第5話 100万円デートの終わり

 ファミレスにいた一時間半、ただスマホをいじっていたわけではない。こういう展開になっても問題がないように次に行くお店を決めていた。


 詩織さんを連れて向かったのは、女性に大人気のパンケーキ屋。


 店の前には列が出来ていて、若い女性集団やいちゃつきカップル、親子連れが並んでいた。その後ろに俺達も並び、気まずくならないように話しかけてみる。


「勝手に連れてきちゃいましたけど、詩織さんは甘いもの大丈夫ですか?」


 詩織さんは無言でこくこくと縦に頷くだけ。その後も「普段はこういうお店行かれるんですか?」と訊けば首を横に振り、目を合わせようとはしない。俺も内心余裕がなかったから何も言わなかったが、100万円受け取ったのなら彼女らしく演じてほしいと正直思った。


 列と言ってもそこまで長い列ではなかったから、十分ちょい待つだけで席に着けた。店内は白を基調とした二十八の男が入るには場違いに感じるほどオシャンティーな空間で、美術大学出身の意識高い系がデザインしたような感じだった。つまり超オシャレ。いろいろな方向を向いたスポットライトや天井にくるくる回るプロペラあるし。


 俺と詩織さんはイチゴとブルーベリーが乗ったパンケーキを頼み、しばらくして予想していた倍の大きさがあるパンケーキが運ばれてきた。生地は「アメリカンなステーキかよ!」とツッコミたくなるほど厚く、ホイップクリームは山盛り。見ているだけで胸焼けしそうだったが、周りのインスタ女子達はパシャパシャと写真撮って平然と食べている。


 チラッと詩織さんの表情を確認してみると、無表情ながらも口元をゆるめているように見えた。これは喜んでいるということでいいのだろうか。


 お互い「いただきます」を口にしてからは無言になり、黙々とパンケーキを食べていく。ホイップクリームにブルーベリーソースがかかっていて、酸味のおかげで甘ったるくならない。生地はふわふわしていて、なかなか美味しい。……やべ、食べる前に写真撮り忘れた。


「これ、美味いですね!」


 なんとか会話を増やそうと試みるが、相変わらず詩織さんは無言で頷くだけ。目も合わしてくれず、無愛想すぎる。それでもパンケーキを頬張っている姿を見ているだけで目の保養になるから美人って凄い。


 結局、会話が弾むことなく食べ終わり、店を出た。


 午後一時。行き先も決まらず、スマホをいじりながらぶらぶら街を歩く。どこを歩いても視線が俺の方に集まる。正確には俺ではなく、詩織さんに集まっているわけだが。もし周りの視線を集めるようなめっちゃ可愛い彼女ができたら、優越感に浸れるんだろうな、なんて男なら誰でも一度は考えそうなゲスい妄想をしたことはあったが、実際体験してみると視線がめっちゃ怖い。殺気を感じる。マジで俺、生きて帰れんのかな。


 とは言え、手を繋いでなければ会話もない。殺気は気のせいで、俺は詩織さんと同じペースで近くを歩く通行人Cみたいなものかもしれない。一応、100万円払って恋人を依頼しているんだぜ? そろそろ理想の恋人を演じてくれてもよくない?


 詩織さんに直接言う勇気も視線に耐えれる精神力もなく、俺はスマホで次の行き先を急いで探した。


 そして向かったのは、映画館。


 映画は一人で観るものと二十八年間言い続けてきた俺だったが、さっきから詩織さんに気を遣いすぎて疲れた。一度、休憩を挟みたい。


 それに見終わった後に映画の感想を言い合えるかもしれない。映画を見ながら脳内で、これからの作戦を立てるのも良さそうだ。


「何か気になる映画ありますか?」


 詩織さんは首を横に振り、長い髪がゆらゆら揺れた。


 俺も特に見たい映画がないし、詩織さんがどういう映画を好むのか分からない。上映スケジュールを見ると、明らかに女性ウケしそうな恋愛映画もやっているようだが、お涙頂戴モノらしくてそういうのに弱い俺は映画館では見ないことにしている。カブトムシがクリスマスまで生きようとする変わった映画もやっていたが、詩織さんが虫嫌いである可能性を考慮して候補から外した。


 なんやかんやで無難そうなSF映画のチケットを買い、ポップコーンを持って座席に着く……までは良かった。


 結論から言おう。


 酷い駄作だった。


 説明は入ってこない、CGはショボイ、棒読みすぎる。どこを切り取っても酷かった。


 これが仮に仲の良い友達と観に行ったのなら、「酷い映画だったwww」「金返してくれwww」と逆に盛り上がりそうだが、俺にはそんな友達はいないし、今日横にいたのは詩織さんだ。何が言いたいかと言うと、もの凄く気まずい。映画が終わった瞬間、斜め前に座っていた高校生ぐらいの男の子が「俺の千五百円返してくれー!」と連れに向かって叫んでいた時は全身から血の気が引くようだった。


 俺はなんとか映画を褒めようとして「主題歌良かったっスね……」と呟くように言った。それしか言えることがなかった。


 詩織さんは「そうですね」と一言だけ。まぁ、そうなるよな。


 映画館を出たのは午後三時半。その後もプラネタリウムや美術館などを見て回ったが特に進展はなく、星座の知識とよく分からない絵が記憶に残っただけだった。


 あっという間に時間は過ぎ去り、気付けば午後八時。


 高層ビルの中にあるフランス料理店で肉料理を食べ終えて食休みをしていた。


 もう少しでデートが終わる。特に何時解散とか決めてなかったけど、多分終わる。「寂しい」よりも「やっと解放される」という気持ちが強い。朝から気を遣ってばかりだった。空回りしていたし。


「すみません。お手洗いに行ってきます」


 そう言って詩織さんが席を離れ、俺はフーと大きなため息を吐いた。


 いやぁ、ついに解散かー。パンケーキは一人だったら行けなかったし、映画館で食べたポップコーンも美味しかった。プラネタリウムは綺麗だったし、美術館はなんかよく分からない絵が凄かったし、何より人生で初めて女の子とデートできた! 100万円払った甲斐があったなー!


 んなわけあるか!


 恋人らしいことを何かやったか? 何もしてないぞ!


 本当にこれで終わりなのか? 「私なら貴方の理想の彼女になれます」ってなんだったんだ!?


 いや、俺自身も理想の彼女象がぼんやりしているし、具体的な希望を伝えていないから詩織さんが演じられるわけがないんだけどさ。それでも目を合わさず、会話のキャッチボールが続かないってのはどうなんだ。普通のデートなら口下手で男なのにエスコートできない俺が責められても仕方ないけど、こっちはお金払っているんだぞ。それも「お金払っているから言いなりになれ」とかそういうんじゃなくて、最低限でいいから恋人を演じてほしかったと言っているんだ。100万だよ? いくら俺が生理的に受け付けなくても、もうちょっとなんかあっていいだろ……。


 そんなことを脳内で愚痴っている内に以前、SNSで見かけた書き込みを思い出した。若いイケイケな女性が「パパと映画見たら、お小遣い貰ったー」と分厚い札束の画像と一緒に書き込んでいて、俺はそれに衝撃を受けたことがあった。札束は100万以上あるように見えたし、パパというのは親子的な意味ではない。見知らぬ金持ちの男性と映画を見るだけで100万円手に入るってどんだけ人生イージーモードなんだよ、と嫉妬したほどだ。


 今の状況はまさにそれと同じなんじゃないか。詩織さんにとって100万円なんて端金で、俺はただのカモだったとしか思えない。でなければ、恋人役を演じるのにあんな無愛想キャラでいるはずがない。というか演じてすらいない。


 なんだか自分が凄く惨めに思えてきた。あんな書き込みをしている時点で自覚はしていたが。周りにいるカップルとかお金払わなくても付き合っているんだぜ? それに比べて俺は100万払って手を握るどころか会話も満足にできていない。恋人代行サービスの方が安かったし、こんな俺相手でも上手くカバーしてくれたはずだ。


 その時、詩織さんが座っていた方から何かが落ちる音がした。


 下を見てみると、詩織さんの持っていた白い高そうな鞄が落ちていた。椅子に置いてあったのが落ちたのだろう。鞄から100万円入った封筒が飛び出ている。


 トイレの方を見るが、詩織さんが戻ってくる気配はない。今なら封筒を持って、逃げることができる。その後どうなるのかは想像つかないが、これを逃したら100万円は二度と戻ってこないだろう。


 なんて一瞬考えたが、チキンな俺が実行できるわけがなく、封筒を鞄の中に戻そうと席を立つ。封筒以外にもいろいろと出ていたので、それらを一つずつ拾っていく。しかし、どれも見覚えのある紙だった。


 よく見てみると、見慣れた催促状だった。送電停止予告書や供給停止予告書といった〇月〇日までに支払わないと電気やガスが止まりますよってやつ。


 どうやらお金に困っていたのは本当らしい。催促状を見て、ますます持って逃げる気がなくなった俺は100万円取り戻すことを完全に諦めた。SNSで見たイケイケな女性みたいな人に渡すよりはマシか。


 俺の予想通り、店を出て駅前で解散することになった。


「今日はありがとうございました」とは言ったものの何に対して礼を言ったのか自分でも分からない。詩織さんも小さな声で「ありがとうございました」と言って小さく頭を下げた。


 詩織さんと別れて、俺は改札の方へ歩いていく。


 あれで100万か。そうか、俺は100万失ったのか。


 別れた途端に、これが現実だと実感し始めて足が震えてくる。


 改札の前で別れのキスをしているカップルを見て、酷い自己嫌悪に襲われた。涙が出そうになった。別に詩織さんが悪い訳じゃない。言いたいことをハッキリ言わない俺が悪い。100万失っても何も変わらず、流されるままに身を任すだけ。結局、自分は何をやっても駄目な奴だな。


 涙を拭って改札へ歩き出そうとした瞬間、後ろから手を掴まれた。


 振り返ってみると、そこには詩織さんがいた。


 え? 別れのキスしてくれんの?


 俺は気が動転して、そんなことを一瞬考えてしまったが、当然そんなことはなく、泣きそうな顔をしている詩織さんに「どうしたんですか?」と尋ねた。


「……なさい」


「はい?」


「ごめんなさい!」


 その瞬間、詩織さんの瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。


「え? え? いや、どうしたんですか。泣かないでくださいよ」


 慌ててハンカチを差し出すが、詩織さんは小さな子供のようにわんわん泣き始めて周りの視線を集めてしまう。傍から見たら俺が泣かしているようじゃないか。


 大泣きしている詩織さんを連れ、人目につかない場所を求めて移動した。けれど、渋谷なんて大体どこにでも人がいるので、出来るだけ周りに人がいないベンチを探した。


 駅から離れた場所にあったベンチに座った頃には、泣いていた詩織さんも少し落ち着いて喋れる状態になっていた。まだひくひくしているけど。


「あの……大丈夫ですか?」


 俺の言葉に無言で頷いた詩織さんは鞄から100万円入っている封筒を取り出した。


「これ……お返しします」


「へ?」


「私……彼女らしいこと全然できなかったので……」


 あ、自覚あったんだ。でも、なんでこのタイミングなんだろう。


「いやいや、そんなことは…………あったかもしれないですけれど……」


 流石にアレで彼女を演じていたと言う方がおかしいよな……。


「ごめんなさい……。私、本当にお金がなくて……」


 鞄から催促状を取り出す詩織さんに「さっき見た」とは言えず、驚いたフリだけしておいた。もしかしたら詩織さんはデート中(と言えるのか知らんけど)ずっと100万を返そうか悩んでいたのかもしれない。


「だから、お金が欲しくてあのメールを送ったんですね」


 俺がそう言うと、詩織さんは「そうじゃないんです」と答えた。


「違うんです……。私、メールを送った記憶がないんです……」


「送った記憶がない? それってどういうことですか?」


 詩織さんは顔を赤くしながらモジモジと答える。


「昨夜、お酒を飲んでいたんですけど、飲み始めてから朝起きるまでの記憶が抜け落ちていて……」


 ひょっとしてそれって。


「朝になってから1さんとのメールを見て……そのつまり、あのメールは酔っていた私が送ったもので記憶に……」


 詩織さんも酔っていたんかい!


「じゃあ、記憶にないメールのやり取りで会いに来てくれたんですか?」


「はい。悩んだのですけど、約束してしまったのとお金に困っていたこともあって行くだけ行ってみようかなって。それで実際に1さんとお会いしたら優しそうな人だったので、彼女役を引き受けてみようと頑張ったのですが……何もできなくて……本当のことも言い出せなくて……」


 なんてこった。俺が思っていた以上に気まずい状態だったのか。


「……私、高校の頃からひきこもりなんです。男の人と会話するのも数年ぶりでうまく喋れなくて。朝出る時に1さんの書き込みを読んだのですが、私も同じようなものなんです。きっと酔っていた私がメールを送ってしまったのは1さんと似ていたからだと思うんです」


「あれ? 大学に通っているって言っていませんでした?」


「……ごめんなさい。あれは嘘で大学には通っていません」


 なるほど。だからあんな自信のあるメールを送ってきたのか。なんだか親近感が湧いてきた。


「そうだったんですね。それはなんていうか変な事に付き合わせてしまい、申し訳ない」


「いえ、謝らなくてはいけないのは私の方です。本当にごめんなさい」


「……実は俺もあの書き込みは酔った勢いで書いてしまったもので本当は100万円出すのは難しかったんです。なのに俺も言い出せないままズルズルと……こちらこそごめんなさい」


 そう謝ると、詩織さんはぽかんとした顔をした後、控えめな笑みを見せた。その笑みがめちゃくちゃ可愛くて数秒見惚れてしまった。


「帰りますか」と俺が言い、「そうですね」と詩織さんが答えた。


 何はともあれ100万円は戻ってきたし、本当のことを言えたのは良かった。


 だが、


「でも、お金の方は大丈夫なんですか? さっきの催促状ですよね?」


「大丈夫……ではないんですけど、なんとかしてみます」


 その言葉が大丈夫でない人が言う台詞なことはよく知っている。俺もひきこもりになる前は全然大丈夫じゃないのに無理をしてきたから。


「その、流石にあげることは難しいですけど、貸すことぐらいならできますよ」


 封筒を差し出すと、詩織さんは困惑した表情で「それは悪いですから」と断ってきた。でも、俺が封筒を引っ込めずに「すぐに使う予定ないので」と言うと、両手で封筒を受け取った。


「これから仕事を探しますし、返すのが遅くなってしまうんですが……それでも大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ。余裕ができた時に返してもらえれば」


 詩織さんは俺の右手を両手で握り、「ありがとうございます」と何度もお礼を言った。女の子の手ってこんなにも柔らかいのね。


 それから詩織さんの家の話を聞きながら駅まで歩いた。詩織さんは高校でいじめに遭い、ひきこもりに。昔は裕福な家庭だったらしいが、父親がリストラに遭い、両親が離婚。母親に引き取られてからもひきこもりを続けてきたが、今年に入って母親が倒れて収入がなくなり、生活費や医療費は家にあった貯金でなんとかしていたとのこと。しかし、ついに貯金が尽きてしまい、誰にも相談できず一人で悩んでいたそうだ。そして酒を飲んで現実逃避していたところに俺の書き込みが、ということだった。


 お金ができたら、すぐにメールを送ることを約束し、その日は詩織さんと別れた。


 一時はどうなることかと思ったが、久しぶりにバイト以外で人と話せたし、普段行かないような場所にも行けて充実した一日だったと言えるかもしれない。


 詩織さんも頑張って働くと言っていたし、俺もなんだか頑張れそうな気がしてきた! 明日から俺も頑張るぞ!



 ――能天気だった俺は翌日、詩織さんとの唯一の連絡手段であるスマホが壊れるとは微塵も思わなかった。


 そりゃそうだ。俺、超能力者じゃないし。

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