届かぬ光
「な、何故じゃ…!! 何故お前の拳が儂に通った!! そんな事は有り得ないはずじゃ!!!」
「自分の頬、触ってみろよ…」
「何じゃと…?」
燈の言葉に従うようにプルプルと震える手で、ウォイドは殴られた頬と顎に触れる。
その感触に、彼は驚愕した。
「油が…消えている…!?」
「……全部、カグの作戦だ」
「カグの……?」
「そうだ」
右肺から溢れ出す血を押さえながら立っているカグが、肯定する。
「四十年前から、俺はお前の油性魔法を知っていた。だから考えていた……いつか、お前と戦うかもしれないという可能性を考慮してな……お前の魔法は体の皮膚に油を付着させ、摩擦をゼロにする事が出来る…そうして攻撃の通らない無敵の体が完成だ。なら…その膜を剥げばいい」
「ど、どうやった……?」
「風だ」
「か、ぜ…? まさか……!?」
カグの言っている言葉の意味に気付いたウォイドは目を見開いた。
「そう…俺は、蒼穹之弓の風で、アンタの油膜を剥がしたんだ…」
「じゃ、じゃが…風圧で油膜を剥がせるかなど、分からなかったはずじゃ!! もし出来なければ!!」
「だから、一度目は確認した」
一度目、それは燈とウォイドが組み合いになっている時に放たれたものだ。あれは本命である二回目の攻撃が有効打かどうかを確認するためのものだったのである。
「お前と戦いを始める前…俺はアカシに言ったんだ…『蒼穹之弓をウォイドに撃つ。その時、当たった箇所の油が剥がれていたら、目線を送ってくれ』ってな」
「あぁ…」
燈は肯定するように頷く。
「まぁ…そもそも最初の確認で、油膜が剥がれなかったらそこで作戦は破綻、どうしようもなかった…随分と賭け要素の強い話だったけどな…」
苦しそうに息を切らしながら、カグは言葉を続ける。
「後は単純…二発目の蒼穹之弓でお前の頬の油膜を剥がして、アカシに攻撃を入れてもらうだけだ…これも、お前が一撃で倒れなかったらどうしようもなかった…。殴られた箇所の油膜が剥がれている事に気付けば、お前は警戒し、常に体に油膜が張られているかを意識してしまうからな…顎を狙ったのはナイスだアカシ」
「はは、ちょっと思い出してな…」
「ふ…ざけるなぁ!! カグゥ、お前は自分の行いが妹に知られて絶望していたはずだ!! なのになぜぇ…!!」
唾を空中に散布させながら、ウォイドはカグに叫ぶ。
「お前の言う通り…最初は絶望し、誤った選択をしようとした。だが、アカシが俺の愚行を止めたんだ。だから…選び直した…俺が時間を稼いでサーラ達を逃がす選択から…俺も生きて、お前を倒す選択にな」
「なら…あの時の思いつめたままの表情は…!!」
「全部、お前を油断させるためのものだ。作戦の成功率を少しでも上げるための…」
あれ、ひょっとして俺…皆を余計に危険な目に遭わせたんじゃ…。
カグの言う言葉が真実ならば、彼がウォイドの油膜が剥がせるかどうかは分からなかったと言う。
もし剥がせなかったら…彼の策はそこで
そうなったらもう離脱は不可能。燈は勿論、カグやバアル…そしてサーラまでもがウォイドによって殺されていた可能性が非常に高い。
油膜が剥がせるか分からないという疑念がある状況ならば、カグがウォイドと交戦し時間を稼ぎ、迅速に燈とバアルがサーラを逃がした方がまだ確実性があったと言えよう。油膜が剥がれたのは結果論であるのだから。
自分の選択が実はとても危険な側面を孕んでいた事に今更ながら気付いた燈は一気に顔が青ざめた。
「気に、するなアカシ…俺はお前に乗った。そして、俺達は、勝った…。それだけだ…」
顔色が変わった燈の心中を察したのか、カグは薄眼で燈を見ながら言う。
「あれ、ひょっとして俺…余計に危険な選択をさせたのか…? 言ってくれよカグ!?」
「敵を騙すならまず味方からだ。おかげでウォイドも蒼穹之弓を撃った意味を誤認した」
冷静に事実を告げるカグ。
全ての盤面は自分の手の中にあると思っていたが、実はその自分すらも駒に過ぎず、自分こそが踊らされていたのだとウォイドは痛感する。
「ふざけるなぁぁぁぁ…!!!! 儂はまだ終わらん…!!! 終わらんぞぉ!!!!」
少年のように駄々をこねようと腕や足を動かそうとするが、ぴくぴくとするだけで一向に動く気配の無いウォイドの手足。
それが完全に、勝負が決した事を示していた。
「カグ!!」
燈はカグに駆け寄るとその容態を案じる。
「俺は…まだ、大丈夫だ…。それよりも、ここから…早く逃げないと…」
「あ、あぁそうだな! バアル君、手を貸して!! ミラさんも早くここから逃げよう!!」
「はい!!」
口早に言った燈の言葉にバアルは返事をし、ミラは頷いた。
燈はカグを、バアルはサーラを抱え、そのまま祭壇から出ようとするが
『キュオオオォォォォォォォォォォ!!!!!』
「っ!?」
それは間に合わなかった。
上空から飛来した二体のリュドルガが、神殿上部の吹き抜けから燈達の前に立ち塞がる。
「やっほーアカシ!!」
「テノラ…!!」
リュドルガから飛び降り、元気に返事をする彼女に忌々し気な表情を作る燈。
どうする……!? 既に作戦は破綻してる…!! この状況で、テノラからチートを回収するなんて無理だ…!!
無謀、不可能…それらの文字が燈の脳を侵食する。
「ほう…防人の達に治癒が施されなくなったのは、ソレが原因か」
同じく、リュドルガから降りたベルンはバアルに支えられ、普段とは様相の大きく異なるサーラを目にした。そして次に、周囲を見渡した彼女はユスとミューの屍を目撃する。
「死んだか。お前達が、殺したのか…?」
燈達に向き直ったベルンはそう尋ねる。
「ち、違う。殺したのは…」
言いながら、燈は視線をウォイドへと向ける。
「貴様か、ウォイド…巫女の臣下、そして我々王族を裏切った者よ」
ベルンは腰のレイピアを抜いた。ウォイドを殺すのかと思えば、違う。
その刃の矛先は燈達に向いていた。
「な、何で…!!」
光で反射する鋼の煌きに、燈は言葉を放つ。
「私と奴らはただの協力関係だ。それ以上でも、それ以下でもない…同情する余地もな。それに、駒を使う事だけに注力し、自身の研鑽を忘れた者達の末路としては相応しいだろう」
「そ、そんな…言い方…あんまりだろ!!」
燈はベルンの物言いを咎めずにはいられなかった。
「戦争とは、そういうものだ。誰しもが自分の大義を秘め、そして死ぬ可能性を秘めている……綺麗事など通用しない」
「そ、それは……!」
正論だった。ベルンの言葉は、
「そして、今…勝利は私の目の前にある。すべき事は巫女の首を獲り、私自身の目的を果たす事だ」
構えるベルン、最早交渉の余地はない。
抗戦するしかない状況ではあるが、今の燈達にはそれほどの余力はない。
燈は先程の戦闘で魔力が無くなり、カグは右肺の負傷によって戦闘が出来ない。
バアルは戦えるが、対処しなければならないのはベルンだけではない。
「ふっふーん♪」
テノラだ。というより、寧ろ彼女の方が要危険人物まである。
つまるところ、バアルはこの二人を相手取り戦わなければならないのだ。万全の状態ですらない彼が勝てるのかどうか、答えは自明だった。
「テノラ、行くぞ」
そう言ってベルンはテノラに目配せする。
対するテノラは顎に手を当て何やら思考を巡らせているようだ。
時間にして、約三秒。やがて顔を明るくしたテノラはベルンに言った。
「んーっとね! ここまで!!」
「……何を言っている?」
ケロッとした様子で言い放つテノラを、ベルンは訝し気な表情で見る。
だがテノラはそんな彼女の事など気にも留めずに軽く床を蹴ると、倒れているウォイドの元に赴いた。
「テ、テノラ……!!」
「ハハハハハ! 無様だねぇーウォイド!!」
未だピクピクとしか四肢を動かせない彼を見下ろしながらテノラは大声で笑う。
「手を貸せぇ!! 儂はまだやれる!! 儂の王道はここからじゃあ!!!!」
「うんうん、そうだよねー悔しいよねー」
終わって堪るか…!! ようやく来る、儂の時代が…!! その到来を前にして、倒れるなど有り得ないぃ…!!
王族の兵士として従事していた時代、彼は空っぽだった。
何も無く、ただただ兵士としての本分を果たし、そして老いていった。年齢的に主要な前線で働く事が困難になり、上層部の命令で地方へと飛ばされ、大して重要でもない任務を粛々とこなすだけの日々…。
そこでようやく彼は感じたのだ…『虚しさ』を。
それまでは、そんなものすら感じない程に、彼には何も無かった。
今まで自分は何をしていたんだと、これが自分の人生かと、何のために生まれ、何のために生きてきたのかと。
自分に対する激しい後悔と憤りが、ウォイドを襲った。だが、幾ら襲われた所で、今更自分が変わる事など叶わない。浪費、捨てた自分の時間を惜しむように…ウォイドは涙を流した。
だが、遂に転機が来る。
偏狭の集落から来たと言う民が言った言葉に、彼は突き動かされた。普通ならただの集落民の言葉など気にも留めようとしない。狂言だ、虚言だと言って終わりである。しかし、彼は感じたのだ。何かが起こる事を…本能的に、嗅ぎ取るように。
彼は初めて隊律違反を起こし、自分の意志で動き、二人の兵士を連れ…集落へと赴いた。
そうしてサーラと出会ったのだ。
そこからは、先程ウォイドがサーラにバラした通りだ。
今までの無為にも思える時間を、全て挽回するかのように、彼は自分の人生を謳歌した。
目的を持ち、大義を抱き、人の上に立つ快感を、これでもかと言う程に彼は享受した。
そんな彼の欲望は、留まる事を知らない。
『ウルファスの頂点に立つ』、名実ともに自身が王となり、思うがままに国を作り替える。今度の目的が定まった彼だったが、それを実行するのは不可能だった。
しかし、そこに一本の細い光の糸が垂らされたのだ。
掴んだ糸、丁寧に、ゆっくりと…ウォイドは高みへと昇っていく。
後少しだったのだ。あと少しで昇り切れる。最高点へと手が届く。
「儂はぁ!!! 選ばれたのじゃ…!!! 新たな王にぃ!! そして神人教の教徒にぃ!! その儂がぁ……、ここで終わるなどぉ…!!! 有り得なあぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!」
「よしよし! ならもっかい頑張ろう!」
ニヤニヤと笑うテノラに、ウォイドも笑い返す。
「あぁ!! サーラをこの手で殺し!! この場にいる奴らも全員殺す!! そして始まるのじゃ、儂の国が!!! さぁ力を、力を貸せテノラァァァァァァ!!!!」
「はい♪」
「……ぅえ…?」
突如、テノラはウォイドの腹部に腕を突っ込むと、中の内臓を掻き回し、大量の血を噴出させた。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!????」
何が起こっているのか、あまりの痛みにウォイドは理解出来ない。
「よっし! これで……ぅおえぇ!」
ウォイドの腹部から腕を引き抜いたテノラは、ぽっかりと空いたその穴に向かい何かを嘔吐し、吐き落とした。
「なぁ…!! 何をぉ……!!!??? 何をしているテノラァァァァァァァァァァァ!!!???」
痛みと、怒りとを原動力にウォイドは涙を流しながらテノラを睨み、叫ぶ。
「えーっとね。もうウォイド要らない! だから最後は私の役にしっかり立って…それで死んでね♪」
両手を合わせ、晴れやかな笑顔でウォイドを見下ろすテノラ。
ウォイドの血を顔面に浴びながらも無垢な少女の笑みは絶える事を知らない。
その様は、ウォイドから見れば…『圧倒的な悪』そのものだろう。
事実、その底の見えぬ悪意に…彼は自分で気付かぬ内に、失禁していた。
「ふ、ざけるなぁ…!! 儂は、儂は儂は儂は儂は儂はぁぁぁぁぁぁ…!!」
呻くように、口と腹部から血を流し続けながら、ウォイドはテノラを見上げる。
まるで、彼女を恨み殺さんとするかのようなドス黒い感情が、その瞳孔に纏わりついていた。
「アハハハハ! 良い顔、良い顔だよウォイド!! 怒りと絶望が一緒に顔に出てる!!」
キラキラと目を輝かせ、好奇心旺盛な口調でテノラは言う。
「殺す…殺す……お前はコロス!!!! 殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロス!!!!」
ウォイドは目を見開き、激昂する。
「コロスコロスコロスコロスコロス……!!!」
そして、彼の体から無数のゲル状の触手が伸び、それは瞬く間に彼を覆い尽くした。
「な、何だよアレ……!!」
あまりに異質なその光景に、燈は圧倒的危機感を覚えた。
「さぁー! 最終決戦だよアカシ!! どっちが巫女様のチートを奪うか、勝負だ!!」
テノラはそう言って上空へと跳躍、神殿の天井の吹き抜け部分に足を掛けた。
『ギュウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥォォォォォォォォォ!!!』
ウォイドを包み込んだゲルは形をみるみる内に膨張し、その形を変容させる。
気付けば、蜘蛛のような下半身が出来上がり、上半身は裸体の女性のようなものが形作られる。
そしてその女性の額に埋め込まれている宝石に様なものの内部には、ウォイドが自らの体から放出させたゲルで拘束されている。
「超常魔獣アポカリプス、生物を核にして姿を形作り、何もかもを破壊しちゃう私のとっておきの友達! 止められるかな、アカシ! あ、そうだ…一個だけ命令しなきゃ。アポちゃん! チーターを拘束!!」
『ギュオォォォォォォォォォォォォ!!!』
女性のような甲高い声を上げながら、アポカリプスはその腕を伸ばしサーラへ迫る。
「させない!!」
バアルはサーラを庇うように身構えた。
「
そしてアポカリプスの影で対象を拘束し、一瞬の時間を稼ごうと試みる。だが
『ギュォォォォォ!!!!』
拘束はウォイドの時よりも更に早く解かれ、コンマ一秒の時間すら稼ぐ事が叶わない。
「なっ…!!」
その瞬間、バアルは自分がアポカリプスの腕から逃れられない事に気が付く。
こうなったら、巫女様だけでも……!!
すぐさまそう決意したバアルは支えていたサーラを突き放そうとする。
「もう、いいです……」
「えっ……?」
だが、バアルの胸元で響いたその声に彼は虚を突かれた。そして次の瞬間には、彼はサーラによって突き放されていた。
バアルがしようとしていた事を、サーラ自身が行ってしまったである。
サー……ラ?
燈の肩に体重を預けていたカグは、時間が止まったかのような錯覚に誘われる。
自分の妹に迫る手、そんな状況下で、彼女は苦々しく笑みを作り、口を動かした。
じゃあね……お兄ちゃん……。
音は発していなかった。しかし、カグはサーラの言葉を、一語一句
『ギュォォォォォァァァァァァァァァ!!!!』
嬌声にも似たアポカリプスの声で、彼は元の時間の流れの世界へと帰還した。
「やったー! じゃあそのまま入れちゃってー!」
テノラの命令に従うように、巨大な腕でサーラを掴んだアポカリプスはそのまま掴んだ腕を自身の胸部に刺し入れる。
嘘……だ。
見せられた光景に、カグは激しい嫌悪感と罪悪感が心中をこみ上げる。そして次の瞬間、彼は本能的に言葉を発する。
「サーラァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
最愛の妹の名を、叫んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます