第4話 さらば、100万円

 今更だが、俺が望んでいるデートとは一体どんなデートなのだろうか。


 彼女ができたらやりたいことはいくらでも思いつく。けれど、一日で出来る範囲に絞るのは難しい。それも100万円失うかもしれないデートなら悔いの残らない選択をしたい。


 映画館は一人でも観れるし、ゲームセンターやカラオケは子供っぽいし、スカイタワー的なところから夜景を眺めるのは俺のキャラとして合ってないし、浜辺で名前を呼び合って追いかけっこするのは恥ずかしい。


 なかなか難しい。酔った勢いで、あんなことを書いてしまったが、昨夜の俺はどんなデートを望んでいたのか。多分、何も考えていなかったに違いない。


 少なくとも「初対面の女性とファミレスに入って一時間以上ほぼ無言でスマホをいじり続けるデート」という現在の状況は望んでいなかったはずだ。


「あ、あの詩織さんはどこか行きたいところとかありますか?」


「……特にないです」


「あ、そうですか……」


 めちゃくちゃ気まずい。ちょくちょく目が合う度にお互い視線を逸らしているし、会話も弾まない。


 デートの予定を立てる為にファミレスに入り、ドリンクバーだけ注文。それから一時間経つが予定が決まらず、ほとんど無言のまま時間が過ぎていく。詩織さんは『私なら理想の彼女になれます』と書かれたメールを送ってきた人物とは思えないほど何もせず、目の前に座っているだけで、彼女どころか友達とも言えない他人のような距離感がある。


 いやね、仮にも100万円払って依頼している身だし、普通は俺が場所を決めるべきなんだろうけど、詩織さんの情報が少なすぎてどうすればいいのか分からない状態なの。そもそも異性とデートなんて初めてだし。


「今日はよろしくお願いします。予定を立てる前にお互い軽く自己紹介をしておきましょうか。自分は掲示板に書いた通り、二十八歳で都内に住んでいます」「詩織です。二十一歳。都内に住んでいます」「あーやっぱり若いんですね。二十一歳ということは大学生ですか?」「…………(無言で頷く)」「サークルとか入っているんですか?」「え? サークル……」「…………(訊いてまずいことだったかな)」「…………」「あ、えー……っと、趣味とかありますか? 自分は漫画とかアニメ好きなんですけど」「……ピアノ」「あ、あー! ピアノ弾けるんですか! どんな曲を弾けるんですか?(やべぇ、ピアノとか言われても分かんねぇよ)」「……いろいろ」「……た、沢山の曲を弾けるなんて凄いですね! ……えっと、動物とか好きですか?」「好きか嫌いかで訊かれたら好きです」「な、なるほど……じゃあ魚は好きですか?(好きだったら動物園に行こうとしたけど微妙そうだな)」「魚は焼き魚が好きです」「……そうですか(いや、訊いたのは食べる方じゃなくて……)」「…………」「…………」


 以上がこれまでの会話である。


 つまり、詩織さんは都内に住んでいる二十一歳の趣味がピアノで色々と弾けて好きか嫌いかで訊かれたら好きな程度の動物好きで刺身より焼き魚派の女性ということだ。さっきから思っていたことだが、メールを読んだ時に予想した年齢よりも若くて結構驚いている。


 うーむ、どうすれば喜んでもらえるのか……。ピアノと言われてもコンサート会場なんて行ったことないし、話せるようなネタもない。ピアノが置いてある場所で俺が案内できるといったら家電量販店のピアノ売り場くらいだ。魚もこの数年間、家で魚肉ソーセージしか食べていなかったから店なんて案内できない。


 というか何どこかに行こうとしているんだよ。ちょっと気が緩んで「こんな美人とデートできるのなら100万円くらい安いか」なんて考えてしまったが、目の前に座る詩織さんはメニュー表の裏にある間違い探しをしていて会話する気ゼロだし、本当にこのままだと100万円取られるだけで終わるぞ。いつか言わなきゃいけないのだから、早く言った方がいい。


「その100万円のことなんですが……」


「1(イチ)さん!」


「は、はい?」


 いきなり俺の声をかき消すような声を出すからビックリした。


「今日はその、ありがとうございます。……お金に困っていましたので助かりました」


「え? あ、はい」


 駄目だ。返してなんて言えない流れになっているよ、完全に。少なくともチキンな俺には無理、絶対に無理。普通の会話すらまともにできないし、なんなら詩織さんの方を見ることすらできない。目を合わせられず、視線を落としたら落としたで胸をガン見する変態野郎になってしまうからだ。


 それにここで返してほしいと言い出してモメるのは嫌だし、警察が介入してくるような事態になったら勝てる気がしない。俺と美人の言い分をどちらが信用するかって話だな。まぁ、元々使い道がなかった金だし、生活費もギリなんとかなるはずだ。デートさえ出来れば、もうそれでいいんじゃないか、と投げやりになりながら考える。


 まずは冷静になって状況把握だ。もう100万円は戻ってこないものだと覚悟しておいた方がいい。戻ってこないのなら、せめてデートくらい楽しみたい。酔っていても俺は俺のようだ。気が緩んでなくても「こんな美人とデートできるのなら100万円くらい安いか」ってすんなり受け入れる気がする。どんだけ人恋しんだよ、俺は。


 詩織さんの発言や態度からして最初から100万円が目当てだったんだろうけど、不思議な力がこもった壺とか馬鹿高い絵の話は出てこないし、モヒカンやウーパールーパーおじさんが出てくることもなさそうだ。本音を言えば、お金が目当てではなく純粋に同情してもらいたかったのだが、あんな掲示板の書き込みに同情して、さらに俺の彼女役という罰ゲームみたいなことを引き受けてくれる女性なんてこの世にはいないだろう。そう考えると、100万円払うのは妥当な気がしなくもない。


 しかし、詩織さんがお金に困っているというのは意外だ。気品ある見た目だし、〇〇を殺す服もなんだか高そうに見えるのに。つーか、単にそういう貧乏設定で俺が騙されているだけな気も……いや、深く考えないでおこう。


 散々自分に言い聞かせた結果、俺は深呼吸してから心の中で100万円にお別れを告げた。


 100万円貯まった日、俺は奮発して買ったコンビニのケーキを食いながら何度も札束を手に取ってほくそ笑んだ。何か辛いことがあった時も家に帰れば100万円があると心の支えになってくれていた相棒。人恋しい夜は100万円を枕元に置いて一緒に寝た。お前と過ごした日々、俺は忘れないぜ……一週間だけの付き合いだったけど。


「詩織さん、どこか行きましょう」


 覚悟を決めて勢いよく立ち上がった俺の声にビクッと体を震わせた詩織さんを連れてファミレスを出る。


 こうなったらヤケクソだ! 今日を人生で一番楽しかった日にしてみせる!


 ……今日が最高潮なの、俺。

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