第2話 100万円くれ
朝になって起きたら、見知らぬアドレスからメールが届いていた。
『100万円くれ』
件名には、そう書かれていた。
「……なんだこれ?」
寝起きの声が漏れた。
通販サイトからしかメールが届かない俺のスマホに知らない奴から「100万円くれ」と書かれたメールが届いているのは理解できる。ただの迷惑メールだ。
しかし、他にも「書き込み見ました」とか「100万円ほしいです」とか「恋人になります」とか「どうしても100万円ほしいんです。お願いします」とか「馬鹿なことしてないで病院に行け」とか「夫の金を使ってしまって100万必要なんです」などなど、結構な数のメールが届いている。
最近の迷惑メールは100万円を強請るのがブームなのか。いやいや、そんなことはないだろう、と切れ味も面白味もないノリツッコミを脳内でしたところで、一旦落ち着く。
この量の迷惑メールはちょっとおかしいと思う。チラホラと書き込みがどうたらとか、掲示板がどうたらと書かれたメールを目にするし。
掲示板? 書き込み? 何のことだ?
そもそも昨夜の記憶がほとんどない。起きたのは布団の上じゃないし、テーブルにビールの空き缶が無数に転がりまくっている。こりゃ酔って寝落ちしたな。
普段ではありえない数の空き缶を見て、思い出した。
そうだ、昨日は『第五十六回 猛烈な人恋しさに襲われたからアルコールの力で追い払おうの会』を開いたのだ。参加者はもちろん俺一人。あと第五十七回だったかもしれない。
そうそう、それで酔って大泣きして横になって眠って……いや、違うな。酔って大泣きして横になってスマホいじって某大型掲示板を開いてスレ立てして……スレ立てして?
なんだか嫌な予感がしてたまらない。
スマホの閲覧履歴から某大型掲示板のスレを探す。探すというか一番上にあった。
『100万円差し上げますので、1日だけ恋人になってください』
そのスレを無言のまま読んでいく。
…………。
…………読んだ。
とりあえず、言いたいことがある。
めっちゃくちゃキモい。
なんだこのキモい文章は! しかも敬語なのが尚更キモい!
二十代後半の男が惨めな人生をべらべらべらべらと語るとこんな悲惨な文章が誕生するのか。ホムンクルス並みに生まれてきちゃいけないやつだろ、これ。こんな書き込みをする奴はとんだ恥知らず野郎に違いない。周りにこんな拗らせている奴がいたら俺なら間違いなく軽蔑するわ。
…………。
…………。
…………俺だ。
この超絶キモい文章を書いたのは間違いなく俺だ……。
そうだよ。酒に酔ったら余計に空しくなって、「どうにでもな~れ」な感じでスレッドを立てたんだ。俺の相棒である100万円を手放して、最期に理想の恋をして死ぬつもりで書いたんだった。
恥ずかしい。匿名だろうと恥ずかしい。今すぐ泡になって消えてー……俺は人魚姫か。
恐る恐るスレッドにレスされた書き込みを見てみる。
『長い 三行にまとめろ』
長いのは認めるが、お前は自分の人生を三行でまとめられるのか。
『100万払えるならこんなところで募集せずに大人の店に行け』
ごもっともだと思う。けれど、それはなんか違うんだよ。真実の愛っていうの? 俺が求めているのは(以下省略)
他にも「メール送りました」といった報告や「貴方はまだマシです。私なんて(以下省略)」といった不幸自慢デュエルを申し込んでくる奴、「考え直した方がいいって」と真面目に心配してくれている人、「あああああああ」と荒らしにきた暇人など、そこそこ書き込みがあったが恥ずかしくなって途中で読むのをやめた。
ひとまず俺は布団の上で奇声を上げながら転げまわった後、届いたメールを一通ずつ確認しながら削除していった。
大雑把に見た感じだと、恋人になるから100万円くれというメールが多かった。「お金に困っている」「奨学金を返すのに」などの同情を誘うようなメールもあって削除する度に心が痛んだ。四通くらい削除したところで耐えれなくなり、「すみません。あの書き込みは酔っぱらって書いてしまったものなんです」から始まる謝罪メールを送ることにした。
次に「病院で診てもらった方がいい」とか「旅行でも行って気分転換しろ」とか心配してくれるメールが多かった。これもわざわざあんなキモい文章を読んで送ってくれたのだから申し訳なく思う。「酒に酔っていてあんな書き込みをしてしまいました。今は大丈夫です。ご心配をお掛けして(以下省略)」的なメールを返しておいた。大丈夫ではないけれど。
あとは「私も同じような人生を送っています」といった貴方の気持ち分かりますメールがチラホラ届いていた。どれも「恋人になるから100万円くれ」的なことは書かれておらず、これらも心配して送ってくれたのだろう。俺は誠意を込めて返信していったが、「そんな私でしたが今では結婚して幸せな家庭を築いています。貴方も頑張ってください♪」的なことが書かれたメールに関しては即削除した♪
残りは「100万円くれ」しか書かれていないメールや見知らぬ通販サイト、またはアダルトサイトの登録確認メールぐらいだった。俺のアドレスで登録しようとした奴、誰だよ。
着々と返信&削除が進み、この調子で全て削除しようした時、手が止まった。
『私なら貴方の理想の彼女になれます』
件名に書かれたその一文に俺は目を惹きつけられ、本文を読み始める。
『初めまして、私は詩織といいます。
掲示板を拝見してメールを送らせていただきました。
1さんは心優しい人だと思いました。イジメを庇ったことで酷い目に遭い、ご両親に心配をかけないように耐え忍んで、誰かの為に一生懸命頑張ってきたことが文章から伝わってきました。
助けてくれる人が1さんの周りにいなかったことが残念で仕方ありません。もう少し早く誰かに助けを求められなかったのかと、どうしても考えてしまうのです。
だからこそ1さんのことが心配になり、メールを送らせてもらいました。
差し出がましく思われるかもしれませんが、このままでは1さんの求めている女性は現れないと私は危惧しております。そのことについてはご自身がよく分かっているかと思います。
近頃はレンタル彼女と呼ばれる恋愛代行サービスが存在するようですね。代行するキャストの方にお願いすれば、それに合わせた彼女を演じてもらえると思います。それでも大金を支払う必要のないお店ではなく、掲示板で募集をかけたのは心から救いや理解を求めたからではありませんか?
これも私なりの解釈ですが、1さんは世の中に絶望して誰も信じられなくなっているようにお見受けします。ご自身も書かれておりましたが、ご両親にイジメのことを話して何も改善されなかったことで、何をしても無駄だと諦めてしまうようになってしまったのではないかと。
1さんが私の想像している通りの人物であれば、理想の女性が現れるのを期待するほど前向きな考えを持てる人間ではないでしょう。
私はあの書き込みが精神的に追い詰められたが故に書いたものだと推察しており、普段の1さんでしたら、あのような書き込みはしないと思うのです。
乱暴な言い方になってしまいますが、自暴自棄になって書いたものだと私は考えているのですが違いますか? おそらく当たっているかと思います。
でも、それは心の奥底に眠っていた本当の気持ちを言葉にしたのではないでしょうか。自暴自棄になって書いていたとしてもあの書き込みは1さんが長年言えないでいた外の世界に助けを求める声であり、大きな一歩なことには変わりません。
私はその大事な一歩をお金が目当てな人に台無しにされるのではないかと不安を抱いております。もし、また人を信じられなくなるような出来事が起きてしまったら、せっかく貯めた100万円が無駄になるだけではなく、二度と立ち直れなくなるかもしれません。1さんもそのことに懸念があるはずです。
そこで私に1さんの恋人を演じさせてほしいのです。
実は私も自暴自棄に陥ることがありまして、1さんの気持ちが痛いほど分かります。ですから、1さんの求めている理想の彼女を演じれる自信があります。
どうか私を信じてほしいです。
嫌な思いは絶対にさせません。
きっと私なら、貴方の理想の彼女を演じきれます。
ご返信お待ちしております。 詩織』
読み終えた時、なんだか体が温かくなっていたような気がしないでもない。
他のメールとは違う内容に、俺は少しというかめちゃくちゃ揺れていた。
この詩織という人物に会ってみたいと思ってしまった。
だが、全面的に信じたわけではない。明らかに俺のイメージ条件に適いすぎていて逆に怖い。こういうメールこそ警戒しなくてはならないのだ。
とは言えだ。ここまで俺のことを考えて長い文章を送ってくれた相手を無視するのも俺のポリシーに反する。過去最高に丁寧な返信をしておこう。
しかし、よく見ると、既に返信してある。
俺は送信済みのメールを確認してみる。
『初めまして、メールありがとうござます。
掲示板で恋人を募集した1です。
詩織さんのメールを読んで、この人しかいないと思いました。
是非、詩織さんに恋人を演じていただきたいです。』
…………へ? 昨夜の俺、何言ってんの?
『返信していただきありがとうございます。
1さんの求めている理想の彼女を演じるよう、誠心誠意尽くさせていただきます。
それでは、日程や待ち合わせの方を決めたいと思いますが、ご都合のよろしい日時はございますでしょうか?』
…………ちょっと待て。
『迅速なご返信ありがとうございます。
詩織さんとお会いできる日を楽しみにしております。
日時の方ですが、最短ですと明日。その次は来週の火曜日が空いております。
待ち合わせ場所の方は都内でしたら、どこでも構いませんので、詩織さんの方でご希望があればご連絡下さい。』
いやいや、楽しみにしているって100万円失うんだぞ。ドMってレベルじゃねー! 落ち着け、昨夜の俺。
『こちらこそ迅速なご返信ありがとうございます。
申し訳ありませんが、来週の火曜日は空いておりませんでしたので、急ではありますが明日お会いできますでしょうか?
待ち合わせ場所は渋谷駅周辺でお願いしたいです。
時間の方は何時からでも大丈夫ですので、お気軽にお申し付けください。』
明日って今日じゃねぇか! まさかOK出してないよな? 昨夜の俺。
『夜遅くに何度も返信していただきありがとうございます。
では、明日10時にハチ公前で待ち合わせはいかがでしょうか?』
だと思ったよ! アルコールの力ってこえー!
『いえいえ、こちらこそ夜分に返信していただけて助かります。
明日10時にハチ公前ですね。承知致しました。
着きましたら、服装などをご連絡します。
どうぞ宜しくお願い致します。』
もう誰かこの人達を止めて!
『こちらも着きましたら、メールにてご連絡致します。
明日は宜しくお願いします。』
…………どうすんの。
マジでどうすんの、これ。
っていうかメール削除していたら九時だし、渋谷まで行くならそろそろ出ないと間に合わない。
これは超低姿勢な謝罪メールを送るのが安定だろう。
でも、詩織さんに会ってみたい。
どんな人があのメールを書いて送ったのか見てみたい。流石に100万円はあげれないけど。
俺は考えた末に渋谷へ向かうことにした。
家とバイトを行き来するだけの退屈な日々にちょっとした刺激が欲しかったのもある。それにこんな俺とメールでやり取りしてくれただけでもありがたいことだ。100万円は無理だが直接謝って交通費とランチ代くらいは渡してもいいかもしれない。
そんなこんなで俺は渋谷へ向かうのだった。
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