第8話 シロネコさん

 七月十五日。朝。


 久しぶりに懐かしい夢を見た。


 布団の上でぼーっと天井を眺めながら、今見たばかりの夢を思い返す。


 ひきこもり時代の夢。


 まだネットゲームを夢中でやっていた頃で、シロネコさんも出てきた。今更だが、シロネコさんは酔っぱらった俺が掲示板でCさんと書いていた人物のことだ。


 こうして夢に出てきて、喪失感を残していく辺り、やはりあの頃は楽しかったんだな。他人から見れば仕事もせずネットゲームをやっていた黒歴史に思われるかもだけど、俺の全盛期であることに変わりはないし、何よりシロネコさんとの思い出を人生の汚点にはしたくない。


 俺のやっていたネトゲ「もんすたー☆はんてぃんぐ」はタイトル通り、モンスターを狩るゲームだ。多種多様なモンスターが出てきて、それらを剣や槍、弓で狩るアクションゲーム。ソロプレイもできるが、複数人で協力プレイした方が効率が良く、ギルドと呼ばれる組織に所属することで仲間を作ることができた。


 ギルドは一人のプレイヤーにつき、一つのギルドに所属できて、誰かが作ったギルドに入るか、自分でギルドを設立するかを決める。最初はネットでもコミュ障だったからギルドに所属せずにソロプレイをしていたのだが、途中から一人では限界を感じて勇気を振り絞り、ギルドに所属した。


 俺が所属していたギルドは百人以上が所属するそこそこ大きなギルドだった。と言っても俺が入団した頃は設立したばかりでメンバーも十人未満しかいなかった。メンバーが少なかったのが選んだ理由だったから、後に百人を超すとは想像すらしていなかった。


 ゲーム内での俺は坂上優希ではなく、「煉獄騎士パラディンΩ」と名乗っていた。めっちゃかっこいいだろ? そこ、「煉獄騎士なのか、パラディン(聖騎士)なのかハッキリしろ」とか言わない。ギルド内では「煉獄騎士さん」「煉獄さん」「パラディンさん」「Ωさん」と人によって呼び方が違った。長くてごめんね。


 効率よくクエストをクリアするには仲間との連携が必要だ。ゲーム内ではメッセージの他にリアルタイムで会話できるチャットが備わっていて、それで作戦を立てたり、次のクエストを決めたりしていた。まぁ、入団した当初はまだ設立されたばかりで親睦が深まっていなかったから凄い堅苦しい挨拶ばかりだったんだけども。


 仲間達とクエストを熟していくうちにチャットでの会話も増えていき、雑談したり、実生活のことを話し合うようになった。当然、俺も実生活のことを訊かれたわけだが、無職でひきこもりなんて言えず嘘をついた。酔っぱらった俺が掲示板に、メッセージでのやり取りで「働いている」と嘘をついていたこともあり~、と書いていたが、実際はシロネコさんと出会う前からメンバー全員に嘘をついていて、さらに嘘の内容も違った。


 俺はひきこもりであることを隠す為にあえて、東大卒の一流企業に勤めている年収二千万円の超エリート設定で嘘をついてしまった。他にも愛車はフェラーリ、今まで付き合ってきた恋人の数は八人と余計な設定も作ってしまったのだ。もちろん現実の俺は高卒無職で年収ゼロ、愛車はママチャリで年齢=恋人いない歴の男だ。


 うん、嘘はいけないね。


 ただ一つ言い訳させてほしいのが、割と俺は現実と違ってゲーム内では結構優秀な奴だったんだ。そのおかげで「煉獄さん凄いですね!」とか褒められたり、羨望の眼差しを向けられるみたいな扱いになっていて、しかも何故かゲームが上手いから現実も上手くいっていると思われてしまっていた。「煉獄さんって普段は何やっているんだろう。サラリーマンなのかな?」「馬鹿野郎! サラリーマンだったらあんなにログインできるわけないだろ。きっと俺達じゃ届かないようなリッチな生活をしているに違いない」なんてメンバー同士で会話していたし。褒め慣れていなかった俺はどうすればいいのか悩んで、最終的に皆の夢を壊さないように嘘をついてしまったんだ。


 これが結果的にシロネコさんにも嘘をつくことになって会えなくなってしまったのだが、仮に俺が正直に話していたら「会いませんか?」なんて訊かれもしなかっただろう。結局、どうやってもシロネコさんと会うことはなかったのかもしれない。


 ギルドに入ってから数年経った頃にメンバーが増え始めて、毎日のように入団希望者が入ってくるようになった。賑やかになる分には良かったが、まーアレだ。ネットの世界にはいろんな奴がいるだろ? 言葉が汚かったり、最初からタメ口で馴れ馴れしかったり、作戦を無視して勝手に行動したり。そういう対応に困る人達もチラホラと入ってくるようになったわけだ。


 初期メンバー達とは長い付き合いだったから、変な人物が入ってくるとチャットの雰囲気が変わるのがよく分かった。皆、言葉を選んでいるけど、入ってきた人を追い出したいんだなって。


 そんなある日、仲の良いメンバーからメッセージが届いた。メッセージには通話アプリのIDが書かれていて、通話しながらクエストをやろうという話だった。通話しながらやるのは他のギルドでは普通のことだったし、アクションゲームだからクエスト中は文章を打つ暇がないし、実際に会話しながらの方が連携しやすいのは当たり前である。むしろ今までチャットだけでやってきたのが不思議に思っていたほどではあった。


 通話アプリで集まったのは初期メンバーや毎日ログインしている主力メンバーだけで、最初はメッセージ通りに通話しながらクエストをやっていた。ま、俺は喋らずに聞いているだけだったが。


 初期&主力メンバーが通話していることはギルドチャットの方では内緒にしていた。だから新しく入ってきた人や微妙な関係のメンバーは存在すら知らなかった。通話組ならギルドに変な人が入ってきてもチャットを通さずに自分達の好きなようにクエスト参加メンバーを決めて、そのまま行けたからある意味で避難場所みたいなものでもあったし、最初からそういう目的で通話組が誕生したのかもしれない。


 しかし、避難場所は次第に姿を変えていくことになる。


 こう言ってはアレだけど、当時のチャットに空気を読まないメンバーがいた。入団初日からやけに馴れ馴れしかったり、ちょっとしたミスでも「へた」とか書くような人で、正直俺はその人が苦手だった。


 そう思っていたのは通話組の中にもいたようで、通話中にその人を名指しして「アイツうざくね?」と言った。その一言から「あの人、ちょっと発言がアレだよね」「前から思っていたけど、皆も同じか」「俺だけじゃなかったのか」と同調する声が上がっていった。


 そして、ついにその人を追い出そうという話が出てきた。


 ギルドに所属しているメンバーは設立者の権限で追い出すことが出来るのだが、設立者であるリーダーは当時実生活が忙しく通話に参加していなかった。つまり、ゲーム内の機能を使わずに向こうから自主的にギルドを退団させようとしたのだ。


 それから通話組はチャットで遠回しに棘のある言い方をして煽ったり、クエストに誘って一人だけモンスターと戦わせてゲームオーバーにさせたり、様々なことをした。ゲーム内での反応を見て、通話で「効いているw効いているw」などと笑い、そのやり口は陰湿なイジメと変わりなかった。見ていて不快感を覚えたが、俺は自分の居場所を守る為に黙って見ることしかできなかったのは情けない話だ。


 しばらくしてその人がギルドに顔を出さなくなり、通話組は追い出すことに成功した。いろいろ思うことはあったが向こうにも非があったし、仕方のないことだと割り切ることにした俺は、また前みたいに純粋にゲームを楽しめる日々が戻ってくると信じていた。


 ところが、今度は別の新人の陰口が始まった。ターゲットにされた新人は特に問題を起こすこともなく、言動も普通だった。ただゲームを始めたばかりで少し下手だっただけだ。それを通話組は「下手くそすぎるw」とか「足手まとい」だとか馬鹿にし、ゲーム内でも新人が退団するまで揶揄い続けた。


 シロネコさんが入団したのは、それからすぐのことだった。


 俺は最初、シロネコさんのことを男だと思っていた。アバターはスキンヘッドの厳ついおっさんだったし、片目に傷があって見た目だけなら歴戦のプレイヤーって感じだった。


 でも、ただの初心者だった。


 初心者だったし、初心者でもやらないようなミスを連発して足を引っ張りまくっていた。まぁ、あんな見た目でめちゃくちゃ下手だったら通話組のターゲットになるのは自然な流れで、次はシロネコさんがターゲットになってしまった。


 ソロプレイじゃ勝てないモンスターにシロネコさん一人で戦わせたり、尻尾が弱点のモンスターなのに弱点は頭だとか嘘のアドバイスを教えたり、通話組はシロネコさんのことを揶揄い続けた。


 けれど、シロネコさんはミスするごとに「皆さんの足を引っ張ってしまってごめんなさい」「どうすれば上手くなれるのでしょうか」と反省しながら上手くなろうと頑張っていた。


 それでも揶揄い続ける通話組に嫌気がさし、俺は通話組から抜けてチャットオンリーに戻った。そこでシロネコさんの付き添いとしてクエストに参加し、出来る限りのアドバイスを彼女に送った。当時は男だと思っていたけど。


 白猫さんは俺のことを「煉獄騎士パラディンΩさん」とフルネームで呼び、たまに「煉獄戦士パラディンΩさん」などと間違えた時は何度も謝ってきた。アバターの見た目の割には言葉遣いが繊細で、ギャップの違いが個人的に好きだった。


 シロネコさんはもの凄いスピードで上達していき、ついにソロプレイで倒せる中で一番強いと言われているモンスターすら倒してしまった。その時に「煉獄騎士パラディンΩさんがアドバイスしてくれたおかげです! 嬉しくて手が震えちゃっています! 強くなるとこんなに楽しいんですね!」と言ってもらえたのが今でも印象に強く残っている。


 その後、リーダーが結婚を機に引退し、ギルドは解散。チャットにいた人達も実生活を優先したいといった理由で引退し、通話組は新しいギルドを設立したようだが俺は入らなかった。


 俺は転々と様々なギルドに入団したが、どこも馴染めず、楽しいと思えなくなっていた。居場所がなくなった。必要とされていたのは煉獄騎士パラディンΩであって坂上優希ではない。ゲームの世界でしか必要とされない自分が滑稽に思えて仕方なかった。


 残ったのは何もできない自分だけ。食って寝てを繰り返すだけの日々。俺が無駄な時間を過ごしているうちにギルドにいた仲間達は現実世界の友達や家族と楽しんでいる。俺のことなんて忘れて、現実世界に生きているのだ。


 だからこそ、シロネコさんからメッセージが届いた時は嬉しかったんだ。


 俺のことを覚えている人がまだいたことが嬉しかったんだ。


 シロネコさんとのやり取りは本当に楽しかった。チャットでは話せなかったこともあったし、二人でクエストに行くこともあった。寒くなってきましたね、とか些細なメッセージを送り合えることが幸せだったんだ。


『ギルドにいた方々には男だと言っていましたが、実は女なんです』


 シロネコさんが女性だと知った時は驚いた。それまでのやり取りで嘘をつく人間でないことは知っていたのに、冗談を言っているのかと本気で疑ったほど。いや、男だって嘘はついていたんだけれども。


 もんすたー☆はんてぃんぐを始めたのは友達を作りたかったから、とシロネコさんは言っていた。女性だと別の目的を持った人が近付いてくるかもしれないから男性だと嘘をついていた。他にも都内に住んでいることや何故ハンドルネームがシロネコなのかも教えてくれた。ハンドルネームは確か、子供の頃に飼っていた猫が白かったから、という理由だったはずだ。あと一応言っておくが、俺は煉獄騎士や聖騎士を飼ったことはない。


 女性であることを俺に打ち明けたシロネコさんは半年後に「実際に会いませんか?」と訊いてきた。それはつまり、俺のことを完全に信用してくれていたということである。


 もうその頃にはシロネコさんに恋をしていたからそりゃ会いたかった。でも、俺は東大卒の一流企業に勤めている年収二千万円の男ということになっている。向こうはフェラーリに乗って来ると思っているかもしれない。実際はママチャリか、普通に電車を使うかのどちらかなのに会えるはずがない。


 でも、悩んでしまった。


 本当のことを打ち明けてしまおうか悩んでしまった。


 打ち明けると言っても、それは嘘をついてごめんなさい的な打ち明けではなかった。誰か一人でもいいから素の自分を知ってほしかったのだ。無職でひきこもりな自分に慰めの言葉をかけてほしいという弱音を吐く意味での打ち明けるだ。


 当然、いきなりそんなことを打ち明けられたら困るだろう。けれど、当時の俺は今以上に拗らせていてシロネコさんなら受け入れてくれるんじゃないかと思ってしまった。今まで我慢して弱音を吐かないで生きてきた。一度くらい弱音を吐いても許されるんじゃないか、と。


 結果的に俺はシロネコさんの誘いを断ったが、どちらに転んでもおかしくなかった。苦渋の選択の末に踏み止まれたのは奇跡だった。


 こんな俺に会いたいと言ってくれたシロネコさんの誘いに応えられない自分が情けなくて、そこでようやくひきこもり生活を続けてきたことに後悔をした。


 せめて仕事に就いて、それからシロネコさんに会おうと決意したのはその時だ。


 意外にも決意を固めてから行動するまですんなりいった。何度も落とされまくったけど、シロネコさんに会う為なら何度でも這い上がろうとした。


 結局、就活活動するのにも金がかかってコンビニバイトを始めたが、俺にとっては大きな一歩だった。シロネコさんがいなかったら踏み出せなかった。


 それを両親に「二十六にもなってアルバイトなんて」と罵倒にされ、シロネコさんの方からもメッセージが減っていたこともあって、メンタルが不安定になった俺はつい「会えませんか?」と送ってしまった。


 告白するつもりも、弱音を吐くつもりもなかった。


 どちらもシロネコさんを困らせるだけだから、言わないつもりだった。


 ただ一言、お礼が言いたかった。


 今になって思えば、酷く自己満足な感謝を伝えようとしていたもんだ、と呆れる。


 でも、シロネコさんから返信が来ることなく、もんすたー☆はんてぃんぐはサービスを終了してしまった。


 これでいい、と思った。きっと会っていたら黒歴史が一つ増えていただろう。急に身に覚えのないお礼を言われたってシロネコさんは困ってしまうだろう。


 俺はこの気持ちを心に秘めたまま墓まで持っていくつもりだった。


 それなのに風邪で倒れそうになった時、シロネコさんに会えるまで死にたくないと思ってしまった。しかも夢にまで出てきてしまった。


 ふと油断すると、シロネコさんは今どこで何をしているんだろう、と考えてしまう。


 我ながら未練たらしくて気持ち悪い奴だな、と天井を眺めながら、ため息をついた。

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