元から丁寧な口調ですし、似合いそうだなーって思ったんです」


「でも、私みたいな駄目人間が運んできた物を食べたいと思う人いますかね……」


 いや、食べたいよ! 詩織さん! 変な意味じゃなくて!


「いやいや、詩織さんみたいなウェイトレスがいたら俺通っちゃいますよ!」


 そう言った瞬間、詩織さんの顔がみるみる赤くなっていく。


 言ってから思ったが、今の発言はキモかったな……。いや、詩織さんのウェイトレス姿を見たいか見たくないかと言えば見たいになるけど、そういう意味で言ったんじゃなくて、もっと自分に自信を持ってください的な? そっちの意味で言いたかったの。


「と、とりあえず、候補としてどうですか? ウェイトレス」


「そ、そうですね、なんとかなりそうな気もしてきました。早速、探してみます」


 右手をグーにして握りしめながら、左手でスマホを操作し始める詩織さん。俺はその姿をコーヒーを飲みながら眺めていた。


「このお店、少し気になります」


 そう言って詩織さんが見せてきた画面は求人サイトで募集をかけている店のページ。その店名には見覚えがあった。


 ねこねこカフェ。


 詩織さんと初めて会った時に行こうか悩んだ猫カフェである。猫カフェとは店内に放し飼いされている猫と触れ合えるカフェのことだ。詩織さんが動物のことを「好きか嫌いかで言われたら好きです」と微妙な反応だったから行かなかったが、ひょっとして猫好きなのだろうか。


「どうでしょうか」と詩織さんに訊かれてしまったが、俺も猫カフェはよく分からない。


「ここから近いみたいですし、どんな感じなのか見に行ってみます?」


 こうして俺と詩織さんは、ねこねこカフェとやらに行くことに決めた。


「ここみたいですね」


 ねこねこカフェと可愛らしい文字が書かれた看板が置いてあり、中を覗くとオシャレな内装の店内に猫が沢山いた。十匹……いや、二十匹はいる。


「ですね。入ってみま……あれ、詩織さん?」


 看板を見ている間に詩織さんがいなくなっている。というか一人で店の中に入っていて、「1さんも早く早く」と言いたげに手招きしている。あれ、詩織さんのテンション上がっている?


「二名様でしょうか」


 女性の店員さんに案内されて席に着き、料金システムや注意事項の説明を受ける。「猫ちゃんが嫌がることをしないでください」とか「無断で猫ちゃんに食べ物を与えないでください」とかそういう説明。


 説明を終えた店員さんが「ごゆっくりどうぞ」と言って席を離れると、詩織さんもすぐに猫の方へ行ってしまった。


「か、かわいい……!」


 顔をほころばせながら猫に近付いていく詩織さん。


「触っていいんですよね?」と店員さんに訊いてから、詩織さんは猫の頭を優しく撫でた。撫でてもらっている猫は目を細めて気持ちよさそうだ。



 俺の方にも猫が近寄ってきたが、なんだか周りにいる猫とはちょっと違う感じの猫だった。例えるなら猫版ブルドッグという感じ。俺はブルドッグやぶさかわキャラが結構好きだし、割と近寄ってきた猫もかわいいと思えた。


 しかし、触ろうとすると「シャー」と威嚇してきて、俺は手を慌てて引っ込めた。


「この子はなんて名前なんですか?」


 詩織さんは一匹の猫を抱きかかえながら、店員さんに訊いた。


「きなこです。スコティッシュフォールドの男の子です」


「きなこくんって言うんですね。かわいい」


 詩織さんはきなこくんを優しく抱きしめながら撫でる。きなこくんの顔が詩織さんの胸に包み込まれていて、それを見た俺は「生まれ変わったら猫になりたい」と思った。


 俺も店員さんにさっきからやたらと威嚇してくるぶさかわ猫の名前を訊いてみた。


「その子はだいふくって言います。エキゾチックショートヘアの女の子です」


「は、はぁ……」


 エキなんたらショートヘアって髪型じゃなくて? 猫の種類で合っているんだよな?


 それからも他の猫を触ろうとしては威嚇されて、俺は席から猫と戯れる詩織さんを眺めていた。


 しばらくしてから詩織さんが席に戻ってきて、言葉を詰まらせながら「猫に、餌をあげられるみたいなん、ですけど……」と言ってきた。餌をあげたいんだなってすぐ分かった。


「へぇ~。じゃあ、詩織さんもあげてみたらどうです?」


「それが五百円必要で……いいですか?」


「いいですかって何がです?」


 詩織さんは言いづらそうに顔を困らせている。何かまずいことを言ってしまったのか考えてみるが、思いつかない。


「そのお金使っても……」と詩織さんが言いかけたところで分かった。借金を返さずに金を使ってしまって大丈夫なのか気にしているのだろう。


「あぁ、全然いいですよ。せっかく来たんですから」


 俺がそう言うと、詩織さんは目をキラキラ光らせながら「ありがとうございます!」と頭を下げて両手をぱたぱた振りながら店員さんを探しに行った。お小遣いを貰った子供みたいな反応をする詩織さんは普段とはギャップがあって、つい笑みをこぼしてしまった。


 猫に餌をあげる詩織さんを席から眺めた後、俺達は店を出た。


「どうでしたか?」


「凄いモフモフしている子がいて凄かったです! 凄く楽しかったです!」


 猫と戯れて語彙力を失ってしまった詩織さんは興奮さめやらぬ様子だ。


「そっちの意味で訊いたんじゃないんですが、楽しんでもらえたのなら良かったです」


「あ……すみません。目的を忘れて楽しんでいました」


 ですよねー。


「ちょっと働いてみたいと思いました。でも、大変そうだったので私にできるのか少し不安な部分も……」


 確かに猫の世話をしながら接客をしている店員さんは忙しそうに見えた。俺や詩織さんが名前を訊いたように猫について訊かれることも多いし、排泄物を掃除したり、普通の喫茶店と比べると大変かもしれない。


「猫の世話もしないといけませんからね。まぁ、急いで決める必要もありませんし、他も探してから決めた方がいいかもですね」


「ごめんなさい。早くお金返さないといけないのに」


「いえいえ、気にしないでください」


 ちょっとでも働いてみたいと思えたのなら大きな一歩だと思う。そんなに焦る必要もないし、ゆっくり決めてもらいたい。


「にしても詩織さん、猫好きなんですね」


「はい! 大好きです。昔飼っていたこともあるので」


 これなら初めて会った時に行くべきだったかな。好きか嫌いかと訊かれたら好きってレベルじゃなかったし、思いっきり戯れていたし。


「家に帰ったら働けそうな喫茶店を探してみたいと思います。今日はありがとうございました」


「無理しない程度に頑張ってください。それでは、お気をつけて」


 駅の改札前で解散し、電車に揺られながら家に帰る。


 電車の窓に映った自分の顔を見つめながら、俺も頑張らないとな、と表情を引き締めた。

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