第3話 触らぬ神に祟りなし

 なんとか十時前にハチ公前に辿り着いた俺は詩織さんにメールを送った。


『もう少しで待ち合わせ場所に着きます。詩織さんはもう着いていますか?』


 まずは様子見のメールだ。下手に着いたとは送らず、先に相手を視認したい。どんな人が来るのかも分からないし、そもそも本当に来るのかも分からないからな。


 もしかしたら詩織さんという人物は実在せず、待ち合わせ場所にいる俺を写真で撮って「こいつマジで来やがったwww騙されてやんのwww」的な悪戯の可能性もあり得る。だから、とにかく向こうの姿を確認するまで慎重にやり取りしなければ駄目だ。


 そんなことを考えているうちにメールが届く。


『ハチ公前にいます。


 服装は白いブラウスに、黒いスカートを履いています。』


 …………ブラウスってなんだっけ?


 オシャンティーなファッションに全く無知な俺はスマホでブラウスを検索して知識が一つ増えた。へぇ~。


 ハチ公前には多くの人が誰かを待っているかのように立っていたが、詩織さんを見つけるのは簡単だった。というか探さなくても目に入ってしまう。


 あまりにも詩織さんの服装が目立っていたからだ。


 実際に見て思い出した。昔、ネットで流行っていた〇〇を殺す服っていうアレだった。


 何より詩織さんの見た目が綺麗すぎる。童顔に綺麗な黒髪ロング、白くて細い腕、スラっとした長い足。あんな美人がこの世にいるとは思わなかった。あとでかい。身長の話じゃなくて。


 俺は詩織さんを見て、思った。


 ――帰ろう。


 いや、だってよ? あんな綺麗な人がわざわざ掲示板を見て、メールを送って、人と会うとかありえる? ないない、絶対にない。100万円が目当てだとしてもだ。あのレベルなら簡単に男からそれ以上に貢いでもらえそうに思う。


 少なくても俺が無償で関われる相手ではない。それどころか100万円取られた後に追加で胡散臭い壺や意味不明な絵を買わされるのが目に見えている。


 あとはアレだ。裏路地に連れていかれると知らない男が出てきて怖い思いするアレだよ。


 タンクトップ着ていて、頭はモヒカン。腕はゴリラみたいに太くて、パンダの目元みてぇなサングラスをかけていて、くちゃくちゃと噛んでるフーセンガムを三分に一回くらい膨らませるようなにぃちゃんとか、指の数がウーパールーパーなおじさんとか出てくるんだぜ、きっと。(※ウーパールーパーは前足だけ指が四本)


 仮にモヒカン野郎が出てきて、「俺の女に何手ェ出してんじゃゴラァ!」って因縁つけられたら一巻の終わりだ。七年以上ひきこもり生活を送っていた俺の力では、サングラスかフーセンガムのどちらかを割れれば善戦した方だろう。間違いなくギャグ漫画みてぇにボコボコな顔になるぜ、俺が。ちなみにウーパールーパーおじさんは銃を持っていそうなイメージ。


 ――触らぬ神に、


 ――祟りなし。


 俺は話しかけずに帰ることにした。流石に謝罪のメールは送るけど、罠だと分かりながら直接話しかけるわけにはいかない。勇気と無謀は違うってやつだな。それにチキンな俺にしてはリア充の巣窟である渋谷に来ただけ頑張った方だって。


 しかし、足が止まる。


 もし……もしもだ。あの詩織さん(仮)が本当に俺のことを心から心配してくれる天使のような女性だったとしたら……。


 いやいや、それはありえない。ありえないはずなんだ。


 でも、可能性を捨て切れない。金目当てで、あの長いメールを打てるとも考えにくい。文字数とかそういうのじゃなくて内容的にも。


 本当にあの掲示板の書き込みを見て心配してくれるような聖母マリアみたいな女性なのではないか。だとしたら、俺が来るまであそこでいつまでも待ち続けるだろう。雨の日も雪の日もずっと待ち続けて、いつしかハチ公の横に詩織さん象が……それはないな。


 俺は迷いに迷った。メールに書かれていたことが真実だとしたら、メールではなく直接謝罪をしたいし、するべきだ。っていうかもう悪戯でも詐欺でも俺みたいな根暗野郎の書き込みに反応してくれただけありがたく思えてきた。


 悩んだ末、詩織さんに話しかけることに決めた。やはり来てもらったからには謝らねば。交通費やランチ代くらいは払うつもりだったし、ビンタも覚悟している。小鹿みたいに震えた足で、詩織さんの前へ歩いていく。……覚悟できてねぇ。


「あ、あの!」


 緊張して変に上ずった声が出てしまう。遠くから見るのと近くで見るのとでは全然違う。間近で見る詩織さんは色白でふわりとした雰囲気に包まれた品のあるフランスとかで売っていそうなお人形さんのような……つまり一言でまとめると、すげー美人だった。


「詩織さんですか?」


 俺が訊ねると、詩織さんは「はい」と肯き、ほんの少しだけ安堵したような表情を見せた。


 よし、言うんだ。「掲示板に書いたことなんですけど、アレは酔った勢いで書いてしまったもので……自分はコンビニバイトですし、100万円出せるほど余裕はないので、本当に申し訳ないのですが、恋人の件は無かったことにしてもらえませんでしょうか?」と土下座に限りなく近い姿勢で早く言うんだ。


 しかし、口が動かない。緊張しすぎだろ、俺。


 俺が言葉に詰まっていると、詩織さんが右手を差し出してきた。これは手を握りましょうってやつか? この手を握ってしまったら恋人役スタートで100万払うことになるのでは? 絶対、握ったら駄目だ。早速、恋人役を演じようとする詩織さんに慌てて、勢いで口を動かす。


「えーっと、掲示板に書いたことなんですが……」


 俺がそう言いかけた時、詩織さんの口が開いた。


「……お金」


「はい?」


 無表情の詩織さんは目を少しだけ細めて、警戒しているような眼差しでこちらを見てくる。


「失礼ですが本当に100万円を支払っていただけるのか、最初に確認させてもらえませんか?」


 ……どうやら差し出された右手は「100万円見せろ」ということだったらしい。


 鞄から100万円が入った封筒を詩織さんに見せた。この貯めた100万円は普段から銀行に預けずに押し入れの奥底に隠していた。今日持ち出したのは交通費やランチ代で納得してもらえなかったらもうちょっと多く支払って許してもらおうと考えていたのと、なんとなく100万円持ってきていた方が誠意があるように見えて許してもらえそうと思ってしまったのが理由だ。でも、全部持ってくる必要はなかったな、と今になって怖くなってきた。


「この100万円のことなんですけど、実は……」


 封筒を見せながら話していると、いつの間にか俺の手から封筒は消えていた。消えた封筒は詩織さんが持っており、一万円札の枚数を数え始める詩織さん。


「あのすみません。その100万円は……」


 俺が慌てて止めようとしたが、「今数えているので待ってください」と言われ封殺されてしまう。お願いだから最後まで言わせて。


「……確かに100万円いただきました」


 詩織さんはそう言って、手に持っていた白い高そうな鞄に封筒ごと100万円をしまってしまった。


「今日一日よろしくお願いします」


 小さく頭を下げる詩織さんにつられて俺まで「よろしくお願いします」なんて言いながら会釈しそうになった。俺は冷や汗を流しながらビジネスライク感半端ない詩織さんを見て、思った。


 ――これ、話しかけてはいけなかったやつだ。


 RPGでセーブせずに話しかけたら中ボス的な立ち位置の戦闘が始まった的なアレに近い。「セーブせずに話しかけたのはミスだった」とか思ってしまったほどには頭が混乱している。落ち着け、俺。現実世界にはセーブ&ロード機能はないし、コピーバグも無限増殖バグもない。


 とにかくだ。


 ――俺の100万円返して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る